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2019年5月

2019年5月26日 (日)

新・私の本棚 番外 歴史秘話ヒストリア 「まぼろし」の王国 ニッポン 2-2

「歴史秘話ヒストリア まぼろしの王国 銅鐸から読み解く ニッポンのあけぼの」
私の見立て ★★★★★ 必聴 (NHKオンデマンドで公開中) 2019/05/26

*毛利の遺訓
 後世、山口の大内氏が大軍を率いて上洛し、反抗勢力の鎮圧に奮戦しても、将軍権力は復興しなかったのです。中国中部の地場勢力毛利氏は、大内氏の下、悲惨な戦いだったとのことです。後に、取って代わった毛利元就は、「天下を狙うな」と遺訓したほど天下の重荷に懲りていました。説明者が「天下」に高い意義が認められていたと思う時代も、その程度です。

*規模の得
 別の言い方をすると、「規模の得」がなければ、勢力拡大しても国力を損じ、衰退するのです。農耕社会に他国の住民を取り込んでも、食糧消費が増大するほどに増産効果は無いのです。骨折り損の草臥れ儲けという風情です。
 と言うことで、氏の言う「歴史の必然」による統一国家形成は「なかった」のです。倭人伝が描くのは諸国併存、共存で、女王の専政など描かれていないのです。

銅鐸風俗の終焉
 言い古されていますが、阪奈勢力の銅鐸風俗は、領域内で長年安定して存在したが、古墳時代開幕前に、忽然と終焉したと言います。有力な説明は、銅鐸に一顧だにしない勢力が侵入して支配層を駆逐したとの簡明な絵解きで、図示すら必要ないのです。
 阪奈勢力に執着する学派は、頑として、そのような政権交代を認めないし、女王が、銅鐸の影が見られない筑紫にいた可能性も認めないから、何とも、不思議な説明になっています。不思議な偏向と言うか欠落です。

*全国一律か地域独立か
 過去の別番組では、結構な費用を掛けたと思われる演出で、列島全体が迅速に一つの風潮に染まるような「絵」を次々書き替えては、無理矢理視聴者に押しつける「紙芝居」で、時代風潮の浸透と推移を描いていましたが、今回の番組制作者は、今回の打って変わった局地的演出について、何も思わなかったのでしょうか。

*銅鐸工房の盛衰
 素人の勝手な推定ですが、絵解きされた銅鐸工房の流れを見ると、数世紀の安定の果て、大型銅鐸が、適者生存の原理による諸工房淘汰を齎したと思われます。

 同一形状の銅鐸を暦年製造するのは、伝統の代々継承で対応できますが、大型化を迫られると伝統「ノウハウ」は無効で新規技法開発が必要です。「ノウハウ」は、要するに失敗回避の知恵です。ノウハウなき工房は、失敗連続で首になり、雇い主はノウハウのある失敗なき工房を雇うのです。

 講釈師まがいの戦国絵巻と違い俗受けしなくても、あり得る流れでしょう。

 そして、銅鐸巨大化の結果、一部工房は「天下」を把握したが故に、衰亡の道をたどったのです。何しろ、小ぶりの銅鐸なら、数の威力で数年に一回更新されたでしょうが、巨大銅鐸はめったに更新されず、大型化した設備も空しく、遊休工房と化したと思われるのです。閑古鳥、ぺんぺん草です。
 また、信仰の伝統を踏み外した巨大銅鐸は、吊して鳴らせないために、参拝して願掛けできない姿になり、氏子が挙って見放したのかも知れません。何の記録もないので、勝手に言うのです。

□結語
 いろいろ説明を頂いたものの、実見、実証部分の丁寧さの割に、論考部分は、先の戦国「イメージ」談義のように、現実を離れた、詰めの甘い、独善的な内容になっていて残念です。
 大体、古代史談義に、「イメージ」のように意味のいい加減なカタカナ言葉を援用したり、「まぼろし」の王国と称するのは、時代錯誤めいて、軽率不用意です。別番組と違い、惜しい脱線ですが。

