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2019年5月

2019年5月30日 (木)

私の意見 「いたすけ古墳」の史跡損壊 世界遺産推薦からの除外を!!

                        2019/05/30

 当記事は、世界文化遺産への登録が勧告されている「百舌鳥・古市古墳群 」の中で、「いたすけ古墳」が不適格であることを指摘し、除外すべきと考える理由を述べるものです。

 今回、丁寧に新聞、テレビから情報を収集しましたが、「いたすけ古墳」に、現代の工事用橋の遺物が包含されているのは、世界文化遺産の趣旨に反しているので、一国民として、少なくとも、当該異物は直ちに取り除くべきだと考えます。本来、史跡から排除すべき異物を含めて「史跡」としていることに問題があるのです。

 NHKの番組歴史秘話ヒストリアで、当該古墳の宅地開発事業を差し止めし、史跡としての保存に繋いだ功労者てある宮川 徏氏が橋異物を保存した趣旨が語られていて、声を上げざるを得ないと感じたものです。いや、番組を製作したNHKが、発言をそのまま報道しているということは、NHKはその主旨に賛同しているのでしょうが、当方は、一納税者として、一視聴者として、正直に「反対」と言います。

 当時遺跡として保存することは不要とされていた広大な土地に宅地造成する事業は、何ら不法な行為ではなく、そのような大規模な事業投資で、地域振興に貢献しようとした事業者は、公正な視点で見て、むしろ頌えられるべきです。

 結果として、「いたすけ古墳」が保存の価値のある史跡と新たに認定されたとしても、もともと非難すべき理由のなかった純然たる開発行為を、こともあろうに「原爆投下」に例える趣旨で世界文化遺産の一部として後世に残すのは、大変な見当違いであり、例えた方も例えられた方も大変具合が悪いと思います。
 精一杯和らげて言うと、この発言を聞いた原爆関係者は、古墳群の話題に接する度に、激しいこころの痛みを覚えるのではないかと危惧されます。それ以外にも、この発言は無用の痛みをまき散らします。

 個人的には、そのような意見は脇に置いて、「いたすけ古墳」は「百舌鳥・古市古墳群 」全体の品格を毀損するものであり、少なくとも、史跡でない後世のガラクタは速やかに撤去すべきと思うのです。今が最後の機会と思うのですがもはや手遅れかも知れません。その場合は、これが過ちによるものであって、世界文化遺産の一部でないことを示すべきです。

 手短に要約すると、このような現代遺物を取り除くことを怠っている「いたすけ古墳」は、正当な史跡とは言えないので、世界文化遺産登録から排除すべきではないかと考えるものです。

以上

2019年5月26日 (日)

新・私の本棚 番外 歴史秘話ヒストリア 「まぼろし」の王国 ニッポン 2-2

「歴史秘話ヒストリア まぼろしの王国 銅鐸から読み解く ニッポンのあけぼの」
私の見立て ★★★★★ 必聴 (NHKオンデマンドで公開中) 2019/05/26

*毛利の遺訓
 後世、山口の大内氏が大軍を率いて上洛し、反抗勢力の鎮圧に奮戦しても、将軍権力は復興しなかったのです。中国中部の地場勢力毛利氏は、大内氏の下、悲惨な戦いだったとのことです。後に、取って代わった毛利元就は、「天下を狙うな」と遺訓したほど天下の重荷に懲りていました。説明者が「天下」に高い意義が認められていたと思う時代も、その程度です。

*規模の得
 別の言い方をすると、「規模の得」がなければ、勢力拡大しても国力を損じ、衰退するのです。農耕社会に他国の住民を取り込んでも、食糧消費が増大するほどに増産効果は無いのです。骨折り損の草臥れ儲けという風情です。
 と言うことで、氏の言う「歴史の必然」による統一国家形成は「なかった」のです。倭人伝が描くのは諸国併存、共存で、女王の専政など描かれていないのです。

銅鐸風俗の終焉
 言い古されていますが、阪奈勢力の銅鐸風俗は、領域内で長年安定して存在したが、古墳時代開幕前に、忽然と終焉したと言います。有力な説明は、銅鐸に一顧だにしない勢力が侵入して支配層を駆逐したとの簡明な絵解きで、図示すら必要ないのです。
 阪奈勢力に執着する学派は、頑として、そのような政権交代を認めないし、女王が、銅鐸の影が見られない筑紫にいた可能性も認めないから、何とも、不思議な説明になっています。不思議な偏向と言うか欠落です。

*全国一律か地域独立か
 過去の別番組では、結構な費用を掛けたと思われる演出で、列島全体が迅速に一つの風潮に染まるような「絵」を次々書き替えては、無理矢理視聴者に押しつける「紙芝居」で、時代風潮の浸透と推移を描いていましたが、今回の番組制作者は、今回の打って変わった局地的演出について、何も思わなかったのでしょうか。

*銅鐸工房の盛衰
 素人の勝手な推定ですが、絵解きされた銅鐸工房の流れを見ると、数世紀の安定の果て、大型銅鐸が、適者生存の原理による諸工房淘汰を齎したと思われます。

 同一形状の銅鐸を暦年製造するのは、伝統の代々継承で対応できますが、大型化を迫られると伝統「ノウハウ」は無効で新規技法開発が必要です。「ノウハウ」は、要するに失敗回避の知恵です。ノウハウなき工房は、失敗連続で首になり、雇い主はノウハウのある失敗なき工房を雇うのです。

 講釈師まがいの戦国絵巻と違い俗受けしなくても、あり得る流れでしょう。

 そして、銅鐸巨大化の結果、一部工房は「天下」を把握したが故に、衰亡の道をたどったのです。何しろ、小ぶりの銅鐸なら、数の威力で数年に一回更新されたでしょうが、巨大銅鐸はめったに更新されず、大型化した設備も空しく、遊休工房と化したと思われるのです。閑古鳥、ぺんぺん草です。
 また、信仰の伝統を踏み外した巨大銅鐸は、吊して鳴らせないために、参拝して願掛けできない姿になり、氏子が挙って見放したのかも知れません。何の記録もないので、勝手に言うのです。

□結語
 いろいろ説明を頂いたものの、実見、実証部分の丁寧さの割に、論考部分は、先の戦国「イメージ」談義のように、現実を離れた、詰めの甘い、独善的な内容になっていて残念です。
 大体、古代史談義に、「イメージ」のように意味のいい加減なカタカナ言葉を援用したり、「まぼろし」の王国と称するのは、時代錯誤めいて、軽率不用意です。別番組と違い、惜しい脱線ですが。

 いや、当番組と言えども、近未来、別番組進行役のもと、ジャンク番組化を危惧させる惹き句を唱えているので、少々心配ですが。

                                完

新・私の本棚 番外 歴史秘話ヒストリア 「まぼろし」の王国 ニッポン 1-2

「歴史秘話ヒストリア まぼろしの王国 銅鐸から読み解く ニッポンのあけぼの」
私の見立て ★★★★★ 必聴 (NHKオンデマンドで公開中) 2019/05/26

□総評
 当番組は、バラエティー番組でなく、参考文献まで明らかにした歴史情報番組であり、敬服に値します。
 とはいえ、原題の「まぼろしの王国」は、誤解必至でこれでは「ニッポン」は「まぼろし」との意となりますが、それで良いのでしょうか。当ブログは、勝手に補筆しました。

□偏った検証
 当の銅鐸談義で不思議なのが、銅鐸が近畿固有だから仕方ないのでしょうが、近畿東海圏で懸命に辻褄合わせしていることです。
 まずは、舌が銅とか言っていますが、元々、鐸は、鳴らすもので、銅の舌を使うのが銅鐸、木片で叩くと木鐸です。銅は鐸の材質ではないのです。
 極めつけが、どこやらの宗教施設に阪奈勢力(ここではそう呼ぶ)が総集合して、卑弥呼を共立したとの、筑紫も吉備もない無法な独断です。事は、倭人伝記事の解釈ですから、孤説としての畿内説の支持はともかく、学術論で、僻遠の筑紫を無視するのはどんなものか、大いに疑問です。

□迷走する銅鐸消失のなぞ
 また、阪奈勢力の支配圏で数百年祭器に使用され、末期には、巨大な権力象徴となっていた筈の銅鐸が、忽然途絶した図式に、説明が付かないのです。
 古代において、宗教は、家族、さらには、氏族全体で讃えていたので、統治者個人が、自身の信仰として銅鐸を棄てて別の「シンボル」に乗り換えるようなことはできないのです。まして、銅鐸に仮託した「国家信仰」を大々的に破壊、廃棄したという説は、ただだれかが言い立てていると言うだけでは信じがたいのです。

□意味不明の例え話
 説明役の歴史学者の説明が何ともお粗末です。後世の戦国時代の様相を「イメージ」と言うのですが、まさか、調理具材の盛り付け見本の言い訳でもないでしょうし、宗教の偶像画でもないでしょうが、いずれも、せいぜいが、小説、映画、テレビドラマの世界であり、要は、学問的成果で使うべき言葉ではないのです。御自分の言う事が、面識もなく、問い返しもできない、一般の視聴者に正しく伝わらなければ、折角のご託宣が、ただの寝言になってしまうという恐れはないのでしょうか。
 さらにまずいのは、戦国乱世での天下統一の動きが歴史の必然で徳川政権に収束したとの安易な絵解きで、一般視聴者もこれには納得しないでしょう。何のための類推かわかりませんが、子供もだませない、子供だましと思われる時代錯誤と状況錯誤です。

