倭人伝随想 12 里数・日数の虚実について 2/3
2019/01/10 2019/01/13
*実測値の不確かさ/無意味さ
光学的な蘊蓄は別として、実際の里数、日数を精確に測定、測量できたとしても、それを「実像」と称して、そのまま報告するのは愚行です。
現実世界の測定、測量は、「実像」と言っても、必ず、一定の不確かさ(「誤差」と言うと、何か間違いのことと「誤解」されるが)を伴っていて、厳正な法規定の限界値にそのまま採り入れると一種の錯誤となります。
限界値に余裕を見るも、何も、まずは、絶対的な基準とすべき、頼りになる平均値を得るには、旅行者を変え、移動手段を変え、季節、天候も含めた諸条件を変えた多様な状況で測定して多数の「実像」を得る必要があるのですが、そのような無意味な手間は、全く想定されていないのです。
*虚像史官
と言うことで、倭人伝の里数、日数は、まずは、帯方郡の原資料にもとづき、誰かによって演出された、見栄えのする、そして、誰もが命をかけられる「虚像」(虚構、フィクション)であり、三国志編者である陳寿は、伝統的に演出された「虚像を尊重する」という史官の務めに即していて、意味/意義の無い実像追求などしていないのです。
*西方道里の当否
言うならば、晋書地理志に代表される諸書に記録されている西方諸国の道里、つまり里数記事も、同様の背景から、必ずしも、実測値でないと思われるのですが、当方には実証できないので、憶測としておきます。(里制が違うので、簡単に比較できないのですが)
と、一度は手早く論議を閉めたのですが、簡単に書き過ぎたようなので、言葉を足します。
つまり、大変な「大遠距離」の形容として「萬里」という常套句が普通のものとなった後、更に大変な「大々遠距離」という表現として設定されたのが、「萬二千里」ではなかったかという事です。(西域の萬二千里と同じ道里とは限らないのが、議論の歯切れの悪い原因です)
もちろん、百里程度の里程であれば、縄でも引いて実測できたでしょうし、千里程度も、数百里程度の実測里数を積み重ねて計算できたでしょうが、「萬里」や「萬二千里」は、概数でしか捉えられない別世界の数字であり、とても道里を実測できるものではなく、詩的な修辞句、つまり、虚構ではなかったかと思うのです。
*総里数の起源
してみると、倭人伝の里数は、まず、大々遠距離である「萬二千里」を総里数と見立てて、そこから、半島内官道の実測道里の可能性が高い「七千里」を引き、更に、三度の渡海は、どう工夫しても道里が測定できないから、それぞれ、数日がかりの陸行になぞらえた「千里」水行を三度と見て、計「三千里」を引いて、最後に二千里が残ったものの、これには実測の裏付けはなく、従って、残る区間の道里を、里数でも所要日数でも、表現されなかったと見るのです。
未完
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