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2019年3月19日 (火)

新・私の本棚 「邪馬台国」徹底論争第1巻言語、行程・里程編 4-11

 新泉社 1992年6月刊 東方史学会/古田武彦編     2019/03/19

◎倭人伝に見られる交易と諸国統治 奥田 尚
 突然出て来る「知られているとできる」なる基本動機が、何のことかわからず、かなり苦心したことを述べておきます。

 多分、口頭であれば抑揚などで意味が浮かんでくるのでしょうが、紙上では、何のことやらわからず、当記事全体を読んで解決するしかなかったのです。まるで、倭人伝語法みたいな話しです。やはり、公開の場での講演では、ありがたいお題目と言わず、一度は噛み砕いて欲しいものです。

・学会衆知という正義
 と言うことで、当方の理解で「広く知られていると見ることができる」、学界で衆知の事項を基に、史料を解釈するものであり、言い訳として、「史料に書かれていても、限られた字数で書かれていることだけでは無用に限定されるので、業界の共有知識を基に行間を読み解く」との趣旨のようです。

・学会の保守性
 古田氏は、史料の意義は、資料自体から読み取るべきだとしていますが、古代史学界には、この考えの対極に立つ方が多いようです。

 そのため、当方のような外部の者から、「先入観が先行して、それに合わせて史料を読み替えるのは、非科学的な邪道ではないか」の批判を浴びるのですが、関係者にしてみると、そういう環境で育ったので、それが当然、それに反するものは邪道ということで、交わらない平行線です。

 まあ、このように明言いただいただけ、勉強になったのです。

・醸される風説
 この辺りで不安になったのですが、結局、倭人伝当時の世相を説かれているだけで、なんで、それが、「われわれ歴史研究者」なる業界人の常識なのか、意義のほどが一向に伝わってこないのです。

 後半に、後世風説が説かれ、「一見商人、相手の防衛が整ってなければ海賊になって掠奪し、整っていたら商人として交易する「倭寇」」というような風説を書き飛ばしますが、三世紀世相がそうだったという憶測は、どう授かったか神がかりか、不明です。学説にも何にもなっていません。

・癒やしがたい史料不信
 氏は、倭人伝用語で飴細工をこね上げますが、倭人伝にはそのような創作の素材となる記事はありません。つまり、史料のつまみ食いで自分の世界観を言い立てる行き方のようです。

 最後に付け足しのように、「当時往来活発だから、里程を知ることができたはずなのに、不完全な記事なのは、帯方郡あたりで造作したわけで、そんな里程記事を検討しても無意味だ」という趣旨の断定で終わっています。

 ここまで書いたように、当方は、このような姿勢に断然反対であり、盛大にブーイングを送るわけです。さすがに、生玉子を投げつけはしませんが。
                             この項完

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