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2019年6月

2019年6月29日 (土)

私の意見 行程説批判の基本について~異論の調理法

        2019/06/29

 今回は、学術的な論議のイロハを、自戒の意味をこめて再確認している。
 このような愚見を披瀝した契機は、さるサイトの論議であるが、個人批判目的でないので明記しない。要は、よくある勘違いを指摘するだけである。

*イメージ化の弊害
 一番目につきにくいが、根深い愚行が「イメージ」の悪用である。現代語で、イメージは、例えば、ラーメン具材では、麺の仕上がりや盛り付けは、ほんの一例ですよ、と言う際に「イメージ」と断ればすむようである。カタカナ語の原点らしい英語では、神の姿を信者が勝手に思い描いた姿を言うようである。いずれにしろ、イメージは現物ではなく、イメージを描いたものの創作なのである。

 ここで言えば、行程記事は、最初から最後まで一貫して、ある地点から次の地点への里数が順次書かれているという(単純に)直線的な解釈を根拠として絵解きしたものであり、さほど誤解の余地はないように見えるが、原文に自己流解釈を加えて加工したものは、必然的に原文を離れているので、厳密な論議に耐えないのである。
 また、文の解釈は突き詰めれば厳密なものとすることができるが、図の解釈は、それぞれの背景となる時代・地域文化の上に醸成された個人の解釈に従うのであり、それは、個人毎に大きな異同があり、内なるものは較正しようがないので厳密たり得ないのである。
 実は、「イメージ」は、見る人ごとに、異なった「現実」を想起させる、つまり、その人固有の記憶を書き立てて思い描かせるものなのである。
 その意味でも、「イメージ」は、史学の論議過程で、客観的に参照する「原器」(「ゲージ」、あるいは、以前のメートル原器から作成した尺度基準)にはなり得ないのである。

 古代史論議で言えば、資料原文に基づく議論ならともかく、一論者が、手前味噌で描いたポンチ絵を異説批判の根拠にするとは「笑止」である。きわどい言い方であるが、論者の好みらしい「おかしい」を古風に言い直しただけで、たいした意味ではない。

 それはさておき、「イメージ」の前提と思われる現代語文も、結構勝手な解釈を経ていて、当然原文そのものではないから、必ずなにがしかの誤解を含んでいると見られるのである。(厳密に検証されない限り、と言う意味である。たまたま、間違っていないと証明されるかも知れない)ことが重大なので、丁寧に書いて、大変長くなったが、事の深刻さを理解いただくためにイロハから説き直したのである。

 今回の議論で言えば、論者が議論の武器としているのは、要は、自己流に描いたポンチ絵であり、そのポンチ絵は、要は、誰か知らない現代語文作者の「創作」(嘘とは言わない)に依存しているから,論議に起用する物差しとして無効であると言いたいのである。この手順が持ち込んだ議論のどこが、どう間違っているかは、論者が自分自身で、気づいて克服すべきものであるので、傍からは言わない。

 と言っても、何も具体的な指摘がないと、手掛かりが得られなくて困るだろうから、少し口を挟むことにする。
 課題となる部分は、端的であるのでここに引用する。
 南至邪馬台國女王之所都水行十日陸行一月
 南へ水行十日陸行一月で、女王が都する邪馬台国にいたる

 字句引用は、一行にベタに書き出してから改行しているので、緩やかな解釈ができる原文に一定の解釈を主張、つまり、押しつけている。せめて、「都」の後に句点を補って、区切りを付けるべきではないか。
 正調の漢文は、だらだらと続けないのである。素人考えでは、この部分は、「之」を勘定しなければ、六+四+四+四の四つの短文に分かれて書かれているように見えるのであるから、まずは、ずるずると「膠着」せず、キリキリと読み取るべきではないか。

 そうして、四文にほぐした原文を、続いて順当に読み解くと「南すると、邪馬台国に至る。女王が都としている。ここまで、水行すること十日。そして、陸行すること一月である。」と解するのが、誠に自然と思われる。少なくとも、有力な「別解」として控えさせなければ、学問として、不正確な進め方と思うのである。
 しかし、ここに挙げられた現代語文は、先に書いたように一途に思い込んでいて、そして、批判なしにその読み方に追従した論者は、別解は自説の具材として好みに合わないので却下したのか、気づかなかったのか、「別解」は持論に採り入れられなかったのである。