 いや、当番組と言えども、近未来、別番組進行役のもと、ジャンク番組化を危惧させる惹き句を唱えているので、少々心配ですが。

                                完

新・私の本棚 番外 歴史秘話ヒストリア 「まぼろし」の王国 ニッポン 1-2

「歴史秘話ヒストリア まぼろしの王国 銅鐸から読み解く ニッポンのあけぼの」
私の見立て ★★★★★ 必聴 (NHKオンデマンドで公開中) 2019/05/26

□総評
 当番組は、バラエティー番組でなく、参考文献まで明らかにした歴史情報番組であり、敬服に値します。
 とはいえ、原題の「まぼろしの王国」は、誤解必至でこれでは「ニッポン」は「まぼろし」との意となりますが、それで良いのでしょうか。当ブログは、勝手に補筆しました。

□偏った検証
 当の銅鐸談義で不思議なのが、銅鐸が近畿固有だから仕方ないのでしょうが、近畿東海圏で懸命に辻褄合わせしていることです。
 まずは、舌が銅とか言っていますが、元々、鐸は、鳴らすもので、銅の舌を使うのが銅鐸、木片で叩くと木鐸です。銅は鐸の材質ではないのです。
 極めつけが、どこやらの宗教施設に阪奈勢力(ここではそう呼ぶ)が総集合して、卑弥呼を共立したとの、筑紫も吉備もない無法な独断です。事は、倭人伝記事の解釈ですから、孤説としての畿内説の支持はともかく、学術論で、僻遠の筑紫を無視するのはどんなものか、大いに疑問です。

□迷走する銅鐸消失のなぞ
 また、阪奈勢力の支配圏で数百年祭器に使用され、末期には、巨大な権力象徴となっていた筈の銅鐸が、忽然途絶した図式に、説明が付かないのです。
 古代において、宗教は、家族、さらには、氏族全体で讃えていたので、統治者個人が、自身の信仰として銅鐸を棄てて別の「シンボル」に乗り換えるようなことはできないのです。まして、銅鐸に仮託した「国家信仰」を大々的に破壊、廃棄したという説は、ただだれかが言い立てていると言うだけでは信じがたいのです。

□意味不明の例え話
 説明役の歴史学者の説明が何ともお粗末です。後世の戦国時代の様相を「イメージ」と言うのですが、まさか、調理具材の盛り付け見本の言い訳でもないでしょうし、宗教の偶像画でもないでしょうが、いずれも、せいぜいが、小説、映画、テレビドラマの世界であり、要は、学問的成果で使うべき言葉ではないのです。御自分の言う事が、面識もなく、問い返しもできない、一般の視聴者に正しく伝わらなければ、折角のご託宣が、ただの寝言になってしまうという恐れはないのでしょうか。
 さらにまずいのは、戦国乱世での天下統一の動きが歴史の必然で徳川政権に収束したとの安易な絵解きで、一般視聴者もこれには納得しないでしょう。何のための類推かわかりませんが、子供もだませない、子供だましと思われる時代錯誤と状況錯誤です。

*虚妄の天下、分相応の天下
 言い立てている「天下」は虚構です。三世紀、文字も文書連絡も無く、自分の領分以外は一切不詳不明で、天下はなく統一の気概もないのです。かたや、戦国時代は将軍権力が京都周辺にしか通用していなくても、「天下」の意識はあったのです。
 因みに、当番組の後の「三好長慶」特集では、室町末期、「天下」とは畿内のことだったとされていました。それなら、当時の政権、衰退した室町将軍の支配範囲が「天下」なので分相応と言うしかなく、太古以来、そのような理解であったとすれば、特に驚くことはなく、後世人が勝手に「天下」とは日本列島全体だと言い立てていることになります。いや、人の話は聞いてみるものです。

*無意味な覇権
 古代に覇権の意義はないのです。物資の大量輸送ができない、貴金属などの財宝がないう背景では、隣国侵略で得るのは土地と農民であり、下手をするとお荷物です。広域を制覇しても、遠隔地とは連絡困難、派兵徴兵は一段と困難で、多くの犠牲を払って武力制覇、広域支配しても無意味なのです。
 戦国時代とて、覇権に意義があれば、早々に収束していたはずです。

                                未完

新・私の本棚 石野 博信 古代住居のはなし 2-2

 私の見立て ★★★★★ 必読 西川弘文館 1995年5月刊  2019/05/26

□倭人伝記事について
 倭人伝の文献解釈の中でも、風俗記事の読みには、異議が出ます。
 とかく言われるように、考古学に文献解釈を持ち込むのは、考古学の主体が失われるので、禁物であり、参考データとしてのみ利用すべきでしょう。
 倭人伝の文献解釈は、いろいろな外的影響、特に、国内文献による汚染が避けがたく、結果として、諸弊害を呼んでいるようです。