*虚妄の天下、分相応の天下
 言い立てている「天下」は虚構です。三世紀、文字も文書連絡も無く、自分の領分以外は一切不詳不明で、天下はなく統一の気概もないのです。かたや、戦国時代は将軍権力が京都周辺にしか通用していなくても、「天下」の意識はあったのです。
 因みに、当番組の後の「三好長慶」特集では、室町末期、「天下」とは畿内のことだったとされていました。それなら、当時の政権、衰退した室町将軍の支配範囲が「天下」なので分相応と言うしかなく、太古以来、そのような理解であったとすれば、特に驚くことはなく、後世人が勝手に「天下」とは日本列島全体だと言い立てていることになります。いや、人の話は聞いてみるものです。

*無意味な覇権
 古代に覇権の意義はないのです。物資の大量輸送ができない、貴金属などの財宝がないう背景では、隣国侵略で得るのは土地と農民であり、下手をするとお荷物です。広域を制覇しても、遠隔地とは連絡困難、派兵徴兵は一段と困難で、多くの犠牲を払って武力制覇、広域支配しても無意味なのです。
 戦国時代とて、覇権に意義があれば、早々に収束していたはずです。

                                未完

新・私の本棚 石野 博信 古代住居のはなし 2-2

 私の見立て ★★★★★ 必読 西川弘文館 1995年5月刊  2019/05/26

□倭人伝記事について
 倭人伝の文献解釈の中でも、風俗記事の読みには、異議が出ます。
 とかく言われるように、考古学に文献解釈を持ち込むのは、考古学の主体が失われるので、禁物であり、参考データとしてのみ利用すべきでしょう。
 倭人伝の文献解釈は、いろいろな外的影響、特に、国内文献による汚染が避けがたく、結果として、諸弊害を呼んでいるようです。

*個室観
 倭人伝には、(そこそこの地位の住民の)家屋は部屋仕切りがあり、夫婦兄弟の居処臥所は別とありますが、簡潔な書きぶりで、夫婦がそれぞれ別室、子供も一人一人別室と読むものかどうか見定めがたいように思うのです。
 つまり、そうかも知れないし、夫婦寝間と子供寝間が別なだけかも知れないのです。もともと、帯方郡書記の現地報告を、現地勘のない広壮な屋敷住まいの洛陽人が要約したから、そのつもりで読まないと誤解になるのです。
 いずれにしろ、当時、各部屋は隔絶されず、中央部の囲炉裏を囲むように配置されて仕切られていても、入り口は開いていたでしょう。風通しのよい作りで、近年のようにプライバシーはなかったはずです。

*寝所観
 子だくさんの親子が限られた場所で寝起きするのだから、夫婦の間に子供が入った川の字なり、男児と父親、女児と母親が別寝間だったかも知れないのです。後年の万葉集に書かれた風俗ですが、相通じるものがあるはずです。
 石野氏は、大家族雑魚寝でなく、個室育ちだったのでしょうか。

*纏向首都観形成以前
 意外にも、本書執筆時の石野氏は、纏向首都観でなく唐古・鍵遺跡を重視されていて、纏向は、箸墓古墳など古墳群の付帯設備と見ているようです。現今の強引な纏向首都観は、この後、急速に造成されたようです。

*鬼道について
 倭人伝の「鬼道」を新来宗教と見ますが、ご先祖さま信奉から渡来宗教への変心は、古老が認めないでしょう。「鬼道」は、倭人の伝統的信仰であり、卑弥呼は、その「巫女」育ちと見ると筋が通るように思われます。


□結語
 と言うことで、本書において、氏の見識は、遺跡、遺物という「現実」に根ざし、後のように畿内説の窮地救済の使命はみられず筋が通っています。

 この後、氏は、纏向遺跡の旗頭に祭り上げられ、崇高な使命感に燃え、素人目にも無理な理屈を通そうとしているので、誠に痛々しいのです。先日の最新テレビ番組では、石野氏自身、(何年かかろうと、何億円かかろうと)、纏向全域を掘り尽くしてでも、自説の裏付けを掘り出してみせる、と言う感じの檄をぶっているのです。

 氏の学術論考の原点を思い出していただきたくて当書評を公開します。

                               

新・私の本棚 石野 博信 古代住居のはなし 1/2

 私の見立て ★★★★★ 必読 西川弘文館 1995年5月刊  2019/05/26

□総評
 本書背表紙の惹き句が、今日溢れるこけおどしの惹き句とは別次元で、誠に端正、的確に本書の意義を訴えます。

 「古代の人々は、どのような家に住み、どのような生活をしていたのだろうか。全国各地の遺跡の発掘成果をもとに、住居の構造や材のしくみを解き明かす。さらに、対外交流にも着目して、日本人の住まいと暮らしの原点を探る。

 石野氏の本著作は、堅実で、遺物、遺跡の実見に根ざした、広範な知見に基づいて思索しているので、この惹き句に付け加えることはありません。古代史を学ぶものには、必読書です。

以下、勝手に書き述べているのは、素人の率直な意見に過ぎません

*ゴミ捨て場の土器片について
 遺物の観察により、いずれの大規模集落もゴミ捨て場があったと見ていますが、一方、継続的に破損土器類の廃棄を行ったにしては少量とみています。
 素人の勝手な推測ですが、人が愛用する器物にはその人の魂が染め付けられているとして、葬礼で持ち物を副葬し、それ以外は、形見分けされ、さほど重要な人物でない時は山野にばらまいて自然に返したかなどと思います。つまり、よく言われる共同ゴミ捨て場は、厄落としの穴かもしれないのです。
 いずれにしろ、当時の人々の行動は、文書記録されていないので、憶測しかないのですが、根拠のない思い込みになっていないでしょうか。
 いずれにしても、各地の住民が重大な土器を携えて山川越えて、首都に来駕するという図は浮かんでこないのです。何かの思い過ごしではないでしょうか。
 逆に、現地の窯業関係者の食を絶やさないために、ある程度の土器が、次々に廃棄される仕組みがあったのでしょう。

*枘穴加工について
 石野氏は、冷静に遺跡、遺物を観察し、通常想定されるより以前から、柱の木材に枘穴(ほぞあな)を設け、他の柱なり、梁なりを貫通させる構造を想定していて、それを、外来の新技術の表れとみていますが、ちょっと、不思議な言い回しです。
 柱材に使用されている丈夫な木材に貫穴を加工するには、鋭利で頑強な鉄製工具が必要です。いくら新技術を学んでも、実現手段がなければ、「猫に小判」、歯が立たなければ食べられないのです。

*扠首屋根
 家屋の屋根は、ある程度大きくなると、各材の組み合わせに、特別な技術が必要なのですが、その一つが扠首(さす)構造だそうです。
 氏は、白川郷の合掌造り家屋の屋根に、扠首構造を見いだして、これが、遙か昔、あるいは、弥生時代から行われていたのではないかと推定しています。合掌造り家屋の屋根は、最小限の枘組、貫穴によって各材をくみ上げ縄まきで締め上げた構造で、長年の風雪、積雪の荷重に耐えています。
 
 全体として、鉄製製材大工道具を駆使した技術集団が来訪したようです。

                               未完

2019年5月25日 (土)

新・私の本棚 番外 諸説あり!邪馬台国 S「幻の国」余談2 丹に纏わる綺譚 再論

 諸説あり !邪馬台国スペシャル!▽古代ミステリー 幻の国は”ここにあった”

 私の見立て ★★★★★ 必見 BS TBS 2019/05/10 記2019/05/25

□古びた丹の話 (一部既報)
 今回の「丹」論は、近郊特産の丹が、当時大変、大変珍重された特産物であり、纏向は、丹「交易」の「収益」で発展を遂げたという説です。

 丹が近畿の特産だったというのは、当然ながら広く知られていて、その価値が高く評価できるというのは、例えば、安本美典氏がかねて説くところですが、論者は、先行諸説を知らないのか、なかったとして平然と盗用しているのか、不可解です。

 丹採掘遺跡と遺物から、実際に丹が産出していたことは、間違いないところです。但し、先に書いたように、そうした事実は衆知です。

 丹に莫大な価値を見る仮説ですが、紹介されている様子を見ると、国家枢要の地下資源に見えません。採掘に鉄器でなく、石器を用いています。鉱夫の数次第で増産できるのに「鉱山」的な体制は語られてないのです。牛馬輸送のない時代とは言え、産物は細々と山道を背負い下っていて、それで十分間に合っていたように見えます。そうした見方は、特別の学識を要しない常識の世界であり、それ故、時代を超えた不朽の「物の道理」です。

 既報のように、水銀硫化物の丹の焼成は、二酸化硫黄ガスの大気汚染で山野が枯死し水質汚染で川魚が死滅します。少量で問題なかったと言うならその程度で厖大な収益を得た仕掛けを語るべきです。

*需要と供給
 古代における「需要」で言うと、素人目にも、次の二件が見えます。
 1 丹は仕上げの意匠として大型土器に塗り、かなりの量が地域消費されたようです。纏向産土器の「値打ち」は大いに上がったでしょうが。
 2 銅鏡仕上工程で、鏡面光沢を向上し腐食防止する鍍金材、錫アマルガム(水銀と錫の合金)として、かなりの水銀が地域消費されたようです。
 「交易」で巨利を得られるのなら、地域消費はもってのほかでしょう。