 つまり、論者の「イメージ」は、ある解釈の押しつけに踊らされていて、論理の筋道を遡行すると、実は原文を自己流に改竄しているのである。

*異説の調理法
 読み下し以前で論者のイメージと見解が分かれている異説は、当然自身のレシピを持っていて、自己流読替論者の好む味付けには、はなから合わないのが当然である。

 論者は、やり玉に挙げられた奇特な異説が、投馬国などの里程がすべて郡起点としていて不合理と難じているが、論者の読み方が浅いのが原因で誤断したものと思われる。当然ながら、帯方郡は直線行路の要などでなく出発点であるから、最終地点までの里数と所要日数を総括するのを除き、いちいち、各国への里程の始発点とされるはずはないと見るのが自然ではないか、いや、合理的ではないか、と見られるのである。いくら異説の提唱者でも、それなりの常識は持ち合わせていると見るものではないか。
 いや、遅れて気づいたのだが、百人百様の諸説の中には、不弥国が半島西岸にあって、そこから発する投馬国行き行程と邪馬台国行き行程は、それぞれ、方位は許容範囲内であって、水行二十日と水行十日、陸行一月の日数は、行程記事と整合しているという説もあり、素人が先入観に左右されたことをお詫びする。

 論者は、異説の提唱者に自身と同じ直線的思考を求めたようだが、異説に対する反論は異説に対して行うべきであり、自画像「イメージ」に向かって行うべきものではないのである。

 と言うことで、議論の出発点で既に進路が曲がっていることを指摘するが、論者の議論の細目については論議しない。

                                以上

2019年6月24日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞の苦言の心地よさ 「元気をもらった」への違和感提起

                                2019/06/24

 今回の題材の毎日新聞大阪夕刊3版の「特集ワイド」は、まことに惜しいことに1面で大きく躓いています。見出しに曰わく「違和感覚える言い回し」とは、何とも無様です。「違和感を覚える」と「てにをは」を足した言い回しについて何か語ろうとしているとしても、何に対して違和感を「感じた」のか書かれていないから、見出しとしての意味が不明です。散歩道で、些細な小石に躓いたようなもので、足を痛めたという程でなくても、一瞬足が止まるのです。
 つまり、全国紙の一面見出しに期待される健全な言語感覚から見て、個人的な意見ですが、この見出し自体が問題外、場違い、違和感の塊なのです。

*上には上、下には下
 その程度「外れた」(当方の勝手な感想で、随分言い過ぎですが)感覚の持ち主にも、「元気をもらった」と言う今どきの言葉遣いは、なじめないから、これは相当のすぐれものです。但し、これは、人生観の問題なので、はたからとやかく言うのは、結構難しいと思います。

 と言うことで、実は、当記事に書かれている流れは大賛成なのです。

 記事にも書かれているように、この大変不出来な言い回しの由来を探ると、日本的な謙遜で「自分は弱虫だけど、皆さんから貴重な「元気」を分けていただいてなんとか元気が出ました」と膝をかがめてみせるところが、いつの間にか、「自分にないものを棚ぼたでゲットした。ラッキー!!」と丸儲けの言葉遣いになっていて、何となく、「さもしい」ものもらい根性を感じさせます。そんなにいいものをもらったら、返せよとも言いたくなります。

*いつでも自分の中にある元気
 そう、当方は「あなたのおかげで、力の無いわたしも元気が出ました」と言う趣旨で喋るべきだと思うのです。元気を「もらった」のではなく、元々本人の心の奥に潜んでいたのが、今回、「きっかけ」があって心の中に広がったのです。そう思えば、自分で元気を出せるはずです。弱くない。自分で自分の強さに気づいていなかっただけです。

 そう、既に、当世流行りの言葉遣いは上っ面の耳障りが良いとしても、底辺から崩れているのです。毎日新聞は、その実、良い意味で「保守的」な言葉の護り人だと信じていますが、社内にいろいろ不用意な言葉遣いをする人がいるので、ここで文句を付けるのです。

 今回の記事で言うと、冒頭の見出しが、どうにも不細工というだけです。世間の流れに逆らって、良く言ってくれたというのが、大半の意見なのですが、ここは、定番として文句を垂れる場所なので、こうなったのです。何しろ、自分の周囲にだけ通じたら、後は誰がどう思っても関係ないというのが、大勢のようですから。

