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2019年1月13日 (日)

倭人伝随想 12 里数・日数の虚実について 3/3

                          2019/01/13
*倭人伝原資料(仮称)
 「倭人伝原資料」は、帯方郡の実務担当者が書き起こしたものと推定され、当然、史官の視点でなく、実務的道里が書かれていたかも知れませんが、魏略魚豢ないしは魏志陳寿が、国史にそのような実像を書いても、中原の読者が現地の「地図」を思い描けないので、史官の「常道」に従い虚像を書いたのでしょう。そして、常道として、漢書の西域道里「表現」を踏襲したものと見るのです。

 これは、世に言う曲筆、改竄、誇張、虚構のいずれにも該当しない、堂々たる史官の筆法なのです。
 ちなみに、原資料は、政府文書ではないので、早々に失われたはずであり、いくら発掘しても出てこないのです。

*緩い推定
 以上のような緩い推定は、倭人伝道里に堅固な実像を求める論者にしてみれば、大変不満でしょうが、当ブログでの最近の論議は、以上のような理路に従って推察したものです。

 くれぐれも、現代技術で得られる道里や後世法制から推定される日数計算の精密な、しかし、虚構の数字を、倭人伝記事の「実像」と主張されないようにお願いします。古代人は、根拠が確かでない「実像」記事の危うさを熟知していたのです。

*曖昧談義の念押し
 以上で、不確かさを盛り込んだのは、あくまで、精確さを求められない東夷の話であり、別項で論じた戸数の不確かさも、同様の事情によるものです。

 一方、諸郡国には、管下の戸数、口数を、一戸単位で謬りなく報告する任務があり、地理志等には、そのような精密な集計が報告されています。

 しかし、それは、あくまで、郡の統制が健在で、精確な戸籍が記録されているのが前提であり、両郡が高句麗、百済の圧力によって統率力を失った際の戸数、口数は、漠たる概数として晋書地理志に記録されているのです。

 と言っても、程なく、両郡は高句麗の支配下に入って滅亡し、太守は職を失って逃亡したので処罰の仕様がないのです。また、曹操が再建を試みた、帝国内文書伝送の厳格化は、次第に形骸化し、おそらく、晋朝には引き継がれなかったのでしょう。

*曖昧論のお勧め
 以上、ここまで折に触れて書いてきたように、倭人伝の「時代相応、地域相応の曖昧さ」を理解いただきたいというお勧めです
 以下、改めて再論することはないと思うので、当ブログの筆法として承知いただきたいものです。

                               以上

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