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2019年1月

2019年1月27日 (日)

倭人伝随想 13 范曄後漢書倭伝始末 1/1

                                                    2019/01/27
*後漢書倭伝考
 弾劾のつもりはないのですが、范曄が書いた後漢書倭伝は、歌舞伎役者の隈取りのように潤色されています。笵曄は、文章に趣向を凝らす文筆家であって、史官の素朴な言葉遣いを風格に富んだ言い回しに美化したのです。これは、文筆家としての栄誉を求める当然の行いです。

 後漢書倭伝には、倭人伝記事の相当部分の三文字語を四文字語に加筆するような潤色の例が、いくつか見られます。
其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歷年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆        以上三国志魏志「倭人伝」引用

桓靈間倭國大亂更相攻伐歴年無主有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆於是共立爲王     以上後漢書「倭伝」引用

 「倭国乱」には「倭国大乱」に「歴年無主」を足し、卑弥呼の「事鬼道」には「事鬼神道」とし、「能惑衆」には「能以妖惑衆」と二字足して潤色しています。

 また、「年長不嫁」とした上に語順を変え、年長女王の共立としています倭人伝が「年已長大」「無夫婿」、つまり生涯不婚の若き「一女子」が女王に立ち、後年成人した、配偶者はない、と説いた流れを改変したのです。

 以上、本項冒頭以来の素人なりの笵曄観は、また一つの説と考えます。

*後漢書邪馬臺国考
 以下、完全に夢想ですが、笵曄の参照資料は、先行諸漢書稿類に加えて、献帝建安年間に重点を置いて後漢末期を詳述した三国志であり、魏志巻末の倭人伝を後漢年代に取り込んだ倭伝を構想した時の追加史料が魏略です。

 范曄が、倭伝に書き足した「桓霊間」、つまり桓帝霊帝時代の「倭国大乱」が女王共立で太平に復したとしたので、霊帝没後の宦官と外戚の闘争に董卓が介入した大混乱が、女王時代の幕開けと同時期と、ほぼ断定した感を与えています。
 
 二百年近く続いた夷蛮管理は崩壊し、東夷風聞は地方勢力に遮られたのです。孤立した楽浪郡は三韓の混乱を招き諸記録を喪失したはずです。後漢朝自体、董卓の暴政と長安遷都の大混乱で国が瓦解したのです。帝都の史官が、冷静に日々の記録を書き留められたとは思えないのです。

*潤色補填の姿
 と言うことで、後漢書東夷伝というも、桓帝・霊帝紀、建安以前の献帝紀の東夷傳記事は空白と思われます。そのため、笵曄は、三国志と魏略の記事を流用して空白を埋めたのです。後漢書倭伝記事は、同時代記録でなく、主として景初遣使及び答礼関連記事を、ずるりとずり上げたのです。

 具体的に言うと、後漢書倭傳記事の倭国風土風俗記事は、景初以前の倭人不通時に得られない内容で、魏志、魏略からの流用であり、潤色、曲筆などで収まらず、部分的に「偽書」になっています。
 

 倭人伝と異なり、壹與も壹拝もないので、あえて邪馬壹国とする理由はないので、資料なのか、見識の校勘、つまり何か根拠があっての誤記訂正なのか、倭人伝が文中でさらりと「邪馬壹国」と語ったのに対して、確信を持って、冒頭で声高に「邪馬臺国」とした可能性が否定しがたいのです。

*始末
 現時点で、范曄後漢書倭伝記事に関する個人的な思索の結果、到達した意見は、以上の通りです。
                                完

2019年1月26日 (土)

今日の躓き石 NHKBS1 {球辞苑}の壊れたカタカナ言葉づかい

                           2019/01/26
 今日の題材は、NHK BS1 {球辞苑}の「ブルペン」の回である。
 
 大したことではない。当方は、NHKが「セットアッパー」などのインチキカタカナ語を廃止していると見たのだが、この番組では、堂々と出て来るのである。アナウンサーは、言葉のプロとして自律していても、それ以外の出演者は、別に社員でもないから、言いたい放題なのだろうか。
 