以上

今日の躓き石 今どきの歴史 令和元年六月分 土器焼成技術創世記の怪

                            2019/06/24
*悩ましさの時代
 毎度お世話になる「今どきの歴史」ですが、今回は見出しに困惑しました。「悩ましい」は、近年、将棋界で多用されていますが、古手読書人には、官能分野の用語と聞こえるのです。読む人によって語感が異なる言葉遣いは厳禁、と言うのが、全国紙記者の職業倫理だと思うのですが、当記事担当者は、今どきの人なのでそうなのか、何とも無頓着です。

 今回の記事は橋詰氏(潤・新潟県立歴史博物館主任研究員)の意見のほぼ丸写しのようですが、全体として、氏の学界言葉を口移しするだけになっているのはどうかと思うのです。

*「事実」の大安売り
 一つには、ここに書かれているのは、あくまで、一考古学者の意見であり、学会発表したものの「裏」がとれてないはずなのです。例えば「最初の土器が東アジアで出現した事実」と断言しているのをそのまま伝えるのはどんなものでしょうか。「事実」と勝手な言葉遣いですが、多分氏の個人的推定に過ぎないし、当時、東アジアと北アフリカのどちらが先だろうと大勢に影響ないのではないかとおもえるのです。

*土器焼成技術の起源
 一部では、東アジアで発祥した土器焼成の技術が欧州まで伝搬した、と心地良い「噂」が流れているようですが、この新技術は、火山性山火事が見られる日本列島で発見され大陸に伝わったかとは、古田武彦氏が唱えたものと思います。
 それはさておき、橋詰氏は、この「噂」に懐疑的のようですが、それにしても、当記事の「図」を信ずるならば、中国南部雲南省あたりが発祥地で、そこから各地に伝搬したとの意見のようです。その「事実」は、将来も動かないのでしょうか。

 言うまでもないのですが、土器焼成とは、その辺にある粘土を適当に捏ね上げて、たき火に放り込んで一丁上がりではないのです

*根拠不明の議論
 ついでながら、橋詰氏作図なる原典不明の地「図」が、当時の地形との確認はどうなっているのか不審です。
 また、各年代推定が、どのような手法で行われたか示されてないのも困ります。当記事の以前の回で、C14年代推定が今後、参照データが変化して、判定結果も変わると想定されています。

 言うまでもないのですが、当時は、別に全国紙が報道していたわけではないから、各地への技術伝搬は不確実で低速であり、もとより、一山越えれば食材も食習慣も違うから、それは、単一文化風俗の地域ごとの違いという「多様性」と違い、元々、別々のものが、互いに影響し合っていただけではないのか。
 また、無造作に括られた範囲内が、一カ所の窯元から独占供給されたのか、細かくのれん分けしていたのかも興味深いところです。

*最後の大見得
 第二区分の最後から橋詰氏の長口説が始まりますが、学界用語らしき漢字熟語に言い崩したカタカナ語が混じって敷き詰められていて、とても、一般人が言葉の意味をすらすらと読み解けるものではないのです。「その説明」と言うのは、こんな感じで、遺物、遺跡に記されていない研究者の手前味噌のこじつけを言うのでしょうか。同時代人の心に寄り添わなければ、当時の事情を察することはできないのではないでしょうか。そして、一般人の心に響く言葉遣いで語らなければ、伝わらないのではないのではないでしよう。そこを繋ぐのが、考古学者の使命だと思うのです。

 そして、こうした呪文を噛み砕いて伝えるのが、歴史マニアならぬ、専門記者の使命ではないのでしょうか。三段落にわたり、判読困難な引用が続きますが、この後、橋詰氏が、自分の考える「真相」が「見えて」きたと称して、「モデル」を妄想し、「ストーリー」を創作して、勝手に張り切って、この調子で、言葉の通じ合っていない読者に押しつけて来るのはたまらないと感じるのです。

*総評
 毎回ですが、毎日新聞の当記事は、単なる報道か、新聞社としての見識披瀝か不明です。個人的に悩ましがっている場合ではないでしょう。
                           以上

2019年6月20日 (木)