*個室観
 倭人伝には、(そこそこの地位の住民の)家屋は部屋仕切りがあり、夫婦兄弟の居処臥所は別とありますが、簡潔な書きぶりで、夫婦がそれぞれ別室、子供も一人一人別室と読むものかどうか見定めがたいように思うのです。
 つまり、そうかも知れないし、夫婦寝間と子供寝間が別なだけかも知れないのです。もともと、帯方郡書記の現地報告を、現地勘のない広壮な屋敷住まいの洛陽人が要約したから、そのつもりで読まないと誤解になるのです。
 いずれにしろ、当時、各部屋は隔絶されず、中央部の囲炉裏を囲むように配置されて仕切られていても、入り口は開いていたでしょう。風通しのよい作りで、近年のようにプライバシーはなかったはずです。

*寝所観
 子だくさんの親子が限られた場所で寝起きするのだから、夫婦の間に子供が入った川の字なり、男児と父親、女児と母親が別寝間だったかも知れないのです。後年の万葉集に書かれた風俗ですが、相通じるものがあるはずです。
 石野氏は、大家族雑魚寝でなく、個室育ちだったのでしょうか。

*纏向首都観形成以前
 意外にも、本書執筆時の石野氏は、纏向首都観でなく唐古・鍵遺跡を重視されていて、纏向は、箸墓古墳など古墳群の付帯設備と見ているようです。現今の強引な纏向首都観は、この後、急速に造成されたようです。

*鬼道について
 倭人伝の「鬼道」を新来宗教と見ますが、ご先祖さま信奉から渡来宗教への変心は、古老が認めないでしょう。「鬼道」は、倭人の伝統的信仰であり、卑弥呼は、その「巫女」育ちと見ると筋が通るように思われます。


□結語
 と言うことで、本書において、氏の見識は、遺跡、遺物という「現実」に根ざし、後のように畿内説の窮地救済の使命はみられず筋が通っています。

 この後、氏は、纏向遺跡の旗頭に祭り上げられ、崇高な使命感に燃え、素人目にも無理な理屈を通そうとしているので、誠に痛々しいのです。先日の最新テレビ番組では、石野氏自身、(何年かかろうと、何億円かかろうと)、纏向全域を掘り尽くしてでも、自説の裏付けを掘り出してみせる、と言う感じの檄をぶっているのです。

 氏の学術論考の原点を思い出していただきたくて当書評を公開します。

                               

新・私の本棚 石野 博信 古代住居のはなし 1/2

 私の見立て ★★★★★ 必読 西川弘文館 1995年5月刊  2019/05/26

□総評
 本書背表紙の惹き句が、今日溢れるこけおどしの惹き句とは別次元で、誠に端正、的確に本書の意義を訴えます。

 「古代の人々は、どのような家に住み、どのような生活をしていたのだろうか。全国各地の遺跡の発掘成果をもとに、住居の構造や材のしくみを解き明かす。さらに、対外交流にも着目して、日本人の住まいと暮らしの原点を探る。

 石野氏の本著作は、堅実で、遺物、遺跡の実見に根ざした、広範な知見に基づいて思索しているので、この惹き句に付け加えることはありません。古代史を学ぶものには、必読書です。

以下、勝手に書き述べているのは、素人の率直な意見に過ぎません

*ゴミ捨て場の土器片について
 遺物の観察により、いずれの大規模集落もゴミ捨て場があったと見ていますが、一方、継続的に破損土器類の廃棄を行ったにしては少量とみています。
 素人の勝手な推測ですが、人が愛用する器物にはその人の魂が染め付けられているとして、葬礼で持ち物を副葬し、それ以外は、形見分けされ、さほど重要な人物でない時は山野にばらまいて自然に返したかなどと思います。つまり、よく言われる共同ゴミ捨て場は、厄落としの穴かもしれないのです。
 いずれにしろ、当時の人々の行動は、文書記録されていないので、憶測しかないのですが、根拠のない思い込みになっていないでしょうか。
 いずれにしても、各地の住民が重大な土器を携えて山川越えて、首都に来駕するという図は浮かんでこないのです。何かの思い過ごしではないでしょうか。
 逆に、現地の窯業関係者の食を絶やさないために、ある程度の土器が、次々に廃棄される仕組みがあったのでしょう。