*交易のだまし絵
 大陸「交易」は絵柄としては壮大ですが、金銀銅などの国際通貨のない時代、物々交換して銅鏡でも入手したとして、大量の金属貨物の「運賃」はどうするのか。自前で交易船を仕立てても、ただではないのです。

 まずは、関税で食うしかない対馬、壱岐は、避けて通れない以上「無税」では通れない
のです。行き帰りの途中でボロボロかじり取られて、それでも、「利益」は残るのでしょうか。一方、通過地点の港港は、関税を取りはぐれることはないのです。

 そして、大陸/半島側は泰然と積荷を待ち受けて、徹底的に買い叩けば良いので、こちらも、丸儲けなのです。

 何しろ、売り手は、乗船している人員だけであり、手ひどく買い叩かれて仕返しをしたくても、とても援軍を派遣できないので、船員を人質に置いてでも、帰途に就くしかないのです。

 一方、丹の「出荷」から何か届くまでの一年(二年?)余り、関係者一同はどう持ちこたえるのか。定番の戦乱、事故、盗難、「契約不履行」に、どう対処するのか。帰り船が空荷で、取り分がなかったら、どうやって生きていくのでしょうか。

*交易幻影
 総合すると、そのような大陸「交易」は、「経済的」に成立するのでしょうか。古代に、現代的な経済観は通用しないかも知れませんが、当時なりの「収支」が成立しなければ、国家繁栄どころか「交易」は破綻するのです。

 現代の会社経営であれば、決算の悪化、資金の喪失で、会社が経営破綻しても、経営者は命まで失わないのですが、当時は、そのような安全措置はないので、交易の失敗は、一族悉くの生存を危うくするのです。

*中継交易の勧め
 以上のような不合理は、一貫航海、一貫交易の幻想からくるものです。冷静に考えれば、古代に於いて、長期にわたって維持可能な交易は、近隣との中継交易しかないのです。交易の鎖、あるいは、駅伝です。

 もし、壱岐の商人が対馬の商人と交易するとすれば、それは、日常的なやりとりなので、ちゃんと互いに取り決めができていて、相手を信用できるかどうかとか、価格をごまかされるのではないかという懸念は、影を潜めます。ものの値打ちについても、そこそこ取引用の相場が形成されていて、別に通貨がなくても、取引が可能だったのです。

 荷船は日々のように両島を往き来しているので、妥当な運賃となります。多分、相手の島の港に代理人を置いていて、一旦、港倉庫に収めた後、土地の海市などで商売することになります。荷船は、漕ぎ手を入れ替えて、帰り船に港倉庫の荷を積むので、その意味でも、運賃は割安です。

 壱岐の売主は、対馬での支払いを待つとしても、あるいは、等価値の荷を待つにしても、せいぜい数日であり、特に負担にはならないのです。まして、日々やりとりしているから、個別の取引に一喜一憂することはないのです。

 これは、陸上取引、陸海取引でも同様で、要は、一日、二日の行程であれば、顔を見ることも声を聞くことも十分可能であり、日々の交信は絶えないし、最悪諍いとなって腕っ節の強い取り立て役を派遣するとしても、大した事件にはならないのです。と言うものの、交易は、互いの協調が肝要であり、諸国の間の争いは滅多に起こらないはずです。

 このように考えていけば、纏向から荷船を仕立てて洛陽まで船を走らせるなど、実施不可能であり、途方もない画餅も良いところです。そもそも、纏向は内陸で山奥なので、荷船が乗り出せるはずがないのです。
 いや、これは、別の著者、別の著書の話ですが、ついつい、書き立ててしまいました。番組関係者にはご不快でしょうが、よく気をつけていただかないと、同じ陥穽に落ちるので、他人事ではないのです。

*碩学の晩節
 随分詰めの甘い、単なる思いつきを、石野氏の名声を良いことに、猛々しく述べ立てるのは、氏の晩節を汚していて不審です。

                              この項完

2019年5月23日 (木)

今日の躓き石 名人戦共催 毎日 第一局観戦記の問題発言 「名人は最強ではない」

                      2019/05/23
 今回の題材は、毎日新聞に掲載された将棋第77期名人戦第一局観戦記(4月28日朝刊掲載の第二回)であるが、名人戦開催中は、商売の邪魔をしないように手元に止めたもので、それ以外は、公開を遅らせた事情はない。

 当観戦記の筆者は、かなり高級な立場にある方のようで、高みから対局者を見下ろす、不愉快な発言が時折見られて、味が悪い思いになることがあるのだが、今回は、特に度を過ごしていると思うのである。

 今回の挑戦手合いは、棋界最高峰の名人に、上り調子、充実の挑戦者という触れ込みなのだが、いきなり、「軽いめまい」に襲われた観戦記者は、二回目にとんでもない発言を公開したのである。

 「現時点の将棋界は豊島・渡辺の2強状態。佐藤は名人として、そこに割って入る使命があると思う。

 将棋に詳しい方ならご存じの通り、「渡辺」は、渡辺明であり、目下タイトルを二冠保持しているとは言え、昨年、最高のA級順位戦から陥落して、いわば凋落した身であり、主催紙の連日のA級順位戦紙面から姿を消していたのである。つまり、主催紙読者の意識から去っていた圏外棋士だったものを、観戦記で、どうしてこのように称揚するのか、突然、意外であって、意図が理解できないはずである。

 当観戦記でも、第一回で、挑戦者の活躍の引き立て役として、挑戦者は「渡辺明王将とともに頭一つ抜け出した印象だ。」とされているだけで、降級していたB級1組からA級に復帰したばかり、などの背景は語られていない。
 それだけの前触れで、ここでいきなり、挑戦者と並べて、実力最強と評され、現役名人は、他社主催戦での成績が今ひとつだという理由で、最強の地位に並んでいないのである。最高位を争う熱戦を期待している主催紙読者としては、大いに不満では無いか。

 あるいは、これまでのA級順位戦観戦記で、その場にいない渡辺の活躍について、余談として触れたかも知れないが、当観戦記は、名人戦観戦記という格別の舞台であり、読者は、別に当観戦記者の愛読者ばかりではないのである。

 ついでながら、目下、将棋名人戦は、毎日新聞社と朝日新聞社の共同主催であり、朝日新聞社としては、棋界最高峰の挑戦手合いとして担いでいるものが、実は、そうではないと、貶されていることになるのである。心穏やかで無いはずである。

 もちろん、現役名人も、よその紙面での結果がもう一つで、大したことない、弱者だ、この際奮起して頑張れ、と冷水を浴びせられて、大変不満だったはずである。まして、名人としての使命をド素人から諭されるなど、問題外である。

 当観戦記者が、別の媒体で、独立して戦評を書く立場なら、名人戦主催紙の権威を落としてでも、自身の人気取りをしても許されるかも知れないが、主催紙の観戦記を任されている「プロ」の文筆家であるから、この書き方は、随分軽率ではないかと思われる。

 また、一読者としても、それぞれの熱戦を楽しみにしている対局に対して、主催紙自らが、開幕局早々にケチを付けている紙面を見て、大いに、失望したのである。冒頭に書いたように、本来、すかさず批判するところであったが、商売の邪魔をしないためにずらしたものである。結果論で手は入れていない。

 今回の事例は、新米の勘違いというわけでもないから、当の観戦記者は、日頃から、高みにあって淡々と持論を披瀝しているのだろうが、読者は、そのようなご託宣など、見たくないのである。そう、これが最初の暴言ではないのである。

以上

 

 

2019年5月22日 (水)

Mistaken for granted. Thoughts on alien chess Queen in 将棋

             2019/05/21

This is my personal responsive opinion on the following column on Mainichi newspaper website.

Edging Towards Japan: The 'queen' of the board's shifting status in chess and shogi
May 21, 2019 (Mainichi Japan)  Damian Flanagan,

I for a day or so, deeply considered how to rectify this misleading column on misunderstood appreciation of Japanese Shogi tradition, and decided to pause my sincerest objection here.

*No Kings in "日本"
First of all, there never has been any Kings in "日本", usually translated as “Japan”. This two-letter Kanji word is pronounced as "Nippon" or "Nihon" as commonly known here.

To make it clear, no King means no Queen.

Nippon "日本" was announced at the beginning of the western 8th century.

*Slightly offtopic but an essential lecture on the first "女王" in history
Before "日本", Chinese history record covering the third century of the three kingdoms shows that quite "recently" a (male) King in this territory was challenged and dethroned, and succeeded at the long last of the internal conflict by a young woman, who is known to be the first woman ruler, described as "女王", literally a “woman King”, not the Queen.

Reportedly and/or speculatively, she was born as a royal daughter, and raised as a priestess like vesta, who happened to be throned for her parentage and granparentage as well, and highly regarded priestesshood, so she was not to get married for life; this lone "女王" naturally had no spouse.
No Japanese language record is published for the virgin female King because there was no local language.

The Chinese record does not mention how the original King's wife was called; there was no Chinese word for Her Majesty.

*"皇帝" and "天皇"
To have more proper thoughts, it must be mentioned that the Chinese rulers are titled as "皇帝", the ultimate and supreme ruler over Kings, Dukes, and Barons, similar to the western Emperors. Anyway, Chinese "女王" is not a significant title.
Thus, the Kanji word "女王" as the ruler of the country has no place in the Japanese tradition.

