倭人伝随想 9 晋書地理志に周朝短里を探る 9/9 釋名論 改
2018/10/26 2018/12/26 修正 2020/11/08
*里の起源(「釋名」劉煕:後漢)
参考まで、冒頭で論議した釋名の「定義」を掲げます。
釋名:周制,九夫為井,其制似井字也。四井為邑,邑,猶悒也,邑人聚會之稱也。四邑為丘,丘,聚也。四丘為甸,甸,乘也,出兵車一乘也。
ここまでは、司馬法と同内容です。
五家為伍,以五為名也。又謂之鄰,鄰,連也,相接連也。又曰比,相親比也。
五鄰為里,居方一里之中也。五百家為黨,黨,長也,一聚之所尊長也。
萬二千五百家為郷 郷,向也,眾所向也。
以下、少々検討を加えます。
「釋名」は、中国の州名や国名の由来を明らかにした古典書籍、一種の辞典であり、その一部の「釋州国」に、「家」、「里」などの由来が記録されています。それらの定義は、主として周代の史料から引用して集成されたものと思われます。
*里の起源 一説
古来、つまり夏殷周の三代で、五家を「鄰」として、五鄰(二十五家)を里とし、里の一辺を「里」としたようです。ちなみに、里の首長、里長は、里の中央に社を設けて氏神を祭祀したようです。当時は、万事小振りの商(殷)代であって、憶測ですが、里は(約)15㍍で、殷を継ぐ周はそれを維持したようです。一家は15㍍四方となります。(以下、約を省略)
このように、里は集落であり、転じて距離単位にもなったのです。
*里の変貌 一説
夏殷周文明の影響下にあった中原諸国に比べて、遅れて文明に浴した秦は、古制にあった距離単位の里を、自国の大家族世帯の格好に合わせて、周里の六倍の450㍍とし、統一王国を築いたときにこの長里が全土に適用されたのでしょう。
周里を適用していたであろう各国王家が滅び、「同文同軌」と共に、秦里で一新、測量されたのでしょう。里制に限らず、社会制度の根幹が一新されるのは、史上類の無い同文同軌の一大変革の際に限られるのです。
但し、距離単位の里が六倍となったために、集落としての里は三十六倍となり、周の時代と大きくかけ離れたものになったのですが、先に述べたように、これを周の井田制という土地支給制度の「井」と合わせたので、見かけ上、周里は、秦に引き継がれたように見えたのです。
*周制の名残り 一説
朝鮮半島東夷は鄙で秦里は及ばず、周里制を維持したのでしょう。秦漢で、下級役人となった大夫が、周と同様の高官となって、東夷に残ったのと同様と思います。
*史料の検索
古田武彦氏は、緯度ごとの太陽高度の変化に周里の定義を求めて75㍍程度の概数を得ていますが、当ブログは、史料に根拠を求めたのです。
以上
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