*枘穴加工について
 石野氏は、冷静に遺跡、遺物を観察し、通常想定されるより以前から、柱の木材に枘穴(ほぞあな)を設け、他の柱なり、梁なりを貫通させる構造を想定していて、それを、外来の新技術の表れとみていますが、ちょっと、不思議な言い回しです。
 柱材に使用されている丈夫な木材に貫穴を加工するには、鋭利で頑強な鉄製工具が必要です。いくら新技術を学んでも、実現手段がなければ、「猫に小判」、歯が立たなければ食べられないのです。

*扠首屋根
 家屋の屋根は、ある程度大きくなると、各材の組み合わせに、特別な技術が必要なのですが、その一つが扠首(さす)構造だそうです。
 氏は、白川郷の合掌造り家屋の屋根に、扠首構造を見いだして、これが、遙か昔、あるいは、弥生時代から行われていたのではないかと推定しています。合掌造り家屋の屋根は、最小限の枘組、貫穴によって各材をくみ上げ縄まきで締め上げた構造で、長年の風雪、積雪の荷重に耐えています。
 
 全体として、鉄製製材大工道具を駆使した技術集団が来訪したようです。

                               未完

2019年5月23日 (木)

今日の躓き石 名人戦共催 毎日 第一局観戦記の問題発言 「名人は最強ではない」

                      2019/05/23
 今回の題材は、毎日新聞に掲載された将棋第77期名人戦第一局観戦記(4月28日朝刊掲載の第二回)であるが、名人戦開催中は、商売の邪魔をしないように手元に止めたもので、それ以外は、公開を遅らせた事情はない。

 当観戦記の筆者は、かなり高級な立場にある方のようで、高みから対局者を見下ろす、不愉快な発言が時折見られて、味が悪い思いになることがあるのだが、今回は、特に度を過ごしていると思うのである。

 今回の挑戦手合いは、棋界最高峰の名人に、上り調子、充実の挑戦者という触れ込みなのだが、いきなり、「軽いめまい」に襲われた観戦記者は、二回目にとんでもない発言を公開したのである。

 「現時点の将棋界は豊島・渡辺の2強状態。佐藤は名人として、そこに割って入る使命があると思う。

 将棋に詳しい方ならご存じの通り、「渡辺」は、渡辺明であり、目下タイトルを二冠保持しているとは言え、昨年、最高のA級順位戦から陥落して、いわば凋落した身であり、主催紙の連日のA級順位戦紙面から姿を消していたのである。つまり、主催紙読者の意識から去っていた圏外棋士だったものを、観戦記で、どうしてこのように称揚するのか、突然、意外であって、意図が理解できないはずである。

 当観戦記でも、第一回で、挑戦者の活躍の引き立て役として、挑戦者は「渡辺明王将とともに頭一つ抜け出した印象だ。」とされているだけで、降級していたB級1組からA級に復帰したばかり、などの背景は語られていない。
 それだけの前触れで、ここでいきなり、挑戦者と並べて、実力最強と評され、現役名人は、他社主催戦での成績が今ひとつだという理由で、最強の地位に並んでいないのである。最高位を争う熱戦を期待している主催紙読者としては、大いに不満では無いか。

 あるいは、これまでのA級順位戦観戦記で、その場にいない渡辺の活躍について、余談として触れたかも知れないが、当観戦記は、名人戦観戦記という格別の舞台であり、読者は、別に当観戦記者の愛読者ばかりではないのである。

 ついでながら、目下、将棋名人戦は、毎日新聞社と朝日新聞社の共同主催であり、朝日新聞社としては、棋界最高峰の挑戦手合いとして担いでいるものが、実は、そうではないと、貶されていることになるのである。心穏やかで無いはずである。

 もちろん、現役名人も、よその紙面での結果がもう一つで、大したことない、弱者だ、この際奮起して頑張れ、と冷水を浴びせられて、大変不満だったはずである。まして、名人としての使命をド素人から諭されるなど、問題外である。