As recognized, Japanese government has the "天皇" translated to His Majesty The Emperor, whose wife is entitled ”皇后” or Her Majesty The Empress. "No King, No Queen".

Traditionally, “女王” has been and is a title to the daughters of the Emperor, which is quite different from Queen.

As said above, "女王" as a common translation of western Queen, although so fairly common, indeed is a mistranslation. As said above, it is mistaken for granted.

*Thoughts on Shogi pieces
There indeed is another piece of misunderstanding regarding Shogi pieces.
First of all, Shogi pieces are considered as imported, at latest, at the end of 12th century. This incidence alone rules out importing of "Chess" pieces with "Queen"s. Thus, Shogi never had "Queen"s.

*Doubly Erratic “王将”
To begin with, no Kings at all ruled in the recorded history of "日本". So, the “王” can't be a King ruling the board.
More important discussion follows below.

*“王将” is not a King
Literally, “王将” is not the ultimate ruler but a "将” general serving the supreme ruler in time of war.

*Redisocvery of “玉将”
There's a solution to demystify the problematical “王将” piece. The original terminology must be “玉将”, where "" means highest treasure of jade as recognized by the Chinese emperors. Coincidentally or not, a full set of Shogi pieces contains one “王将” and one “玉将”.

*Cone-shaped treaure mountain
Thus recovered, the first row pieces are deciphered as treasures of "香" incense, "" sweet osmanthus, "" silver ,"" gold, "" jade, in an ascending order of their value. By the way, Japanese "" is quite different from Chinese "" to make some confusion.

Thus recovered, the game of Shogi may be interpreted as a treasure commerce game, not a war game at all as commonly mistaken for granted.

*"女王" on top of the generals
If a "女王" (Queen) piece exists on the Shogi board, “王将” must be her subordinate although highest ranking among “将”s.

*No "女王" in Chushogi
Additionally, there's no Chushogi piece named as “女王”, but "奔王" with Queen-like capability of movement. "奔王" can't be a pseudonym of a “女王”.

*Forgotten guardian angels of Chushogi
While talking on Chushogi, it must be corrected that the historical game survived until today with the significant support by core-fans including, but not limited to professional Shogi players like legendary great grand master Ōyama Yasuharu.

*Possibly a mistranslation
The published Japanese translation mistakenly reports the end of the game on the late 1930s, but it may be due to mistranslation. The English version seems to say "was" to report its existence; if extinction is meant it must clearly say "had been". Anyway, it is an uncomfortable statement for the supporters.

*Ending note
With all said, I would like to thank the author to mention some delicate and important aspects of the Japanese culture. My above complaint is composed in a haste to rectify the “mottainai” misunderstandings due to lack of proper advices that is quite unsuitable to the author.

E. & O. E.

2019年5月21日 (火)

倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 余録 「短里混在」一括否定の無理

*風評への弁明
 以下は、引用で無く、次の「風評」に対する当事者の弁明です。
 『倭人伝のみを「短里」とする「短里混在」説があります。これは、三国志全体は長里で、一部に「短里」が「混在」するという立場ですが、成立困難です。

*「混在説」でない「地域短里説」
 当方は、ここで成立困難とされている倭人伝のみを「短里」とする説を採るものですが、どんぶらことばかり「混在」説と呼ばれると異議があります。
 追い打ちで、三国志全体が長里なら倭人伝も自動的に全部長里となるべき所、一部に短里が紛れ込んでいるという「立場」を押しつけていますが、そのような立場をあてがうのは、論考の内容にお構いなしに、「成立困難」、「支離滅裂」と罵倒しているに等しいのです。

*不条理な決めつけ
 当方は、「地域短里説」、つまり、地域限定した議論で、「倭人伝」は地域限定の短里(のみ)で書かれているという排他的でない主張であり、「倭人伝」内に「短里と長里が混在している」と決め込んだ主張をしているのではないのですから、想定いただいた「立場」には立っていなくて、提供いただいた呼び方は、理屈が立たないのです。

*学問的立証
 また、そのあとで、学問的に成立困難と断じていますが、提示されているのは、文献としての「倭人伝に実際に書かれている里長を実際の地理に当てはめると、そこに短里が敷かれていたと判断できる」と言う主張であり、これは、無理なく、何の困難も無く、学問的判断と言えるでしょう。
 勝手な決めつけを排すると、「倭人伝領域で短里が敷かれてなかった」とする決め込み(勝手な思い込み)に対する学問的な論証は確立されていないのです。

*混在説の行方
 ご指摘の「混在説」の提唱者は、「それ以外の領域で短里が敷かれていなかった」と論証する義務が生じますが、当方は、「領域外の里長に関して何も主張していない」のですから、そのような立証義務はないのです。

*領域外の証明
 むしろ、領域外で短里が敷かれていたのか、長里が敷かれていたかを論証するのは、そちらの責任でしょうと言いたいところです。御自分の論証すべきことを当方に押しつけて、「成立困難」、関西弁で言うと「せいぜい、お気張りなはれ」といわれても、同感しがたいのです。

*突き詰めた果て
 「突き詰める」と、倭人伝領域に制度として短里が敷かれたとする「学問的な」根拠が無いということのようですが、まずは、お互いの話として、当時地域でどのような制度が敷かれていたかという文献証拠が一切無いのをどうしろというのかということです。

*無理な魏晋朝短里
 別途論証したように、中原政権(曹魏)が国家制度として、短里を敷いたとする学問的な証拠は「一切無い」のです。むしろ、「そのような里制変更は無かった」とする証拠が多く得られています。地域外を論じない、つまり、排他的でない地域短里説を排除するために「魏晋朝短里」の視点を起用しても、学問的に立証されていないという事実に変わりは無いのです。

*証拠なき論より、自律する証拠
 これに対して、当方は、先に挙げたように、それでも、実際に「倭人伝は短里で書かれている」とする、論より証拠の「地域短里制」の主張です。

*困った時の否定論
 空耳かも知れませんが、そのような書き方に前例がない、は否定論に窮した時の決まり文句ですが、現に、倭人伝はそのように書かれているのだから、これ以上に「学問的」な証拠は無いでしょう。

*残された道
 むしろ、様々な選択肢が全て「無理」として否定された後に残る、唯一否定しがたい選択肢ですから、これが正解という思いがあるのです。

以上 

2019年5月20日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞のスポーツ報道は水準以下 リレーの「リベンジ」

                          2019/05/20

 今回の題材は、毎日新聞のスポーツ報道であるが、紙面の記事でなく、ネット記事である。
  「安全バトン」でリベンジ 男子400リレーV「世界」へ自信
毎日新聞2019年5月19日 20時07分(最終更新 5月19日 20時08分)

 リレーチームがリベンジを果たしたと言うが、前回レースは、自分たちの不手際で失敗したのであり、誰を恨むこともできないはずである。メンバーに聞いてみないとわからないが、まさか、審判を恨んでいたのか。それで、パトンを叩きつけるたりしたのか、などと要らぬ心配をしてしまう。

 毎日新聞の記事は、選手達に野蛮な復讐の悪習があると非難した上に、前回は「お手玉」したので。今回は、受け手を見てから出す、いわば後出ししたと、きつく揶揄して、二重に罵倒しているように見える。
 当方の意見では、連敗して観客をとことん失望させる訳にはいかないという必死の思いを大事にしたい。いくら権威のある全国紙でも、ここまで、選手達を踏みつけにすることはないのではないか。

 因みに、グーグルニュースで各紙、ネットニュースの見出しを眺めると、スポーツ紙などでも、わざわざ「リベンジ」を言い立てているのは、決して多くはない。全体として、メディアの良心は失われていないということである。

 して見ると、毎日新聞スポーツ担当は、自分たちの使う言葉に無頓着で、品格が地に墜ちていることになる。正気に返って、この辱(はじ)を雪(すす)いで欲しいものである。くれぐれも、当ブログに向かって石を投げるのはご勘弁いただきたい。ネット記事は、訂正ができるので、不適切な言葉で選手に不快感を与えたことを詫び、撤回したらどうかと思うのである。

 リベンジなどと言い換えて、逆恨みや八つ当たりなど、最低である。いや、これは、スポーツ選手に言っているのだが。

以上

2019年5月16日 (木)

新・私の本棚 番外 毎日新聞「今どきの歴史」 『天皇制の「伝統」』論 2/2

 私の見立て★★★★☆ 必読             2019/05/16

*王の実力を数値化、可視化する方法
 また、氏の発言を引用して「外交」と述べますが、素人目には、巨大墳墓を並行して造成できる勢力は、それぞれ、いわば独立国、独立の伝統の持ち主で、外交とは、島内諸国間外交かと思うのです。因みに、中国側視点では、「倭」は国でなく外交はあり得ないのです。語彙の時代錯誤でしょう。別の意味で、「交易」も三世紀はおろか五世紀にもなかったと思われるので、時代錯誤でしょう。誰が誰とどのような通貨、決済手段で、交易したというのでしょうか。

 氏は、「実力」要素として『「外交」「軍事」「交易」の三項目が最優先され」たとおっしゃったようですが、「三項目」を「最優先」するというのは、一種の冗談かと思うのです。業界言葉であれば、一般人向けに言い直す配慮をいただきたいものです。
 「軍事」は、物理的に誰が一番強いかと比較できそうですが、「外交」、「交易」は、時代錯誤で当時通用しなかったというのは別として、不可視で数値化できず互いに比較もできず、また、軍事力にどのように加味するか不明で、これら以外の書かれてもいない要素に対して優先させようがないのです。

