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2019年1月 6日 (日)

新・私の本棚 番外 ブログ記事 「邪馬台国と日本書紀の界隈」

 私の見立て ★★★★☆ 必読           2019/01/06

*論評ご免
 ここは、商用出版物書評が定例で、個人サイト記事やブログ記事は論評しないことにしているのですが、今回は、M・ITOさんのブログ最新記事、「邪馬台国への行程記事の不合理を正すには」を批判します。
 M・ITO氏のブログにコメントとして投稿しないのは、コメントでは筋の通った批判ができないということと、氏のブログは氏の著作物であり、余人が書き足すべきものではないと考えてのことです。まずは、引用です。

 『三国志』編纂の資料とされた可能性の高い『禹貢地域図』の序文で定義されている「道里」は地図作成のための重要な要素であり、絶対に日数で表されるものではないのです。なぜなら日数では精確な地図が作成不可能だからです。
 だから、(B)の不彌国から投馬国経由で邪馬台国へ至る日数表記は明らかに不自然なものです。日数表記の直後に「道里を記載できた」と述べるのは正しい文章ではない、極論すれば嘘をつくことになるのです。


□論評

 ここが決め所とばかり、強い言葉を連打しますが、大事なのは論理の鎖の連携の強さであり、個々の鎖を飾り立てても役に立たないのです。

*冗語と内輪ネタ
 「重要な要素」と言葉を重ねていますが、「要素」は、強調しなくても必要、不可欠と決まっているのです。
 
 「絶対」と言い切っていますが、それは、氏の論法を支持している人にだけ通用する内輪ネタで、同感しない人には無用です。続いて、「不可能」と強打しますが、精確な地図がなぜ必達か、どんな精確さが必要か不明では、要件の不可能さは伝わりようがないのです。

*傍路の国の深意
 氏は、日数表記は「絶対に」「道里」でないと指弾しますが、末羅国以降、列記諸国を順次通過する順行型が唯一の解釈でない以上、「日数」表示は傍路との解釈も有効であり、よって、傍路略載の趣旨に合っています。つまり、氏の言う「正しい文章」断罪は文意を誤っているので無意味です。「嘘」としますが、三国志権威の暴言に拘わらず、史官は「嘘」をつかないのです。

 ついでながら、何かが「明らかに」「不自然」と言えるのは造化の神だけです。明瞭な背理は、誰にもわかるから力説する必要はないのです。

*旅路の果て
 氏は、強引に、架空の倭人伝原本が「改竄」されて倭人伝になったとの持論の支持を求めますが、当ブログ筆者は同意しないのです。私見では、古代史分野は、華麗な離れ技の前に、着実な歩みを求められるものと思います。

*私論ご免
 ここまで、丹念に語調不備を言い立てるのは、当方が敬遠している書紀談義以外の倭人伝談義では、氏の基本的な姿勢に同感であり、もったいない欠点を振り落として欲しいと思うから、世に、堂々たるブログのお手本を示して欲しいと、ここに明記しているのです。

 いや、以上は、全て一介の私人の私論であり、話の都合上背筋を伸ばして口説を費やしたというものの、別に、偉ぶった意図はないのです。

                               以上

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