新・私の本棚 「邪馬台国」徹底論争第1巻言語、行程・里程編 8-11
新泉社 1992年6月刊 東方史学会/古田武彦編 2019/03/19
◎『穆天子伝』の証明と短里10の論点 古田 武彦 [承前]
1.4 端(はした)の無視
倭人伝里数が二千里刻みの概数と見ると、桁下の百、二百、五百、六百、八百里の「はした」は、全里程計算で無視してよいのです。
◎『穆天子伝』の証明と短里10の論点 古田 武彦 [承前]
1.4 端(はした)の無視
倭人伝里数が二千里刻みの概数と見ると、桁下の百、二百、五百、六百、八百里の「はした」は、全里程計算で無視してよいのです。
1.5 部分の合計計算
つまり、郡末羅一万里の部分計は、郡狗七千里と狗末の三千里の加算であり、両島半周八百、六百里は、出る幕が無いのです。
つまり、郡末羅一万里の部分計は、郡狗七千里と狗末の三千里の加算であり、両島半周八百、六百里は、出る幕が無いのです。
1.6 最終行程里数の推定
末羅から倭都に至る筑紫行程の最終里程は、百里単位里程の端数処理もあって不明不定であり、簡単に計算できません。
と言うものの、等式の左辺右辺は等しく、概算二千里は、五百里から三千里のどこかとなるのです。概算の常で、部分と全体が互いに輻輳する余波で、「二千里」の幅は随分大きいのです。
念のため言うと、渡海一千里三回、三千里、筑紫行程二千里程度、郡狗七千里それぞれの不確かさとは言え、概数扱いに大差ないと見ての推定です。
末羅から倭都に至る筑紫行程の最終里程は、百里単位里程の端数処理もあって不明不定であり、簡単に計算できません。
と言うものの、等式の左辺右辺は等しく、概算二千里は、五百里から三千里のどこかとなるのです。概算の常で、部分と全体が互いに輻輳する余波で、「二千里」の幅は随分大きいのです。
念のため言うと、渡海一千里三回、三千里、筑紫行程二千里程度、郡狗七千里それぞれの不確かさとは言え、概数扱いに大差ないと見ての推定です。
1.7 総評
倭人伝の里程の内、郡から倭に至る行程の部分里数を全部足すと、全体里数一万二千里に等しい、と言う定理は、適切な概算をすれば正しいのです。
倭人伝の里程の内、郡から倭に至る行程の部分里数を全部足すと、全体里数一万二千里に等しい、と言う定理は、適切な概算をすれば正しいのです。
2.「倭人伝の里は、すべて、「短里」で書かれている」
郡狗行程里数は、郡に既知で、かつ、七千余里、七千里前後と明記され、これは、中国里と異なり一里七十五㍍程度の短里と思われます。
郡狗行程里数は、郡に既知で、かつ、七千余里、七千里前後と明記され、これは、中国里と異なり一里七十五㍍程度の短里と思われます。
2-1 地域短里宣言
郡狗七千里明記は、倭人伝「地域短里宣言」で、以下、改めて特記のない限り短里です。これを否定するには、宣言そのものを否定しなければなりません。
郡狗七千里明記は、倭人伝「地域短里宣言」で、以下、改めて特記のない限り短里です。これを否定するには、宣言そのものを否定しなければなりません。
3.「倭人伝の里は、三国志の里と同一である」
古田氏は、倭人伝に先立つ序文で独自里制が明言されてない以上、倭人伝里は三国志里と同一と断言しましたが、私見では、誤解と思います。氏の思い込みに拘わらず、三国志里が倭人伝短里と確認されてないのです。
古田氏は、倭人伝に先立つ序文で独自里制が明言されてない以上、倭人伝里は三国志里と同一と断言しましたが、私見では、誤解と思います。氏の思い込みに拘わらず、三国志里が倭人伝短里と確認されてないのです。
*見当たらない里制変更史料
魏朝が里制を変えたという記事は、三国志に無いと見ます。また、後継晋朝の正史晋書の地理志にもその記載はないと見ます。魏朝が国家制度として里制を変えなかった以上、三国志魏書の通用里長は、暗黙の当然として秦漢以来の「普通里」であり、短里でないと、ほぼ断定できます。
魏朝が里制を変えたという記事は、三国志に無いと見ます。また、後継晋朝の正史晋書の地理志にもその記載はないと見ます。魏朝が国家制度として里制を変えなかった以上、三国志魏書の通用里長は、暗黙の当然として秦漢以来の「普通里」であり、短里でないと、ほぼ断定できます。
この項完
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