新・私の本棚 石野 博信 古代住居のはなし 2-2
私の見立て ★★★★★ 必読 西川弘文館 1995年5月刊 2019/05/26
□倭人伝記事について
倭人伝の文献解釈の中でも、風俗記事の読みには、異議が出ます。
とかく言われるように、考古学に文献解釈を持ち込むのは、考古学の主体が失われるので、禁物であり、参考データとしてのみ利用すべきでしょう。
倭人伝の文献解釈は、いろいろな外的影響、特に、国内文献による汚染が避けがたく、結果として、諸弊害を呼んでいるようです。
*個室観
倭人伝には、(そこそこの地位の住民の)家屋は部屋仕切りがあり、夫婦兄弟の居処臥所は別とありますが、簡潔な書きぶりで、夫婦がそれぞれ別室、子供も一人一人別室と読むものかどうか見定めがたいように思うのです。
つまり、そうかも知れないし、夫婦寝間と子供寝間が別なだけかも知れないのです。もともと、帯方郡書記の現地報告を、現地勘のない広壮な屋敷住まいの洛陽人が要約したから、そのつもりで読まないと誤解になるのです。
いずれにしろ、当時、各部屋は隔絶されず、中央部の囲炉裏を囲むように配置されて仕切られていても、入り口は開いていたでしょう。風通しのよい作りで、近年のようにプライバシーはなかったはずです。
*寝所観
子だくさんの親子が限られた場所で寝起きするのだから、夫婦の間に子供が入った川の字なり、男児と父親、女児と母親が別寝間だったかも知れないのです。後年の万葉集に書かれた風俗ですが、相通じるものがあるはずです。
石野氏は、大家族雑魚寝でなく、個室育ちだったのでしょうか。
*纏向首都観形成以前
意外にも、本書執筆時の石野氏は、纏向首都観でなく唐古・鍵遺跡を重視されていて、纏向は、箸墓古墳など古墳群の付帯設備と見ているようです。現今の強引な纏向首都観は、この後、急速に造成されたようです。
*鬼道について
倭人伝の「鬼道」を新来宗教と見ますが、ご先祖さま信奉から渡来宗教への変心は、古老が認めないでしょう。「鬼道」は、倭人の伝統的信仰であり、卑弥呼は、その「巫女」育ちと見ると筋が通るように思われます。
□結語
と言うことで、本書において、氏の見識は、遺跡、遺物という「現実」に根ざし、後のように畿内説の窮地救済の使命はみられず筋が通っています。
この後、氏は、纏向遺跡の旗頭に祭り上げられ、崇高な使命感に燃え、素人目にも無理な理屈を通そうとしているので、誠に痛々しいのです。先日の最新テレビ番組では、石野氏自身、(何年かかろうと、何億円かかろうと)、纏向全域を掘り尽くしてでも、自説の裏付けを掘り出してみせる、と言う感じの檄をぶっているのです。
氏の学術論考の原点を思い出していただきたくて当書評を公開します。
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