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2019年1月10日 (木)

倭人伝随想 12 里数・日数の虚実について 1/3

                          2019/01/10
 ここまでの記事を振り返ると、「里数・日数の虚実」に付いて、念押しが不足しているようなので、念には念を入れます。

*「従郡至倭」の整合性
 ここまでに、「従郡至倭」が、「萬二千里」と「水行十日陸行一月」の二種の表現、つまり、道里と所要日数の二種で表示されていて、水行、陸行、ともに一日三百里でほぼ整合することを述べました。四十日掛ける三百里で万二千里という勘定です。
 つまり、総計計算の辻褄が合うように、具体的な里数や日数が書かれている(演出されている)ことになります。

*実測説の否定
 これは、魏使の実際の行程が反映されているとの仮説を否定するものです。
 途端に、これは「虚像」で、史実、つまり「実像」を述べていないウソとの非難が想定されます。しかし、これは、幾つかの意味で不当な非難です。

*里数・日数の目的

 里数、日数は、郡倭間の通信日数を定めるものであり、責任者を処断すべき厳格必達の規定です。郡太守の「首」がかかるのです。中央政府は当然、関係者が保身のために(過度に)規定を甘くする事は認めないので、誇張や嘘は、度を過ごせば厳罰対象です。つまり、保身と厳正さを両立させるのが、日数、里数記事であり、不確かかも知れない里数を織り込んだ数字は、立派な記事なのです。

□虚実の混じった話
*虚像の効用

 良く言われる「虚像」とは、光学的に言うなら目に映る姿であり、人の世は、目に映る姿に反応しているから、実際上精確な姿なのです。そして、手に触れて実感できる限り、何も不合理なことはないのです。

*実像の効用
 「実像」は、光学的に言うと、像の場所に白紙を置けば、画像が表示される状態で、大抵、「実像」は天地逆、倒立です。正確であっても、天地逆なので、倒立実像を見る眼鏡は、実生活で着用できないのです。

 因みに、「実像」でなければ「見えている」ものの姿を感知できないので、「虚像」でないのは明らかです。網膜に映し出されている倒立実像を、脳が天地逆転して理解するので、実生活に支障が無いのです。

*廃語の勧め
 「実像と虚像」に含まれる価値判断は、長年比喩として通用しているから、今更訂正できないという見方もあるでしょうが、これほど不合理な比喩は、現世代の責任で、後世に引き継ぐことなく、廃語としたいものです。

                                未完

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