今日の躓き石 毎日新聞の不思議な報道 米国人教師が語る「リベンジ」の怪

                       2019/06/20

 今回の題材は、「リベンジ」ネタにしては珍しく、毎日新聞大阪夕刊3版の社会面の報道です。

 新潟・山形地震
 TSUNAMI聞き取れず 旅行中の米国人「パニックに」

*余談満載、本題不明の非難記事
 いや、記事の主題は、来日中の米国人旅行者が、今回の「新潟・山形地震」に際して、日本語の防災無線が聞き取れず、記事に説明はないもののおそらく人里離れた野宿状態であったため周囲の人に確かめることができなかったのでしょうが、恐怖で我を忘れる深刻なパニック状態に陥ったとの経験談であり、余計な前回来日時の経緯も含めて長々と語られているものの、異国の孤立した場所で自然災害に出会って、途方に暮れたという、それ自体はありうる話としか言いようがないのです。よほど意識が混濁したのか、茫然自失したのか、名古屋の知人などに問い合わせることも思いつかず、相手から先に電話があったという混乱状態では、筋の通った説明ができなかったとしても無理はないでしょう。

 記者があえて全国紙に大々的に報道した、旅行者の本音を忖度すると、防災行政無線の定型連絡の末尾に「津波の恐れがあるので、海岸などを離れて避難所に入るように」との英語のお知らせを付けて欲しいというもののように思うのですが、それ自体は、まことにもっともです。そうできればいいでしょうが、そうも行かなかった大人の事情があるはずなのです。

 旅行者は「防災行政無線」の意味が聞き取れなかった、つまり、ここの書き方では、「防災行政無線」の早口らしいしゃべり方が不手際と非難していることになりますが、このような緊急事態での特定の機関の到らないさまを殊更非難するのでなく、旅行者の情報入手手段は、他にもあったのではないかと考えるものです。

 特に、「日本縦断」経路で人里離れた経路を延々と走り、野宿する場合、自然災害以外にも、走行中の事故、天候急変、そして、自身の身体の故障など、異常事態の対応について、自身で十分に備えているものと理解するのです。そうでなければ、無謀というものです。
 昨年8月の旅で地震に遭遇していて、最後は、自身の足首炎症で中断したことから見ても、そうした非常事態全般への意識は高かったものと推定しています。いや、軽々しく「自己責任」とは言いませんが、ここに書かれたように、防災行政無線の不備を、全国紙を巻き込んで一方的に非難されると、同胞として反論したくなるのです。

 防災行政無線と言っても、県のものか市町村のものか、説明がないので困るのですが、いずれにしろ、地方公共団体には予算・人員の限界があり、地域住民への告知は間違いなく実行するにしても、「いるか居ないかわからない、地域住民と接触がなく人里離れて孤立しているかも知れない」外国人に理解できる連絡まで手が回らないとしても、このように全国紙紙面で非難すべきものでははないと感じます。

 もしそのような必要があれば、予算・人員の活用が可能な中央、例えば、国土交通省で行うべきです。当記事は、矛先の向け所を誤っています。実際、当時、防災行政無線 の管理部門は、一般住民の災害対応に懸命で、数日間は忙殺されたものと思います。落ち度を咎めるのではなく、思いやっていただきたいものです。

 少し丁寧に言い加えると、災害発生時、「放送」、つまり、NHKを初めとする各ラジオ、テレビ放送は何も英語放送をしていなかったのかとか、ネット上に英語報道サイトは無かったのか、など、いろいろ不審を感じます。

 大の大人(年齢不詳)が、二度目の、つまり、想定範囲の筈の地震遭遇に、何すすべもなくオロオロして、知人の電話が来るまでショック、パニックに浸っていたのかと思うと、当人にとって、大変不名誉な記事と思います。

 言うまでもなく、
そのような通信事情は、当の毎日新聞記者が熟知していたはずであり、ここに書かれていない理由が不明です。

 旅行者は、個人的な意見として、「防災行政無線」が日本語で「ツナミ」と言ってるのが聞こえても意味があると言うが、地震の後にツナミが来るということだけ知ってどうなるのか不明です。まあ、それは、取材した記者が問い返していないから、趣旨不明の提言と取るしかないのです。一言で言えば、字数の無駄でしょう。