 厖大な歴史に学んでいる現代人にも趣旨不明で、当時の評価は知りようがないのです。元々、「実力」とは、政治的な折衝力とその果てに来る軍事行動の強さであり、そう解すべきのように思えるのですが、どうでしょう。

 いや、当方は、氏が、推定にとどめている五世紀にどのような数値モデルで「実力」を求めたかわからないし、記者が、素人、つまり、一般人読者に通じる言葉遣いで、氏の主張を噛み砕いてくれないので、途方に暮れて質問を呈するしかないのです。随分受け売り得意の特技の持ち主のようですが、記者の使命は、読者に理解できる言葉で伝えることだと思うのです。

*「法理論」の怪、「女系OK」の怪
 ここで、突然、意味不明な断定が出て来ます。古代に「法理論」はなかったので、いくら言い立てても、当時の世人に理解できない後世人の後知恵だろうし、「女系OK」に到っては、世間一般に通用する現代語ですらないのです。「柔軟性」(記者の意図は不明、趣旨も不明)にも、ほどがあります。
 国家制度の根幹が、自分の書いている言葉の意味すら不確かな民間人の意見で左右されるとは思えない、いや、これは記者のことであって、氏のことでないのは言うまでもないのですが、読者は、記者の変移させた語彙に載せ替えた意見を読んでいるとは気づかないので、全て氏の意見として受け取り、氏に被害が及ぶのです。

*首相談話無理解
 安倍晋三首相の答弁が引用されていますが、政治家に付きものの、強調、断言を割り引くと、男系継承が「伝統」として保たれていたことを歴史の重みと理解することに、特に、文句を付ける必要はないと思います。
 記者は「正確な歴史認識」と意味不明の虚辞を持ち出しますが、歴史は人知で把握しようのない膨大さであり、「歴史認識」は人それぞれに異なる個人的感想である以上、「正確」な「歴史認識」の「共有」なぞ虚言の極みです。

 まして、人それぞれの語彙で染められて認識されているから、共通の歴史認識など成立せず、具体的な論点個々について、互いの言い分が正確に互いに理解されるまで、十分に言葉を尽くして論議するしかないのです。いかに、記者が、自己視点を押しつけて短絡的な解決を望んでも、互いに理解し合えないままで結論は出せないのです。
 記者は、自身の脳内を眺めて、独り言しているから、反対意見も質問も聞こえてこないでしょうが、一個人の早合点が、記者故に、制止されることがないのは、不気味ですらあります。

 個人的な意見ですが、記者が記者個人の(瑕疵込みの)歴史認識を述べたことに、特に異議はありませんが、記者の認識への同意を強要されれば断固否定します。

 それは、個人的意見の「独立宣言」に反すると考えるものです。今回、記者の無法な意見に同調できないと書いて結語とします。仁藤氏は、そのような無法は主張していないと思われるので、氏と喧嘩しようとする動機は全く無いのです。

 いや、かくのごとき問題満載のタイトルが、乱暴で意図不明の体言止め、言いっぱなしなので、趣旨を誤解したかも知れませんが、個人的理解で述べました。
 まして、タイトルを偽ってネット掲示するなど、いったい何をたくらんでいるのか、奇々怪々です。
(いや、褒めているのではありません)

                                完

追記 5月18日17時現在、タイトル「偽装」は終了し、正しいタイトルが表示されているが、訂正したとの告知はないので、当方は現状確認に止める。

新・私の本棚 番外 毎日新聞「今どきの歴史」 『天皇制の「伝統」』論 1/2

 私の見立て★★★★☆ 必読             2019/05/16

 今回の題材は、毎日新聞夕刊文化面の月一の歴史コラムです。

*総評 天皇制の「伝統」とは 時代に即した柔軟性
 論説として稚拙です。どこが、どう不出来なのか、以下、当ブログの芸風に沿って丁寧に批判します。なお、当記事は、毎日新聞夕刊文化面記事で、同社サイトに掲示されています。(タイトルは、前回分流用。偽装かな)

*「伝統」の時代錯誤
 まずは、タイトルの「伝統」に躓くのです、この言葉は、古代史では、王統を継承する意味であり、「時代に即した柔軟性」などあり得ないのです。

*仁藤氏(敦史・国立歴史民俗博物館教授)の卓見
 担当記者は、古墳時代前ずらしで知られる歴博の教授である氏の論説を紹介しているので、たっぷりとした問答をへて書き上げたのでしょうが、このように、記者の語彙が混濁していると、ここに書かれている「今どき」の解釈が、氏の本来の意見かどうか疑念が残ります。と言うことで、丁寧に問題提起しますが、氏の論説の成り行きそのものについて難詰しているのではないのです。

*書紀の大予言
 劈頭、記者は、「日本書紀」に天皇家萬世一系の伝統が説かれていると、書紀知らずの素人にも自明の暴言ですが、書紀から現代に及ぶ伝統が読み解けたら、神がかりでしょう。まして、記者は、5世紀論で、書紀を棄て、宋書の書紀欠落部に触れて平然としています。真偽は別として、その場凌ぎもいいところです。

 因みに、氏は、神武天皇以来武烈天皇までの「伝統」について、特に主張せず、五世紀に関する推定とそれ以降の考察の対比だけにとどめて、非科学的な神がかりにはなっていないのは、記者も学ぶべきでしょう。

*古墳群並行着工の奇観
 五世紀4~5カ所に、それぞれ自律的に古墳を造成する有力勢力が割拠、並存していたとは通りすがりに大胆ですが、古墳群は、厖大な物資と労力を長期間に亘って食らう呑舟もので、構想だけでも神業であり、広く労働力と「経済力」を空費する超巨大労務を長年に亘って強要する強大権力は驚異です。大勢の識字官員による文書記録と計算によってのみ成り立つでしょう。

 労力だけ見ても、従来、古墳造成は、今日の近畿圏のかなりに及ぶ動員が必要と見ています。記者が、諸勢力割拠の広がりをどう想定しているか不明ですが、各勢力の造成が競合すれば、素人にも全面的な混乱が想像できます。長年に亘り、従来当社比数倍の広域から成人男子を徴用すれば、営農不能、農産壊滅で、全土で飢餓必至と見えます。亡国の策と見えます。

 既存説は、畿内圏で一時に一カ所の造成で、並行すると想定していなかったのですが、それでも、疲弊が想定されていました。それも「時代」の一様相で強行されていたのでしょうか。いずれにしろ、素人には、畿内で大規模古墳を複数カ所並行施工するとは信じられないのです。3世紀開始として、倍速進行でも、古墳施工場所も含めて、4世紀末には万事枯渇したはずで不可解です。

 氏ほどの碩学ですから、氏には、論理的な反論があるかも知れませんが、素人の代弁者であるべき記者は受け売りでは、読者には知りようかないのです。

                               未完

今日の躓き石 毎日新聞の曲がった意識 「盗撮でリベンジポルノ」

                              2019/05/16

 今回の題材は、毎日新聞朝刊大阪13版であるが、言葉遣いの乱調が常態のスポーツ面ではなく、毎日新聞の品格をしめす社会面の記事である。

 まず、見出しが乱調である。「盗撮でリベンジポルノ」とあるが、記事本体と隔絶していて、まるで、スポーツ紙のあおり見出しである。 そこで、一読者の怒りの表現として、以下のように書き綴った。同意していただけるかどうかは、当記事の読者次第である。

 また、いやな文字を見てしまった。まずは、売り物の見出しである。この書き方は、「盗撮」を指弾していても、「リベンジポルノ」は、社会的に認知された言葉であって、特に問題視されていないようにも見える。いや、記者の思いは、断固糾弾かも知れないが、読者が共感していなければ、そうは読めないことに気づいていないのではないか。

 そうしてみると、記事は淡々と手口を書き出して、一応、違法行為としているが、素人目にはむしろ「客観」的な語りである。
 これでは、世論、つまり、男社会に潜んでいる問題意識のなさ、潜在的な加害者造成に加担しているようにも見える。大体、「盗撮」とは、どんなことを言うのか、意識が混濁しているのではないか。隠し撮りでなければ、問題ないのかと言いたくなる。現に、全体の二割程度に盗撮の疑いがあるとされているだけである。
 概して、加害者は多くの場合、処罰されずに逃げ切っているとの書きぶりであり、記事は、被害者にならないようにご注意いただきたいとの指導、助言で締めているように見える。

 担当記者は、こうして、あくどい行為に見出しで唱和して、記事で手口を紹介することで、むしろ、同様の社会悪、犯罪行為の周知徹底、普及拡大を図っているのではないか。「そうか、世間で誰もがやることなのか。俺は、捕まらないようにやってやる。」そう感じて、対策を練る潜在加害者がいてもおかしくはない。

 そもそも、担当記者は、「リベンジ」なる、罰当たりの、しかし、若者言葉として気の効いたとされているカタカナ語の普及拡大に、全国紙として加担,助力していることに、何の悔いも痛みもないのだろうか。これでは、「リベンジポルノ」は、男として当然の「天誅」、天に変わっての「仕置き」ということになってしまうのではないか。

 当犯罪行為に関する報道に際して、このように不都合な見出しを打つことに、そのような意識を感じるのである。当方は、これは大罪であり、そのように罪悪視しているから、憤りをここに示すのである。当方は、昭和前半生まれの老人であるから、若者言葉への嫌悪が先に立っているかも知れないが、個人の意見であるから、偏見は、むしろ当然と胸を張るのである。