 当観戦記者が、別の媒体で、独立して戦評を書く立場なら、名人戦主催紙の権威を落としてでも、自身の人気取りをしても許されるかも知れないが、主催紙の観戦記を任されている「プロ」の文筆家であるから、この書き方は、随分軽率ではないかと思われる。

 また、一読者としても、それぞれの熱戦を楽しみにしている対局に対して、主催紙自らが、開幕局早々にケチを付けている紙面を見て、大いに、失望したのである。冒頭に書いたように、本来、すかさず批判するところであったが、商売の邪魔をしないためにずらしたものである。結果論で手は入れていない。

 今回の事例は、新米の勘違いというわけでもないから、当の観戦記者は、日頃から、高みにあって淡々と持論を披瀝しているのだろうが、読者は、そのようなご託宣など、見たくないのである。そう、これが最初の暴言ではないのである。

以上

 

 

2019年5月22日 (水)

Mistaken for granted. Thoughts on alien chess Queen in 将棋

             2019/05/21

This is my personal responsive opinion on the following column on Mainichi newspaper website.

Edging Towards Japan: The 'queen' of the board's shifting status in chess and shogi
May 21, 2019 (Mainichi Japan)  Damian Flanagan,

I for a day or so, deeply considered how to rectify this misleading column on misunderstood appreciation of Japanese Shogi tradition, and decided to pause my sincerest objection here.

*No Kings in "日本"
First of all, there never has been any Kings in "日本", usually translated as “Japan”. This two-letter Kanji word is pronounced as "Nippon" or "Nihon" as commonly known here.

To make it clear, no King means no Queen.

Nippon "日本" was announced at the beginning of the western 8th century.

*Slightly offtopic but an essential lecture on the first "女王" in history
Before "日本", Chinese history record covering the third century of the three kingdoms shows that quite "recently" a (male) King in this territory was challenged and dethroned, and succeeded at the long last of the internal conflict by a young woman, who is known to be the first woman ruler, described as "女王", literally a “woman King”, not the Queen.

Reportedly and/or speculatively, she was born as a royal daughter, and raised as a priestess like vesta, who happened to be throned for her parentage and granparentage as well, and highly regarded priestesshood, so she was not to get married for life; this lone "女王" naturally had no spouse.
No Japanese language record is published for the virgin female King because there was no local language.

The Chinese record does not mention how the original King's wife was called; there was no Chinese word for Her Majesty.

*"皇帝" and "天皇"
To have more proper thoughts, it must be mentioned that the Chinese rulers are titled as "皇帝", the ultimate and supreme ruler over Kings, Dukes, and Barons, similar to the western Emperors. Anyway, Chinese "女王" is not a significant title.
Thus, the Kanji word "女王" as the ruler of the country has no place in the Japanese tradition.

As recognized, Japanese government has the "天皇" translated to His Majesty The Emperor, whose wife is entitled ”皇后” or Her Majesty The Empress. "No King, No Queen".

Traditionally, “女王” has been and is a title to the daughters of the Emperor, which is quite different from Queen.

As said above, "女王" as a common translation of western Queen, although so fairly common, indeed is a mistranslation. As said above, it is mistaken for granted.

*Thoughts on Shogi pieces
There indeed is another piece of misunderstanding regarding Shogi pieces.
First of all, Shogi pieces are considered as imported, at latest, at the end of 12th century. This incidence alone rules out importing of "Chess" pieces with "Queen"s. Thus, Shogi never had "Queen"s.

*Doubly Erratic “王将”
To begin with, no Kings at all ruled in the recorded history of "日本". So, the “王” can't be a King ruling the board.
More important discussion follows below.

*“王将” is not a King
Literally, “王将” is not the ultimate ruler but a "将” general serving the supreme ruler in time of war.

*Redisocvery of “玉将”
There's a solution to demystify the problematical “王将” piece. The original terminology must be “玉将”, where "" means highest treasure of jade as recognized by the Chinese emperors. Coincidentally or not, a full set of Shogi pieces contains one “王将” and one “玉将”.

*Cone-shaped treaure mountain
Thus recovered, the first row pieces are deciphered as treasures of "香" incense, "" sweet osmanthus, "" silver ,"" gold, "" jade, in an ascending order of their value. By the way, Japanese "" is quite different from Chinese "" to make some confusion.

Thus recovered, the game of Shogi may be interpreted as a treasure commerce game, not a war game at all as commonly mistaken for granted.