 併せて、諸スポーツでばらばらな名詞的な「フィジカル」、「メンタル」も、無造作にしゃべくっているようであるが、これも、プロて無いからお構いなしなのだろうか。
 ラグビーでフィジカルと言えば、体重、筋力、取っ組み合いの強さのようであるが、プロ野球でも格闘技なみのフィジカルを求められているのだろうか。
 また、今回の番組では、メンタルは、メンタルコンディションの短縮形のようだが、プロ野球の統一見解なのだろうか。
 
 いずれにしろ、出演者の中にも、「セットアッパー」を嫌っている言葉のプロがいるようなので、ちゃんとした番組にしてほしいものである。意外と、番組に引き出された名選手も、「セットアッパー」と呼ばれるのを嫌っているのではなかろうか。
 
以上

 追記 セットアッパーは、NHK番組でも、バラエティータッチで制作されているらしい当番組には、以前から、蔓延、跋扈していたことに、再放送などで気づいた。その他の壊れた「カタカナ語崩れ」も同様のようである。

 ここに、当方の見過ごし、怠慢をお詫びしたい。

2019年1月23日 (水)

新・私の本棚 番外 毎日新聞「今どきの歴史」 古代史談義の曲芸 2/2

 私の見立て★★★★☆ 必読             2019/01/23 2021/12/22

*担当記者批判(承前)
 記者の悪乗りは、どこまで続く抜かる溝、と言う感じです。
遺跡は大型建物や運河のような大規模な水路をもち、九州から関東まで各地の土器が多数出土した。

 遺跡の原状想定としても、「遺跡が建物や水路をもつ」とは、破格文法で戯画的であり、読者を子供扱いしています。

 
水道、水路と評しても、どこかからどこかに「水の路」をつなぐには、涸れない水源と極めて緩やかな一定傾斜が必要です。そのため、傾斜の大きい土地の運河には水門が必要です。それにしても、動力のない水門は、無意味です。傾斜のある運河の保水力は限りがあり、忽ち、枯渇するでしょう。どこでイリュージョンに、脳を冒されたのか知りませんが、一度冷静に質疑応答してほしいものです。そして、そんな厖大な土木工事がどんな経済効果を生むのかと。

 大づかみな決めつけは、
運河を見ていない素人には通用するかも知れませんが、「でかい水壕は、運河」と言うと言う単純なこじつけは、実際に生きている運河を見たことのない読者にしか通用しないのです。

 桃種は三千個で多数と書いておいて、土器の「多数」は何千個なのか、その場その場で大きく意味が変わる不明確な用語表現にもたれているのは、いかにも稚拙で意味不明です。

最初の大型前方後円墳である箸墓(はしはか)もあり、ここが全国に分布する前方後円墳の核心部であることも間違いない。初期王権の王都とみる議論に説得力がある。

 纏向が「最初」と決めつけつつ、それが全国の「前方後円墳の核心部」とは乱れています。全国普及の中心部といえば、「間違いない」の自己満足を突かれないはずです。ただし、古代史論、特に、「全国」と呼べる国のかたちがあったかどうか議論している中では、不用意というよりお粗末でしょう。それとも、古墳分布が「全国」の広がりを示していると主張しているのでしょうか。堂々めぐりに見えます。

 締めの「初期王権の王都とみる議論に説得力がある」は、主語抜き不体裁、自己満足の極みです。

 「初期王権」の「初期」の年代は不明で、「王権」も正体不明です。纏向マニアの酒席での褒め合いならともかく、符牒紛いの戯語連鎖は全国紙に相応しいものではないのです。
 「議論」に説得力とは無体で、議論で説得力があるのは「主張」でしょう。
 
*付言
 本来、諸論混交の古代史論議で、倉本氏の論考紹介の前説は、記者の史観の浅薄さを訴えるものであって、紙面を汚すと思えます。毎日新聞の信用を損なうだけです。
 因みに、当ブログの「書評」は、ブログ筆者の私見の踏み台として諸兄の論考を引き合いにしますが、全国紙記者が、素人同様の愚行に耽っているのは、もったいないのです。
 