以上

2019年5月14日 (火)

新・私の本棚 番外 諸説あり!邪馬台国S 「幻の国」余談

 諸説あり !邪馬台国スペシャル!▽古代ミステリー幻の国は”ここにあった”

 私の見立て ★★★★★ 必見 BS TBS 2019/05/10 記2019/05/14

□中級者のための地名移動論
 本論最後で、地名移動論に難癖を付けただけで、どうすればよかったか書き漏らしたので、以下、掘り下げることにします。

*先行論文の克服
 言うまでもないですが、学問の世界で新説を主張するには、先立って同じ仮説が提示されて「なかった」ことを保証する必要があります。
 実際は、「なかった」ことの証拠は挙げられないので、関連論文の最新のものを引用して、そこに、革新的な意見を追加したとの主張が順当なところです。つまり、学問の世界では、先行論文を踏まえて乗り越える「克服」が必要なのです。人文科学分野では、この手順がおろそかで、しばしば紛糾しているようですが、原則は原則、何より大事な前提です。
 ここでは、衆知の安本氏論考が引用、評価されてないのが、まことに素人くさい不手際です。

*未熟か不熟か
 そもそも「お若いの、これまで誰もその程度のことに気づかなかったと思っているのかい」と言うことです。「若い」というのは、生物学的な年齢でなく、当該分野での経験と成熟をいうものです。それとも、未熟でなく不熟でしょうか。

 百年を超える期間に当分野に学んだ多数の先輩諸氏を軒並み甘く見ているとたしなめるのです。「若い」から知らないではすまないのです。調べ尽くして同じ意見となるかもしれませんが、今回は、明らかに検討不足です。

*東遷の正否
 地名移動を根拠とした、にわか作りの東遷論ですが、単なる思いつきと言われないためには検証が必要です。とは言え、明確な文献記事が残っていないのは衆知で、いわば、状況証拠を固めていくしかないのです。(いや、これほどの画期的事件に関して、一切、文献記事がないこと自体が、有力な状況証拠と言うべきでしょうか)

 そもそも、当時、現に諸国を統属している大国が、国土を放棄して、倭人伝以後とは言え、依然として交信困難な渡海先に六百㌔㍍を移動するでしょうか。国王、高官、官僚まで移動して、早い話が九州北部での税収を放棄して、それまで徴税していなかった移動先で喰っていけたのでしょうか。それまでの現地の徴税者が、収入と権力を奪われて抵抗しなかったのでしょうか。

 氏は、中国古代の魯都曲阜の移動を前例としますが、これは国内で王都を移動した遷都でしかないので、事情がまるで違うのです。

 国家の大挙移動の明快な例としては、小国鄭が東遷した例でなく、周自体が、長安域から洛陽域に移動した変事が適例ですが、王都が蛮族に破壊され、生存者が東に逃亡、再興したというように移動の動機が示されています。

 移動先の洛陽域は、元々、全国統治の王都に準じる東都、つまり、東方諸国統治の副首都であり、支配地域の西半分を失った国家規模縮小なので、東遷先で排除されることのない、受け皿のある遷都と言えます。

 こうしてみると、氏は、実質上、九州倭国の滅亡と権力の移動を説いているのです。纏向で、亡国が再興したとは言っていないのでしょうが、以上のように考えると、事実上、その意図と見えます。

 素人でも、時間をかければ、この程度の掘り下げはできるので、斯界の泰斗からは、思いつきの早合点は避けて、深い意見が出てきて欲しいものです。番組制作者は、社会儀礼的に、こうした批判はできないでしょうから、保身の必要のない素人が、非礼を脇に置いて、誠実な意見を述べたものです。 

                              この項完

2019年5月13日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞の罪深い不見識 「フォルムフェチ」

                         2019/05/13

 今回の題材は、毎日新聞大阪13版教育面のコラム「学校とわたし」である。「フォルムフェチから文字へ」と不吉なタイトルのもと、幼い頃から“フォルムフェチ”だったと吐露しているが、教育面のコラムで、個人が長く秘してきた幼少期からの個性的な性的嗜好を告白することに、どういう教育的価値を見出してのことかと疑問に思う。

 毎日新聞は、殊更に見出しを立てて、フェチシズムの普及を図っているようだが、場所柄から見てどうだろう。もし、これまで異常とされてきた性的嗜好に、毎日新聞として応分の意義を認めるという趣旨なら、このように、あやふやな流れで済ませるのでなく、言葉の意味を子供にもわかるように説明して、堂々と性教育の一環として書くべきである。

 ついでながら、見出しは「AからBへ」と書かれているように見えるが、不祥事とされる性的嗜好と対比されるのが、単に「文字」では、不釣り合いで対比がなり立たないのではないか。これは、単に表現が不出来であるというしかない。

 と言うことで、場違いなコラムで、子供達に困った表現が広がらないかと懸念するのである。

以上

 

 

2019年5月12日 (日)

新・私の本棚 番外 諸説あり!邪馬台国S 「幻の国」6/6

 諸説あり !邪馬台国スペシャル!▽古代ミステリー幻の国は”ここにあった”

 私の見立て ★★★★★ 必見 BS TBS 2019/05/10 記2019/05/12

*伊都国論
 伊都が、代々王が継承している名門であり、地の利を得ていたから、女王は、密接な位置で統属したと見るのは、中国人には珍しい堅実な読みです。

 当方も、以前から、主従は別としてそう見ているのですが、畿内説の余地がなくなるので、国内ては、決して表面化しないとみていました。

*背負子物流
 ゲストは、牛馬なしに荷物搬送が困難と速断しますが、ある意味正鵠を得ていても、今日まで、背負子の運搬が国を支えたことを見過ごしています。要は、倭地で運ぶ量が、中原で運ぶ量に比べて、圧倒的に少ないのです。いや、海峡越えの漕ぎ船が、漕ぎ手満載で、大して荷物を運べないのですから、それに見合った量しか通らないのです。

 最も著名なのは、日本海岸から京都まで、人が背負って全行程を運ぶ「鯖街道」が維持されていたということでしょう。京都への物流は、瀬田川や淀川から伏見への船便が大半としても、四囲の山越えで背負い運びされたものも多かったのです。いや、大半は、牛馬でしょうが、人が背負うこと多いはずです。こつは、小分けにすることです。

 と言うものの、チラリと、纏向の諸国産物集積が、近距離交易の繰り返しで届いたのではないかと漏らしているのは、賢明、と言うか、同感です。

⑷追記 地名移行論の不明
 麗々しく言い立てられた九州地名の近畿への移行は、新発見でなく、安本美典氏の主唱するところです。新説を唱えるのに、先例を示さずに二番煎じを言い立てるのは、学問の世界では大変不細工な態度です。

 思うに、諸先生は、いきなり検討課題を与えられ、先行論考の検索に手が回らなかったのでしょうが、日本側のスタッフは、当分野の先行論文は、承知の筈であり、折角の教示に水を差さない程度に言及すべきと考えます。

 素人さんは、知らなかったで済みますが、権威者は、当然、補佐役がいて、一人芝居ではないので、不注意で済むような安易な逃げ道はないのです。

 そして、地名移動論の難点が説かれていないのです。周辺地名が移動したとして、「邪馬壹国」、「伊都国」などの主要国名や「卑弥呼」「壹与」などの主要人名が、適切に継承されていないのは、どうしたことでしょうか。安本氏も、この難点には直答していないのです。

 因みに、古田氏は、纏向政権が、西方政権資料の都合の良いところだけ取り込んで史書策定、地名改訂した結果と見ています。一考に値するでしょう。

□自明の議論
 三氏の見解は、普通の教養と思考能力のある人が、虚心に、明快さを求めて倭人伝を読み解けばそうなると言う、いわば自明の論議で、率直に言うと、特別に斬新なものではなく、国内在野の論客、早く言えば、当ブログの筆者が、こつこつと組み立ててきた素人解釈と同工異曲です。いや、素人の手前味噌は承知です。

 今回、中国側論客の意見がたっぷり紹介され、邪馬台国論争という、名代の温泉の熱すぎる源泉に、適度の冷水が注がれたという事でしょうか。

 今回の冷静な番組作りで、業界一部の不穏な熱湯風呂が、少しでも沈静化すれば幸いです。

                                 完

新・私の本棚 番外 諸説あり!邪馬台国S 「幻の国」5/6

 諸説あり !邪馬台国スペシャル!▽古代ミステリー幻の国は”ここにあった”

 私の見立て ★★★★★ 必見 BS TBS 2019/05/10 記2019/05/12

*里程記事の妙味
 ここで突如、国内通説派風の意見が出てきて、倭人伝の記事は、整合性のないものになっているとして、ぽんと、先生の意見に還ります。

 倭人伝里程記事の読みとして、里数明記が日数略記に切り替わっているというのは、浅読みの勘違いであり、著名な北方主要国は里数明記されていて、日数略記は南方遠隔で旅程不詳の投馬国のみであり、続く四十日程度の水行陸行日数は、「萬二千余里」と相応した郡からの総計日数、との単純明快な読みを掴み損なって軽率です。