*"女王" on top of the generals
If a "女王" (Queen) piece exists on the Shogi board, “王将” must be her subordinate although highest ranking among “将”s.

*No "女王" in Chushogi
Additionally, there's no Chushogi piece named as “女王”, but "奔王" with Queen-like capability of movement. "奔王" can't be a pseudonym of a “女王”.

*Forgotten guardian angels of Chushogi
While talking on Chushogi, it must be corrected that the historical game survived until today with the significant support by core-fans including, but not limited to professional Shogi players like legendary great grand master Ōyama Yasuharu.

*Possibly a mistranslation
The published Japanese translation mistakenly reports the end of the game on the late 1930s, but it may be due to mistranslation. The English version seems to say "was" to report its existence; if extinction is meant it must clearly say "had been". Anyway, it is an uncomfortable statement for the supporters.

*Ending note
With all said, I would like to thank the author to mention some delicate and important aspects of the Japanese culture. My above complaint is composed in a haste to rectify the “mottainai” misunderstandings due to lack of proper advices that is quite unsuitable to the author.

E. & O. E.

2019年5月21日 (火)

倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 余録 「短里混在」一括否定の無理

*風評への弁明
 以下は、引用で無く、次の「風評」に対する当事者の弁明です。
 『倭人伝のみを「短里」とする「短里混在」説があります。これは、三国志全体は長里で、一部に「短里」が「混在」するという立場ですが、成立困難です。

*「混在説」でない「地域短里説」
 当方は、ここで成立困難とされている倭人伝のみを「短里」とする説を採るものですが、どんぶらことばかり「混在」説と呼ばれると異議があります。
 追い打ちで、三国志全体が長里なら倭人伝も自動的に全部長里となるべき所、一部に短里が紛れ込んでいるという「立場」を押しつけていますが、そのような立場をあてがうのは、論考の内容にお構いなしに、「成立困難」、「支離滅裂」と罵倒しているに等しいのです。

*不条理な決めつけ
 当方は、「地域短里説」、つまり、地域限定した議論で、「倭人伝」は地域限定の短里(のみ)で書かれているという排他的でない主張であり、「倭人伝」内に「短里と長里が混在している」と決め込んだ主張をしているのではないのですから、想定いただいた「立場」には立っていなくて、提供いただいた呼び方は、理屈が立たないのです。

*学問的立証
 また、そのあとで、学問的に成立困難と断じていますが、提示されているのは、文献としての「倭人伝に実際に書かれている里長を実際の地理に当てはめると、そこに短里が敷かれていたと判断できる」と言う主張であり、これは、無理なく、何の困難も無く、学問的判断と言えるでしょう。
 勝手な決めつけを排すると、「倭人伝領域で短里が敷かれてなかった」とする決め込み(勝手な思い込み)に対する学問的な論証は確立されていないのです。

*混在説の行方
 ご指摘の「混在説」の提唱者は、「それ以外の領域で短里が敷かれていなかった」と論証する義務が生じますが、当方は、「領域外の里長に関して何も主張していない」のですから、そのような立証義務はないのです。

*領域外の証明
 むしろ、領域外で短里が敷かれていたのか、長里が敷かれていたかを論証するのは、そちらの責任でしょうと言いたいところです。御自分の論証すべきことを当方に押しつけて、「成立困難」、関西弁で言うと「せいぜい、お気張りなはれ」といわれても、同感しがたいのです。

*突き詰めた果て
 「突き詰める」と、倭人伝領域に制度として短里が敷かれたとする「学問的な」根拠が無いということのようですが、まずは、お互いの話として、当時地域でどのような制度が敷かれていたかという文献証拠が一切無いのをどうしろというのかということです。

*無理な魏晋朝短里
 別途論証したように、中原政権(曹魏)が国家制度として、短里を敷いたとする学問的な証拠は「一切無い」のです。むしろ、「そのような里制変更は無かった」とする証拠が多く得られています。地域外を論じない、つまり、排他的でない地域短里説を排除するために「魏晋朝短里」の視点を起用しても、学問的に立証されていないという事実に変わりは無いのです。

*証拠なき論より、自律する証拠
 これに対して、当方は、先に挙げたように、それでも、実際に「倭人伝は短里で書かれている」とする、論より証拠の「地域短里制」の主張です。