 また、以上の論議で、勝手に「纏向マニア」と揶揄しているのは、私見で失礼ながら、その主張が、考古学に自陣営の嗜好を持ち込んで、学説ならぬ持論の強弁に耽っているさまは、「マニア」と分類されるとみているからです。この私見は、論証できないものなので、私見にとどまりますが、当ブログの表明しているように、素人考えを権威のない私人の意見として述べるのは、個人の自由と考えているものです。

*本論~倉本氏の卓見

 端的に言うと、ここに引用と紹介を得ている倉本氏の意見は、当方の持論でもあります。誰が考えても、三世紀初に中央権力が確立して、飛鳥時代は飛ばして平城京に律令国家が君臨するまでに五世紀を要する理由が見当たらないのです。
 氏の卓見は、「九州説」と戯画化できない至言です。

 氏の纏向マニア批判は、前説の論議を悉く覆しますが、これに対して、担当記者は、引用紹介だけで反論を試みないのは不思議です。

*大人の対応
 これは、氏が、三世紀全国政権を論理的に否定したものの、纏向政権が(同時代の)中心勢力であったと、一転して「畿内説」の面目を保って毒消ししている為か。氏は、続いて、「勢力」の影響力を緩めに見て、自説の沽券を保っていますが、これは大人の対応と言うべきでしょうか。いくら地域政権であろうと、同時代の「地域」の核心であるから、ある意味「世界の中心で」大将だったと言えるはずです。

 記者生命がかかっていて、曲芸筆法としたかも知れませんが、畿内説が政治的に利用されやすいとの発言は、掲載紙に対して意味深長です。 

 畿内説は、政治的な支援により、多額の資金を運用していることで、生命を維持していると見えます。

                               以上

新・私の本棚 番外 毎日新聞「今どきの歴史」 古代史談義の曲芸 1/2

 私の見立て★★★★☆ 必読             2019/01/23 2021/12/22

*総評
 題材は、毎日新聞夕刊文化面の月一の歴史コラムです。
 素人目に「纏向マニアに荷担している」と見える毎日新聞に、三世紀に中央政権確立を見る「畿内説」に、堂々と批判を浴びせる論客、倉本一宏氏(敬称略)の論考が、丁寧に引用紹介されているのは貴重です。老骨には、行間から纏向マニアの迫力と新聞記者の使命感の相克に悩む担当記者の苦労が垣間見られるようにも感じられます。

*構成の不備
 見出しに謳った倉本一宏氏の論考の紹介の筈が、担当記者の私見が前触れ、露払いしていて、何とも稚拙です。どこが、どうして不出来なのか、以下、当ブログの芸風に沿って前説を丁寧に批判します。なお、当記事は、毎日新聞夕刊文化面記事で、同社サイトに掲示されています。

*担当記者批判
 まずは、やり玉に挙げる段落の前半を引用します。

実際、纒向遺跡は普通の集落遺跡とは違う。3世紀初めから約100年続くとされ、「魏志倭人伝」によれば女王卑弥呼はかなりの高齢で248年ごろに死去したので時代が合う。遺跡は大型建物や運河のような大規模な水路をもち、九州から関東まで各地の土器が多数出土した。最初の大型前方後円墳である箸墓(はしはか)もあり、ここが全国に分布する前方後円墳の核心部であることも間違いない。初期王権の王都とみる議論に説得力がある。

  この部分に続く段落後半も、客観的な指摘か、倉本氏の指摘かあやふやですが、どうも記者の私見のようです。ここは、(専門家でないと思われる)担当記者の素人考えを披瀝する場なのでしょうか。
 敬意の表明として率直に批判しますので、何かのご参考になれば幸いです。