 これは古田武彦氏主唱の一説ですが、倭人伝里程記事では行程が九州島内から出ない、という(畿内説に)不都合な結論を避けるために里程不審の泥沼をもよおした日本側通説に染まったのでしょうか。中国学者が倭人伝を読み解くという当番組の趣旨に合わないので、もったいない限りです。史料解釈は、合理的、かつ、単純明快にすべきと思われます。

 東に渡海して倭国以外の倭種の土地に到るとの読みは、明確な文章の適確な解釈で、倭人伝は、九州島内にとどまるとの明快な論説です。

⑶解析 その三
 いみじくも言及されているように、里制は、まずは現地里制を受け止めるしかなく、洛陽から「里」の原器を持参して現地測量などできないのです。それに、辺境離島の蛮夷諸国の里程が何里かとの数値認識自体は、中央政権にとってたいした意味はないのです。肝心なのは、文書交信と移動に要する日数なのです。
 議論の進め方として、倭人伝を無効資料として棄て、梁書扶桑国記事を持ち出すのは、見当違いというものです。倭人伝里程記事に触れるなと厳命されていたのでしょうか。
 倭人伝の倭記事は、当時倭と交信を保っていた帯方郡の官員のものであり、時に、帯方郡官吏が現地に乗り込んでいるのです。南朝末期の梁にとって、倭は、来貢の途絶えた蛮夷で、帯方郡はとうに消滅していて、不通だったのです。
 また、中国は、漢代以来、敵国の侵入に悩んだといおっしゃるものの「敵国」、つまり、対等の抗争相手は、匈奴だけであり、後に、鮮卑などあったものの、他は、取るに足りない蛮夷で、敵国でも同盟国でもなかったのです。語彙の時代錯誤と言うべきです。

*会稽東冶の謎~俗説否定の謎
 氏は、倭人伝にない会稽東冶を長江河口と言い混乱しています。とは言え「東」は大まかで南北のぶれは大勢に影響ないのでしょう。
 いや、良く見ると、画面表示では、「東」の参照の起点は、「会稽東冶」でなく「会稽、東冶」の一つの「点」となっていて、つまり、「会稽郡東冶県」なる、時代考証で撥ねられる不合理な解釈も、古来著名な「会稽」から、魏朝視点では知る人の少ない「東冶」までの広大な「線」などには見向きもしていない剛直な解釈が示されているようです。中国人によって、世に蔓延る俗説が否定されているのですが、番組は、社交儀礼からか読み流す風情で不合理なのす。

*良田論
 「良田が乏しい」とか、みな「海産物」で食糧を補っているとか言うのは早計で、「田」、つまり、水田と限らない「耕作地」が乏しいとは、対馬壱岐二島の話であり、海産物は、せいぜい末羅までの話です。以降の、伊都及び以南は、玄界灘沿岸を離れ、中国人の読みは、必ずしも適確ではないのです。また、倭人伝独特の「海」「水」の用法を、三国志全般の用法と混同してはいないでしょうが。

 言うまでもないですが、九州北部は、水田稲作の先進地で食料潤沢であり、近隣の諸韓国にも見られない潤沢な人口をもたらしていたと見るべきでしょう。

 以上のように、中国の古代史学者が、倭人伝記事を、必ずしも適確に読めるわけではないというのは、「中国語を自国語として読めない日本人」の「素人」論者として、心安まるものがあります。

                                未完

新・私の本棚 番外 諸説あり!邪馬台国S 「幻の国」4/6

 諸説あり !邪馬台国スペシャル!▽古代ミステリー幻の国は”ここにあった”

 私の見立て ★★★★★ 必見 BS TBS 2019/05/10 記2019/05/12

□諸説 3 中国人学者に聞く
 番組司会者の早合点は置くとして、既に過去数人の「中国人」学者の見解が紹介されています。正確には、文献学者と限定すべきと思われます。つまり、考古学的な見解とのすりあわせの際には、日本側の通説が起用されているので、それを、中国学者の見解と言い切るのは、速断に過ぎます。

*番外地 インチキ骨董品論
 出所不明の骨董品「三角縁『神獣鏡』」がまことにうさん臭いのです

 番組は、畿内説流の下賜到来解釈で断定的に開始し、断りなしに国産説に移行し「神獣鏡」は卑弥呼の鏡でないと変針したのは、畿内説論者の顔を潰さないためとしても困ったものです。併せて、国内学者の本物鑑定「風聞」は、偽造でないレプリカの意味なのか、うさん臭い議論です。

 余計者の骨董品所蔵家の畿内説は、考古学動向に気づかず、的外れな資料提供に走った余韻であり論外です。自説追求にあたり、なければ作って「結果」を出す捏造志向でなければ幸いで、少なくとも員数外です。

⑴解析その一 上海人 漢字学
 漢字学者として、地名発音の類推によるとしても、番組制作で、画面に明確に「邪馬壹国」と漢字書きして「ヤマタイコク」と振りがなするのは、当人の信用を無くす愚行で、諸論客に対して、そして、そもそも編者の陳寿、注釈者裴松之に対して、大変失礼です。

 因みに、ここで紹介される張莉氏は、画面で紹介されたように、漢字学に基づく倭人伝論の著書を刊行していて、当番組が売り物にしているにも拘わらず、中国人による倭人伝解釈が、初物でないことは明確です。とはいえ、張氏著作を引用した発音類推から、末羅、伊都を認知しているのは、妥当なところです。

 邪馬は「やま」とは、素人くさいもののそれだけ、堅実な意見と見るものです。いや、これは、新進の張莉さんの意見でしたか。

 ここで、後漢書倭伝が引用されますが、倭人伝自身が「依山㠀爲國邑」と山島を明記しているのに、なぜ突然場外から後漢書を引きずり出してくるのか、まことに不可解です。

⑵解析その二 倭人伝記事の混沌
 二人目は、倭人伝記事が、漢魏晋三代の世界観の混乱を示していると指摘していますが、三代でも、献帝から勘定すれば百年とない短い動乱期です。過渡的時期の中原史観を根拠に、帯方郡で起草された倭人伝里程記事を混沌としてざっくり否定しているのは、なんとも、もったいないのです。

 資料解釈は、大づかみな字面判断だけでなく、背景世相まで斟酌した小刻みな判断が求められる分野です。

 氏は、倭人伝に書かれている刺史は、漢時代と魏時代で役目が違うと言うのですが、対象となる時代は、後漢末期、曹操が支配していた建安年間であり、既に、後漢官制は変質していたのです。

 帯方郡は、楽浪郡時代から漢帝国の辺境機構で、中央の諸制度が行き届かず、さらに中央の混乱で支持を失い、次いで遼東公孫氏の支配下で、必ずしも、中央の漢制から魏制移行に追随できず、郡の諸制度は混沌としていたのです。

 いずれにしろ、ここでも、倭人伝記事は、三国志全体と統一されていない独特の文体、用語であることは、認識されているようです。
                                未完

新・私の本棚 番外 諸説あり!邪馬台国S 「幻の国」3/6

 諸説あり !邪馬台国スペシャル!▽古代ミステリー幻の国は”ここにあった”

 私の見立て ★★★★★ 必見 BS TBS 2019/05/10 記2019/05/12

□諸説 2 九州説
 もう一方の雄である九州説の泰斗高島氏は、圧倒的な地の利を得ている自信からか泰然自若、纏向説ほど、無理なこじつけはしていないものの、殊更、至宝である吉野ヶ里遺跡に、纏向と張り合うように、古代国家の巨塔を設けて、「幻」を創造していますが、肝心なのは国家考証の部分です。

 そもそも、三世紀当時、九州と畿内の間には、交渉どころか、交信もほぼなかったので、武威を競い合うことはなかったのです。勢威を示すのは、近隣諸集団であり、高貴な貢ぎ物を求めるのではなく、収穫の一部を搬送してくれれば良かったのです。三世紀に「古代国家はなかった」と見るべきです。

 倭人伝に東方海を渡ると倭種がいて、倭国に属さないと記されています。

 演出された吉野ヶ里「帝国」は、三世紀に不似合いに強固な十全国家なのに、後代に継承されず埋没したことへの疑問も解けないのです。

 そうそう、鉄器の大量出土の示すものは、当時鍛冶屋が営まれていて、鉄器の作成補修が、国の基礎として確立されていたという大事なことです。

*卑弥呼の姿
 「民衆の前に姿を現すことがなかった」とは、誤解と誇張の重畳です。後世ではないから、国王が「民衆」の前で支持を求めることはなかったのです。報道機関も人員大量移動もないから、民衆は首都「村」の村民なのです。

 「見るもの少なし」をそうに読んだら取り違いです。大国の王でありながら、日々、朝見、裁可の執務はしなかったというものです。

 テレビ番組の定番とは言え、倭人伝にない「大乱」闖入は困ったものです。

 復習と言うものの、平原王墓の称揚は、冷静であり尊敬に値します。但し、倭人伝に書かれていない「呪力」の連呼はいただけません。

*算術能吏の影 文明の萌芽
 今回の出色は、筆墨硯の存在を強く示唆する遺物です。紙生産の形跡がないので竹簡時代でしょう。番組は、硯と共に紹介した案(書卓)の意義を追求していませんが、読み書きに加え算数の訓練がされた会計計算、日本語で言う経理の形跡に見えます。能書吏員を養成すれば、算木で大量の計算がこなせます。関連して、地籍・戸籍簿も示唆されます。このように、古代国家の要件は、帳簿を伴う文書行政であり、書卓は文治国家の肝心な要素です。