*困った時の否定論
 空耳かも知れませんが、そのような書き方に前例がない、は否定論に窮した時の決まり文句ですが、現に、倭人伝はそのように書かれているのだから、これ以上に「学問的」な証拠は無いでしょう。

*残された道
 むしろ、様々な選択肢が全て「無理」として否定された後に残る、唯一否定しがたい選択肢ですから、これが正解という思いがあるのです。

以上 

2019年5月20日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞のスポーツ報道は水準以下 リレーの「リベンジ」

                          2019/05/20

 今回の題材は、毎日新聞のスポーツ報道であるが、紙面の記事でなく、ネット記事である。
  「安全バトン」でリベンジ 男子400リレーV「世界」へ自信
毎日新聞2019年5月19日 20時07分(最終更新 5月19日 20時08分)

 リレーチームがリベンジを果たしたと言うが、前回レースは、自分たちの不手際で失敗したのであり、誰を恨むこともできないはずである。メンバーに聞いてみないとわからないが、まさか、審判を恨んでいたのか。それで、パトンを叩きつけるたりしたのか、などと要らぬ心配をしてしまう。

 毎日新聞の記事は、選手達に野蛮な復讐の悪習があると非難した上に、前回は「お手玉」したので。今回は、受け手を見てから出す、いわば後出ししたと、きつく揶揄して、二重に罵倒しているように見える。
 当方の意見では、連敗して観客をとことん失望させる訳にはいかないという必死の思いを大事にしたい。いくら権威のある全国紙でも、ここまで、選手達を踏みつけにすることはないのではないか。

 因みに、グーグルニュースで各紙、ネットニュースの見出しを眺めると、スポーツ紙などでも、わざわざ「リベンジ」を言い立てているのは、決して多くはない。全体として、メディアの良心は失われていないということである。

 して見ると、毎日新聞スポーツ担当は、自分たちの使う言葉に無頓着で、品格が地に墜ちていることになる。正気に返って、この辱(はじ)を雪(すす)いで欲しいものである。くれぐれも、当ブログに向かって石を投げるのはご勘弁いただきたい。ネット記事は、訂正ができるので、不適切な言葉で選手に不快感を与えたことを詫び、撤回したらどうかと思うのである。

 リベンジなどと言い換えて、逆恨みや八つ当たりなど、最低である。いや、これは、スポーツ選手に言っているのだが。

以上

2019年5月16日 (木)

今日の躓き石 毎日新聞の曲がった意識 「盗撮でリベンジポルノ」

                              2019/05/16

 今回の題材は、毎日新聞朝刊大阪13版であるが、言葉遣いの乱調が常態のスポーツ面ではなく、毎日新聞の品格をしめす社会面の記事である。

 まず、見出しが乱調である。「盗撮でリベンジポルノ」とあるが、記事本体と隔絶していて、まるで、スポーツ紙のあおり見出しである。 そこで、一読者の怒りの表現として、以下のように書き綴った。同意していただけるかどうかは、当記事の読者次第である。

 また、いやな文字を見てしまった。まずは、売り物の見出しである。この書き方は、「盗撮」を指弾していても、「リベンジポルノ」は、社会的に認知された言葉であって、特に問題視されていないようにも見える。いや、記者の思いは、断固糾弾かも知れないが、読者が共感していなければ、そうは読めないことに気づいていないのではないか。

 そうしてみると、記事は淡々と手口を書き出して、一応、違法行為としているが、素人目にはむしろ「客観」的な語りである。
 これでは、世論、つまり、男社会に潜んでいる問題意識のなさ、潜在的な加害者造成に加担しているようにも見える。大体、「盗撮」とは、どんなことを言うのか、意識が混濁しているのではないか。隠し撮りでなければ、問題ないのかと言いたくなる。現に、全体の二割程度に盗撮の疑いがあるとされているだけである。
 概して、加害者は多くの場合、処罰されずに逃げ切っているとの書きぶりであり、記事は、被害者にならないようにご注意いただきたいとの指導、助言で締めているように見える。

 担当記者は、こうして、あくどい行為に見出しで唱和して、記事で手口を紹介することで、むしろ、同様の社会悪、犯罪行為の周知徹底、普及拡大を図っているのではないか。「そうか、世間で誰もがやることなのか。俺は、捕まらないようにやってやる。」そう感じて、対策を練る潜在加害者がいてもおかしくはない。