実際、纒向遺跡は普通の集落遺跡とは違う。

 「実際」と言うものの何が「実際」なのか。書かない方が良い「冗語」です。「虚辞」は避けたいものです。
 「普通」も意味不明で、他の遺跡「集落」は、素人目には個性豊かであり、しかも、互いに知り合うことのできない時代なので、簡単に「普通」(広く通用している)と言えないはずです。記者は、考古学所見全般に精通していると、貴重な紙面を消費して自慢しているのでしょうか。

 
以上は、「纏向マニアには当然」としても、一般読者には意味不明ですから、全国紙記事として不手際です。相違点を例示した上で、無類、異例、独特、独創などと、手軽に言えば済むことです。

3世紀初めから約100年続くとされ、「魏志倭人伝」によれば女王卑弥呼はかなりの高齢で248年ごろに死去したので時代が合う。

 主語省略ですが、「遺跡」が百年「続く」はけったいで、集落が「続いた」のでしょう。虚辞を削れば、誤解を招く主語抜きは避けられたはずです。

 続いて、「魏志倭人伝によれば」と言うものの、纏向マニアが、史料に明記された年代に合うように遺跡の年代比定を調整したのであるから、「時代が合う」のはむしろ当然で、素人目にも、本末転倒のご都合主義です。記者には、纏向マニアの熱気に巻き込まれず、提灯持ちにならず、ジャーナリストの本分である客観的な批判精神を保つことが求められると考えます。

 ついでながら、女王高齢は単なる一説(素人くさい浅慮)で、「倭人伝にそのようなことが書かれている」と賢しらに言い立てるのは、いわば、素人の浅知恵です。「顔を洗って、出直しなはれ」である。

 しかも、文全体の趣旨からいうと、女王の亡くなった西暦想定年を書けば、特に突っ込みが入らずに済むのに、軽率に浅知恵を書き付けるのは、信用を無くすだけであり、つまり、虚辞と言うより書かずもがなの冗語/児戯です。別に、締め切りに追われてないはずなのに、あたふたと字数を稼いで、戯文を書き飛ばすのは、場所柄を忘れた推敲不足でしょう。記者の修行不足が丸出しです。

                               未完

2019年1月13日 (日)

今日の躓き石 NHKBS「アスリートの魂」 レスリングライバル談に卑しい「リベンジ」

                                                               2019/01/13
  
 今回の題材は、NHKBS「アスリートの魂」のレスリング界のライバル談で、「リベンジ」が跳びだしたものである。
 
 と言っても、当人たちの談話でなく、番組コメンテーターの発言であるから、全面的にNHKの責任である。
 
 当ブログでいつも言っているのは、大抵は、「アスリート」や「プレイヤー」の軽率な発言、失言への叱責であり、そのような重大な失言をむき出しに報道するメディアの失態である。どこまで当人に伝わるか知らないが、メディアに「リベンジ」を戒める風潮が育って欲しいと、細やかな配慮をお願いしているのである。
 
 今回は、正しかるべきメディアが、勝手に当人の心情に踏み込んで、恥知らずにも「リベンジ」、つまり、復讐心で、相手を壊してでも勝ちたいと思っていると勝手に言い募っているのである。罪が、随分重いのである。しかも、実況で気が急いているのではない。ドキュメンタリーにナレーションを載せているから、本来言葉遣いは練れているはずなのである。
 
 これでは、記者のプロ意識が泥まみれなのを選手に塗りたくっていることになるのである。勘弁して欲しいものである。
 
 と言うことで、残念ながら、「宿命のライバル」物語は、地に墜ちたのである。
 
以上
 

倭人伝随想 12 里数・日数の虚実について 3/3

                          2019/01/13
*倭人伝原資料(仮称)
 「倭人伝原資料」は、帯方郡の実務担当者が書き起こしたものと推定され、当然、史官の視点でなく、実務的道里が書かれていたかも知れませんが、魏略魚豢ないしは魏志陳寿が、国史にそのような実像を書いても、中原の読者が現地の「地図」を思い描けないので、史官の「常道」に従い虚像を書いたのでしょう。そして、常道として、漢書の西域道里「表現」を踏襲したものと見るのです。