□番組の限界
 番組制作者としても、一方に荷担する番組作りはできないし、まして、「両陣営に批判的な論者の意見はないことにして」行かざるを得ないのでしょう。権威者の顔を潰さないようにしないと、以後番組制作に協力が得られなくなるし、日常の報道にも支障を来すと懸念されるのです。

 そんな学界背景は、熱湯風呂にも似た形勢になっているのです。批判するなら、両陣営が炊き立てている熱湯風呂に浸かって所感を述べよというものです。それが、「終わりなき邪馬台国論争」の実相です。

 今回、前半を見て、またもや、熱湯風呂の温め直しかと思ったのです。

                               未完

新・私の本棚 番外 諸説あり!邪馬台国S 「幻の国」2/6

 諸説あり !邪馬台国スペシャル!▽古代ミステリー幻の国は”ここにあった”

 私の見立て ★★★★★ 必見 BS TBS 2019/05/10 記2019/05/12

*冷静なコメンテーター
 なお、今回の「ゲスト」と呼ばれるコメンテーターは、自由な想像力の根拠として、豊かで健全な常識と論理的な思考を備えたSF/伝奇作家であり、業界に行きがかりを持たないので、中国史官の誇張、捏造という安易な決めつけはせず、その「筆」を擁護するのは、得がたい意見です。倭人伝諸論客が、てんで勝手に読み替えしていると、軽く触れているのは至言です。

□諸説 1 畿内説
 ここで、二大所在地説の一方の雄、纏向説の泰斗石野氏が登場します。物心共に長年にわたり纏向陣営の総帥ですが、もはや、牽引者の地位を譲り、格別な好意で「レジェンド」として博物館入りしていただくべきでしょう。

*科学無視の桃種論
 桃種の年代鑑定結果は、想定した三世紀前半との「結果」が出ず、幅広い時代で卑弥呼時代は外してないとの判断が妥当で科学的です。倭人伝に「シャーマン」のシャの字も呪術もないのに、まくし立てるのに恐れ入ります。

*強引な土器由来談義
 出土遺物は、幾つかの地方産物が、纏向から出土したと示すだけで、産地人の土産とは、氏の情感に訴える「心地良い」仮説に過ぎません。

「全国」から山河越えて土器を抱えて参上したとは誇張そのもので戯画てす。物は、交易連鎖で辿り着いたのであり、人は来たかどうか不明と見られます。

 冷静に考えて、文字のない時代、纏向から板東(例)に、土器を抱えて来いと「指示」するには、当人が出向き、直に面談指示するしかなかったのです。

 心地良くても合理的な説明のない仮説は、火水の「試錬」に晒すべきです。

*丹に纏わる綺譚
 今回、藁をも掴む畿内説補強策として、紀伊半島特産の丹に関して、事実誤認、時代錯誤の発言が横溢しています。

 採掘遺跡だけで水銀精製(焼成、脱硫)遺跡は示されず、史料の丹献上記事が、意識の彼方に飛んで迷走しているのは、痛々しいものがあります。丹は、顔料医薬の価値があり、水銀は無価値です。汞と丹は、外観性質の全く異なる異物で混同してはなりません。

 それほど重要な資源採掘現場に鉄器を導入しなかったのも不可解です。

 汞ならぬ丹が珍重されても、共通通貨も交信手段もなく、代金保証の手段もない時代、纏向集団が中国と直接交渉で丹を「輸出」はあり得ず、物物交換の長いハシゴを辿って、ゆるゆると各地の土器を集めたのでしょう。

*畿内説の光と暗黒
 畿内説は、八世紀初頭の広域政権としての偉容に異論は挟めないとはいえ、五百年後の世界像を三世紀に持ち込むと無理が目立つのです。

 御当人に格別の野心はなくても、長年に亘り多額の公費を得て、いわば孫の代までの負債を抱え、尺進あって寸退なしなのでしょうか。今後、何年、何億かかっても、奈良盆地全体を掘り返してでも「結果を出す」との執念が聞きとれるのです。

 何歳まで君臨される想定なのでしょうか。

                                未完

新・私の本棚 番外 諸説あり!邪馬台国S 「幻の国」1/6

 諸説あり !邪馬台国スペシャル!▽古代ミステリー幻の国は”ここにあった”

 私の見立て ★★★★★ 必見 BS TBS 2019/05/10 記2019/05/12

□総評
 BS TBS制作古代史番組に対する賞賛記事です。但し、前回分と重複する部分は復習していません。と言うように、前半、既存説の我田引水の蒸し返しとも見えましたが、後半は、テレビ番組の取り組みとして出色でした。終わり良ければ全て良し、★5個です。

 端的に言うと、後半部で、既存説の取りこぼした論点への冷静な批判が、中国からの警鐘となり、泰平の夢を破られた向きも多いかと思います。

 中国からの警鐘は、たまたま、畿内説の方に被害が多かったものの、九州説も、時代錯誤の議論が多いことがはっきりしたように思われます。

*「幻」の起源
 冒頭で当然のごとく前振りされているのが、既に誤解を秘めています。「古代国家」、「日本」と無造作に言うものの、当時、広域支配の「古代国家」があったというのは、安易な決めつけに過ぎないのです。「幻」は、現代人が紡いでいるのであって、当時は目前にある現実だったのです。

 当然私見ですが、広域支配に不可欠な文字、文書行政がなかった以上、古代国家はなかったとする見方が有力と思われます。また、八世紀冒頭に宣言された新国家「日本」が、三世紀に存在しなかったのは当然の理屈です。

 これらの難関をあっけらかんと無視して、その先に架空のお話を作るのは、大きな無理というものです。但し、これは、定説派の戦略で広く進められているので、この番組の責任ではないのです。

*番組の定礎確認
 それにしても、話の運びで、定説が読み過ごしている多くの選択肢が、右へ倣えで捨てられているのは残念です。そもそも、冒頭の旅程読みが先入観に支配され、多くの選択肢が遺棄され、諸説の読み尽くしはできないのです。

 続く道里談義は、倭人伝の得手勝手な改竄、読替えを野放しにして、文献解釈を混沌とさせる「一説」であり、当番組は、諸説をこじつけ読みに巻き込み、文献の着実な解釈を捨てる口実にするのは困ったものです。そもそも、この行程が魏使の辿った道のりとするのも「一説」で必然ではないのです。

 そもそも、当然のように図示される郡から狗邪韓国まで沖合遙かの海上移動ですが、当時この地域で長距離無寄港は、困難そのもの(明解に言うと、実行不可能)です。それ以前に、日程が天候、潮流に左右され、多数の漕ぎ手を要し、座礁、難船の想定される沿岸行程が、長距離の官道として採用される意義が理解しがたい(あり得ない夢想)のです。

 つまり、番組開始以前に、安直な先入観で検証なしに重大な選択肢が捨てられています。解決、克服済みのFAQ(良くある質問と回答の一例)などではないのです。

 番組の前提に、番組自体が不確かと感じている定説を採用するのは、他に策がないとは言え、世に誤解を広げて、寂しいものがあります。

 番組諸処に畿内説風の史料解釈、史料改竄が刻み込まれて、不気味なものがあります。両論比較といいながら随分傾いた基盤に立っているようです。

 学問は、公明正大な議論が第一です。

                               未完

2019年5月 9日 (木)

今日の躓き石 毎日新聞野球報道「リベンジ」汚染と迷走

                      2019/05/09

 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊13版、スポーツ面の「逆転サヨナラ」ゲーム戦評の締めである。「首位チーム相手に強烈なリベンジを果たした。」と格好を付けているが、何とも、格好の悪い言葉遣いである。

 「リベンジ」なる悪質なだめ言葉談義は恒例であるが、担当記者が理解していないようなので、復讐、いや復習する。

 「リベンジ」は、いわゆるカタカナ言葉であるが、語源が英語とすると、revengeであり、これは、「殺す」とか「死ね」とかに類する、太古以来悪質な禁句である。現代に頻発する報復テロを正当化する言葉だからである。いや、若者言葉では、「テロ」も冗談半分になっているようだが、自爆テロを含み、多数の死傷者をもたらす行為であるから、冗談めかしている場合ではない。

 それが、特にスポーツ分野で蔓延しているのは、むしろ、前近代的な勝負観から来ていて、負けた相手にやり返す、仕返しする、ぶち殺すという不穏な意味になっている。全国紙のスポーツ報道から排除すべきであることは言うまでもない。

 ところが、近年目立っているのは、「再挑戦」の意味の、かなり軽い誤用であり、むしろ、こちらが若者文化の主流ではないかと思うのである。先日も、NHK総合の若者向けスポーツ関連番組で、「リベンジ」が連発されていたが、公共放送も、若者に迎合する時は馬鹿になるという例かも知れない。

 と言うことで、今回の記事を見ると、これは「復讐」と読める。担当記者は、若者言葉に迎合するのではなく、単に、このみっともないインチキな言葉遣いを持ちだしているようである。署名記事とは言え、ここでは個人攻撃とはしていない。全国紙の紙面に掲載される以上、全国紙の基準に沿った言葉遣いになっていると思う。毎日新聞は、血なまぐさいリベンジを公認、奨励しているのか、と言うことでもある。

 後世に残したくない「腐った」言葉が、言葉の護り人として敬意を払っている毎日新聞の紙面に、またまた出回っているのを見るのは、まことに残念である。微力な一宅配購読者として、悪声ながら、一声上げているのである。

以上

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