 そもそも、担当記者は、「リベンジ」なる、罰当たりの、しかし、若者言葉として気の効いたとされているカタカナ語の普及拡大に、全国紙として加担,助力していることに、何の悔いも痛みもないのだろうか。これでは、「リベンジポルノ」は、男として当然の「天誅」、天に変わっての「仕置き」ということになってしまうのではないか。

 当犯罪行為に関する報道に際して、このように不都合な見出しを打つことに、そのような意識を感じるのである。当方は、これは大罪であり、そのように罪悪視しているから、憤りをここに示すのである。当方は、昭和前半生まれの老人であるから、若者言葉への嫌悪が先に立っているかも知れないが、個人の意見であるから、偏見は、むしろ当然と胸を張るのである。

以上

2019年5月13日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞の罪深い不見識 「フォルムフェチ」

                         2019/05/13

 今回の題材は、毎日新聞大阪13版教育面のコラム「学校とわたし」である。「フォルムフェチから文字へ」と不吉なタイトルのもと、幼い頃から“フォルムフェチ”だったと吐露しているが、教育面のコラムで、個人が長く秘してきた幼少期からの個性的な性的嗜好を告白することに、どういう教育的価値を見出してのことかと疑問に思う。

 毎日新聞は、殊更に見出しを立てて、フェチシズムの普及を図っているようだが、場所柄から見てどうだろう。もし、これまで異常とされてきた性的嗜好に、毎日新聞として応分の意義を認めるという趣旨なら、このように、あやふやな流れで済ませるのでなく、言葉の意味を子供にもわかるように説明して、堂々と性教育の一環として書くべきである。

 ついでながら、見出しは「AからBへ」と書かれているように見えるが、不祥事とされる性的嗜好と対比されるのが、単に「文字」では、不釣り合いで対比がなり立たないのではないか。これは、単に表現が不出来であるというしかない。

 と言うことで、場違いなコラムで、子供達に困った表現が広がらないかと懸念するのである。

以上

 

 

2019年5月 9日 (木)

今日の躓き石 毎日新聞野球報道「リベンジ」汚染と迷走

                      2019/05/09

 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊13版、スポーツ面の「逆転サヨナラ」ゲーム戦評の締めである。「首位チーム相手に強烈なリベンジを果たした。」と格好を付けているが、何とも、格好の悪い言葉遣いである。

 「リベンジ」なる悪質なだめ言葉談義は恒例であるが、担当記者が理解していないようなので、復讐、いや復習する。

 「リベンジ」は、いわゆるカタカナ言葉であるが、語源が英語とすると、revengeであり、これは、「殺す」とか「死ね」とかに類する、太古以来悪質な禁句である。現代に頻発する報復テロを正当化する言葉だからである。いや、若者言葉では、「テロ」も冗談半分になっているようだが、自爆テロを含み、多数の死傷者をもたらす行為であるから、冗談めかしている場合ではない。

 それが、特にスポーツ分野で蔓延しているのは、むしろ、前近代的な勝負観から来ていて、負けた相手にやり返す、仕返しする、ぶち殺すという不穏な意味になっている。全国紙のスポーツ報道から排除すべきであることは言うまでもない。

 ところが、近年目立っているのは、「再挑戦」の意味の、かなり軽い誤用であり、むしろ、こちらが若者文化の主流ではないかと思うのである。先日も、NHK総合の若者向けスポーツ関連番組で、「リベンジ」が連発されていたが、公共放送も、若者に迎合する時は馬鹿になるという例かも知れない。

 と言うことで、今回の記事を見ると、これは「復讐」と読める。担当記者は、若者言葉に迎合するのではなく、単に、このみっともないインチキな言葉遣いを持ちだしているようである。署名記事とは言え、ここでは個人攻撃とはしていない。全国紙の紙面に掲載される以上、全国紙の基準に沿った言葉遣いになっていると思う。毎日新聞は、血なまぐさいリベンジを公認、奨励しているのか、と言うことでもある。

 後世に残したくない「腐った」言葉が、言葉の護り人として敬意を払っている毎日新聞の紙面に、またまた出回っているのを見るのは、まことに残念である。微力な一宅配購読者として、悪声ながら、一声上げているのである。

以上

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