 これは、世に言う曲筆、改竄、誇張、虚構のいずれにも該当しない、堂々たる史官の筆法なのです。
 ちなみに、原資料は、政府文書ではないので、早々に失われたはずであり、いくら発掘しても出てこないのです。

*緩い推定
 以上のような緩い推定は、倭人伝道里に堅固な実像を求める論者にしてみれば、大変不満でしょうが、当ブログでの最近の論議は、以上のような理路に従って推察したものです。

 くれぐれも、現代技術で得られる道里や後世法制から推定される日数計算の精密な、しかし、虚構の数字を、倭人伝記事の「実像」と主張されないようにお願いします。古代人は、根拠が確かでない「実像」記事の危うさを熟知していたのです。

*曖昧談義の念押し
 以上で、不確かさを盛り込んだのは、あくまで、精確さを求められない東夷の話であり、別項で論じた戸数の不確かさも、同様の事情によるものです。

 一方、諸郡国には、管下の戸数、口数を、一戸単位で謬りなく報告する任務があり、地理志等には、そのような精密な集計が報告されています。

 しかし、それは、あくまで、郡の統制が健在で、精確な戸籍が記録されているのが前提であり、両郡が高句麗、百済の圧力によって統率力を失った際の戸数、口数は、漠たる概数として晋書地理志に記録されているのです。

 と言っても、程なく、両郡は高句麗の支配下に入って滅亡し、太守は職を失って逃亡したので処罰の仕様がないのです。また、曹操が再建を試みた、帝国内文書伝送の厳格化は、次第に形骸化し、おそらく、晋朝には引き継がれなかったのでしょう。

*曖昧論のお勧め
 以上、ここまで折に触れて書いてきたように、倭人伝の「時代相応、地域相応の曖昧さ」を理解いただきたいというお勧めです
 以下、改めて再論することはないと思うので、当ブログの筆法として承知いただきたいものです。

                               以上

2019年1月10日 (木)

倭人伝随想 12 里数・日数の虚実について 2/3

                     2019/01/10  2019/01/13
*実測値の不確かさ/無意味さ
 光学的な蘊蓄は別として、実際の里数、日数を精確に測定、測量できたとしても、それを「実像」と称して、そのまま報告するのは愚行です。

 現実世界の測定、測量は、「実像」と言っても、必ず、一定の不確かさ(「誤差」と言うと、何か間違いのことと「誤解」されるが)を伴っていて、厳正な法規定の限界値にそのまま採り入れると一種の錯誤となります。

 限界値に余裕を見るも、何も、まずは、絶対的な基準とすべき、頼りになる平均値を得るには、旅行者を変え、移動手段を変え、季節、天候も含めた諸条件を変えた多様な状況で測定して多数の「実像」を得る必要があるのですが、そのような無意味な手間は、全く想定されていないのです。

*虚像史官
 と言うことで、倭人伝の里数、日数は、まずは、帯方郡の原資料にもとづき、誰かによって演出された、見栄えのする、そして、誰もが命をかけられる「虚像」(虚構、フィクション)であり、三国志編者である陳寿は、伝統的に演出された「虚像を尊重する」という史官の務めに即していて、意味/意義の無い実像追求などしていないのです。

*西方道里の当否
 言うならば、晋書地理志に代表される諸書に記録されている西方諸国の道里、つまり里数記事も、同様の背景から、必ずしも、実測値でないと思われるのですが、当方には実証できないので、憶測としておきます。(里制が違うので、簡単に比較できないのですが)

 と、一度は手早く論議を閉めたのですが、簡単に書き過ぎたようなので、言葉を足します。

 つまり、大変な「大遠距離」の形容として「萬里」という常套句が普通のものとなった後、更に大変な「大々遠距離」という表現として設定されたのが、「萬二千里」ではなかったかという事です。(西域の萬二千里と同じ道里とは限らないのが、議論の歯切れの悪い原因です)

