倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 余録 「短里混在」一括否定の無理
*風評への弁明
以下は、引用で無く、次の「風評」に対する当事者の弁明です。
『倭人伝のみを「短里」とする「短里混在」説があります。これは、三国志全体は長里で、一部に「短里」が「混在」するという立場ですが、成立困難です。』
*「混在説」でない「地域短里説」
当方は、ここで成立困難とされている倭人伝のみを「短里」とする説を採るものですが、どんぶらことばかり「混在」説と呼ばれると異議があります。
追い打ちで、三国志全体が長里なら倭人伝も自動的に全部長里となるべき所、一部に短里が紛れ込んでいるという「立場」を押しつけていますが、そのような立場をあてがうのは、論考の内容にお構いなしに、「成立困難」、「支離滅裂」と罵倒しているに等しいのです。
*不条理な決めつけ
当方は、「地域短里説」、つまり、地域限定した議論で、「倭人伝」は地域限定の短里(のみ)で書かれているという排他的でない主張であり、「倭人伝」内に「短里と長里が混在している」と決め込んだ主張をしているのではないのですから、想定いただいた「立場」には立っていなくて、提供いただいた呼び方は、理屈が立たないのです。
*学問的立証
また、そのあとで、学問的に成立困難と断じていますが、提示されているのは、文献としての「倭人伝に実際に書かれている里長を実際の地理に当てはめると、そこに短里が敷かれていたと判断できる」と言う主張であり、これは、無理なく、何の困難も無く、学問的判断と言えるでしょう。
勝手な決めつけを排すると、「倭人伝領域で短里が敷かれてなかった」とする決め込み(勝手な思い込み)に対する学問的な論証は確立されていないのです。
*混在説の行方
ご指摘の「混在説」の提唱者は、「それ以外の領域で短里が敷かれていなかった」と論証する義務が生じますが、当方は、「領域外の里長に関して何も主張していない」のですから、そのような立証義務はないのです。
*領域外の証明
むしろ、領域外で短里が敷かれていたのか、長里が敷かれていたかを論証するのは、そちらの責任でしょうと言いたいところです。御自分の論証すべきことを当方に押しつけて、「成立困難」、関西弁で言うと「せいぜい、お気張りなはれ」といわれても、同感しがたいのです。
*突き詰めた果て
「突き詰める」と、倭人伝領域に制度として短里が敷かれたとする「学問的な」根拠が無いということのようですが、まずは、お互いの話として、当時地域でどのような制度が敷かれていたかという文献証拠が一切無いのをどうしろというのかということです。
*無理な魏晋朝短里
別途論証したように、中原政権(曹魏)が国家制度として、短里を敷いたとする学問的な証拠は「一切無い」のです。むしろ、「そのような里制変更は無かった」とする証拠が多く得られています。地域外を論じない、つまり、排他的でない地域短里説を排除するために「魏晋朝短里」の視点を起用しても、学問的に立証されていないという事実に変わりは無いのです。
*証拠なき論より、自律する証拠
これに対して、当方は、先に挙げたように、それでも、実際に「倭人伝は短里で書かれている」とする、論より証拠の「地域短里制」の主張です。
*困った時の否定論
空耳かも知れませんが、そのような書き方に前例がない、は否定論に窮した時の決まり文句ですが、現に、倭人伝はそのように書かれているのだから、これ以上に「学問的」な証拠は無いでしょう。
*残された道
むしろ、様々な選択肢が全て「無理」として否定された後に残る、唯一否定しがたい選択肢ですから、これが正解という思いがあるのです。
以上
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