 もちろん、百里程度の里程であれば、縄でも引いて実測できたでしょうし、千里程度も、数百里程度の実測里数を積み重ねて計算できたでしょうが、「萬里」や「萬二千里」は、概数でしか捉えられない別世界の数字であり、とても道里を実測できるものではなく、詩的な修辞句、つまり、虚構ではなかったかと思うのです。

*総里数の起源
 してみると、倭人伝の里数は、まず、大々遠距離である「萬二千里」を総里数と見立てて、そこから、半島内官道の実測道里の可能性が高い「七千里」を引き、更に、三度の渡海は、どう工夫しても道里が測定できないから、それぞれ、数日がかりの陸行になぞらえた「千里」水行を三度と見て、計「三千里」を引いて、最後に二千里が残ったものの、これには実測の裏付けはなく、従って、残る区間の道里を、里数でも所要日数でも、表現されなかったと見るのです。

                               未完

倭人伝随想 12 里数・日数の虚実について 1/3

                          2019/01/10
 ここまでの記事を振り返ると、「里数・日数の虚実」に付いて、念押しが不足しているようなので、念には念を入れます。

*「従郡至倭」の整合性
 ここまでに、「従郡至倭」が、「萬二千里」と「水行十日陸行一月」の二種の表現、つまり、道里と所要日数の二種で表示されていて、水行、陸行、ともに一日三百里でほぼ整合することを述べました。四十日掛ける三百里で万二千里という勘定です。
 つまり、総計計算の辻褄が合うように、具体的な里数や日数が書かれている(演出されている)ことになります。

*実測説の否定
 これは、魏使の実際の行程が反映されているとの仮説を否定するものです。
 途端に、これは「虚像」で、史実、つまり「実像」を述べていないウソとの非難が想定されます。しかし、これは、幾つかの意味で不当な非難です。

*里数・日数の目的

 里数、日数は、郡倭間の通信日数を定めるものであり、責任者を処断すべき厳格必達の規定です。郡太守の「首」がかかるのです。中央政府は当然、関係者が保身のために(過度に)規定を甘くする事は認めないので、誇張や嘘は、度を過ごせば厳罰対象です。つまり、保身と厳正さを両立させるのが、日数、里数記事であり、不確かかも知れない里数を織り込んだ数字は、立派な記事なのです。

□虚実の混じった話
*虚像の効用

 良く言われる「虚像」とは、光学的に言うなら目に映る姿であり、人の世は、目に映る姿に反応しているから、実際上精確な姿なのです。そして、手に触れて実感できる限り、何も不合理なことはないのです。

*実像の効用
 「実像」は、光学的に言うと、像の場所に白紙を置けば、画像が表示される状態で、大抵、「実像」は天地逆、倒立です。正確であっても、天地逆なので、倒立実像を見る眼鏡は、実生活で着用できないのです。

 因みに、「実像」でなければ「見えている」ものの姿を感知できないので、「虚像」でないのは明らかです。網膜に映し出されている倒立実像を、脳が天地逆転して理解するので、実生活に支障が無いのです。

*廃語の勧め
 「実像と虚像」に含まれる価値判断は、長年比喩として通用しているから、今更訂正できないという見方もあるでしょうが、これほど不合理な比喩は、現世代の責任で、後世に引き継ぐことなく、廃語としたいものです。

                                未完

2019年1月 7日 (月)

今日の躓き石 錦織に望まれる王者の言葉 リベンジ禁句

                            2019/01/07
 今回の題材は、毎日新聞大阪13版スポーツ面のトップ記事である。ことは、スポーツ界に蔓延する「リベンジ」汚染であり、発言者が、テニス界のトッププレーヤーであるから、一段と、深刻である。
 
 いや、3年ぶりのツアー優勝に水を差すようだが、勝者の談話として、「昨年やられた相手にやり返してやった、ざまーみろ。」と言う意味に取られかねないカタカナ言葉であるから、まことにもったいないのである。
 
 これほどのプレーヤーなら、目指すのは復讐でなく、頂点の地位のはずである。いくら強くても、やったやられたばかり気にするように志が貧しくては、尊敬できない。まして、世界を騒がせているテロの風潮に便乗していると見られるのは、不穏である。
 
 それにしても、タイトル奪取とは、相手が当然とる筈だったタイトルを、横合いから奪い取った感じで、これも志が貧しいここは、タイトル獲得と言うべきではないか。いや、これは、当人の談話ではないから、担当記者の筆が暴れたのか。
 
 こうしてみると、毎日新聞の一部記者のつたない口ぶりに比べて、優れた言葉遣いが常である報道機関として信用していた共同通信が、いくら談話報道とは言え、このような問題発言を世界に発信して、当人の恥を無造作に拡散するのは、どういうことなのか、ちょっと心配になった。
 
以上

2019年1月 6日 (日)

新・私の本棚 番外 ブログ記事 「邪馬台国と日本書紀の界隈」

 私の見立て ★★★★☆ 必読           2019/01/06

*論評ご免
 ここは、商用出版物書評が定例で、個人サイト記事やブログ記事は論評しないことにしているのですが、今回は、M・ITOさんのブログ最新記事、「邪馬台国への行程記事の不合理を正すには」を批判します。
 M・ITO氏のブログにコメントとして投稿しないのは、コメントでは筋の通った批判ができないということと、氏のブログは氏の著作物であり、余人が書き足すべきものではないと考えてのことです。まずは、引用です。

 『三国志』編纂の資料とされた可能性の高い『禹貢地域図』の序文で定義されている「道里」は地図作成のための重要な要素であり、絶対に日数で表されるものではないのです。なぜなら日数では精確な地図が作成不可能だからです。
 だから、(B)の不彌国から投馬国経由で邪馬台国へ至る日数表記は明らかに不自然なものです。日数表記の直後に「道里を記載できた」と述べるのは正しい文章ではない、極論すれば嘘をつくことになるのです。


□論評

 ここが決め所とばかり、強い言葉を連打しますが、大事なのは論理の鎖の連携の強さであり、個々の鎖を飾り立てても役に立たないのです。

*冗語と内輪ネタ
 「重要な要素」と言葉を重ねていますが、「要素」は、強調しなくても必要、不可欠と決まっているのです。
 
 「絶対」と言い切っていますが、それは、氏の論法を支持している人にだけ通用する内輪ネタで、同感しない人には無用です。続いて、「不可能」と強打しますが、精確な地図がなぜ必達か、どんな精確さが必要か不明では、要件の不可能さは伝わりようがないのです。

*傍路の国の深意
 氏は、日数表記は「絶対に」「道里」でないと指弾しますが、末羅国以降、列記諸国を順次通過する順行型が唯一の解釈でない以上、「日数」表示は傍路との解釈も有効であり、よって、傍路略載の趣旨に合っています。つまり、氏の言う「正しい文章」断罪は文意を誤っているので無意味です。「嘘」としますが、三国志権威の暴言に拘わらず、史官は「嘘」をつかないのです。

 ついでながら、何かが「明らかに」「不自然」と言えるのは造化の神だけです。明瞭な背理は、誰にもわかるから力説する必要はないのです。

*旅路の果て
 氏は、強引に、架空の倭人伝原本が「改竄」されて倭人伝になったとの持論の支持を求めますが、当ブログ筆者は同意しないのです。私見では、古代史分野は、華麗な離れ技の前に、着実な歩みを求められるものと思います。

*私論ご免
 ここまで、丹念に語調不備を言い立てるのは、当方が敬遠している書紀談義以外の倭人伝談義では、氏の基本的な姿勢に同感であり、もったいない欠点を振り落として欲しいと思うから、世に、堂々たるブログのお手本を示して欲しいと、ここに明記しているのです。

 いや、以上は、全て一介の私人の私論であり、話の都合上背筋を伸ばして口説を費やしたというものの、別に、偉ぶった意図はないのです。

                               以上

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