*罰当たりな「リベンジ」発言創作
 いや、当ブログ記事で本当に問題にしたいのは旅行者の再来日の由縁である「リベンジを果たす」という言い回しです。いや、今回の記事の大切な主題に全く関係無い、字数稼ぎかと思われる無駄話ですが、一応読解こうとします。

 まず、旅行者は担当教科不明の「教師」とされていますが、小中高のどのレベルかすら不明で、担当も不明、というものの「国語」(英語)教師でなくて体育教科専任などでも、英語についての権威は持っているはずです。
 そうしてみると、談話は、日本語で読むと、教師にあるまじきカタカナ語まじりの意味不明の戯言、馬鹿話に聞こえるのであり、元々、同程度の崩れた英語談話だったのが、「ちゃんと」翻訳されけているのか、日本語教養の足りない記者の創作なのか不明なのです。

 と言うのは、ちゃんとした記者であれば、日本語の正しい使い方にこだわるはずであり、人によって意味の受け取りが大きく異なるカタカナ語まじりの言い回しは、なんとしても避けるはずなのです。また、英語で禁句に近いrevengeなる罰当たりな言葉を聞いたら、「わざわざ再来日して、誰に復讐するのですか」と問い返すはずです。

 まして、このような不都合な記事を書くと、米国人教師が「リベンジ」と喋ったという誤解を広めるので、流す害毒は大きいのです。つまり、子供が真似するのです。全国紙は、正しい言葉の護り人であってほしいものです。

 さらに問題なのは、毎日新聞の校閲体制です。署名記事で、文責は記者にあるとしても、言うまでもなく、記者の訓練不足は、新聞社に全面的な責任があるのであり、このように紙面掲載した以上、毎日新聞の責任は免れないのです。このような報道記事としてどうしようもなく散漫で、しかも、子供達に伝えるべき日本語文化を破壊すお粗末な紙面が届けられるのであれば、全国紙の権威は大きく損なわれていると見られても仕方ないと思うのです。

 以上、一回の定期購読者の意見であるから、毎日新聞として、歯牙にかけないとしても驚きはしませんが、全国紙の基盤が緩んでいると感じたことは、率直に伝えたいのです。

以上

 

2019年6月16日 (日)

今日の躓き石 安直で不出来な球界商標「関西ダービー」への疑問

                               2019/06/16

 今回、CSの中継で三連戦を見ているのですが、関西球団の交流戦を「関西ダービー」と呼ぶのは、なんとも、不細工です。それなら、西武-巨人は、「東京ダービー」、千葉ロッテ-巨人は、「ベイエリアダービー」なのでしょうか。

 そもそも、球界が参考にすべきMLB(アメリカメジャーリーグ)で、近郊球団の対決を「****ダービー」と呼ぶことはないのです。
 MLBは、日本の交流戦に当たるインターリーグで、近隣チームの対決、例えば、ニューヨークヤンキースとニューヨークメッツの対決は、サブウェー(地下鉄)で両チームのフランチャイズを行き来できることから、「サブウェーシリーズ」と呼んで盛大に売り出していて、他地区は、それぞれ独自の呼び方で、つまり、商品として独自のネーミング/商標で売り出しているのです。

 そもそも、「ダービー」は、英国イングランドの地名であり、有名な競馬レースが行われることから、イングランドで盛んなフットボール(ラグビーとサッカー)の同地区対決を「ダービー」と呼ぶ習慣があるようです。(詳しく確認したわけではない)

 しかし、欧州大陸諸国や中南米諸国は、各国独自の文化を誇りにしているから、いまいましいイングランド地名を名乗ることはない、はずです。

 してみると、今回耳についた「関西ダービー」は、野球の世界にないだけでなく、フットボール界でも、イングランドローカルの習慣に過ぎないようです。いや、丁寧に言えば、日本では同国と見えているスコットランドですら、イングランド地名を好むとは思えないのです。フットボールの世界では、両者は同国というわけでなく、別ネーションの「敵国」なので、好んで,イングランド地名を名乗るはずはないと思うのです。

 このように、「関西ダービー」は、日本固有文化の誇りもなければ、グローバルな通念に習ったものでもなく、やんわり言えば、大変できの悪い「商標」です。球界で使用の前例がな狗手、商標として使用できるとしても、それは、先覚者が、この言葉は、できが悪くてとても公にできないと使用を控えたからです。

 プロ野球(NPB)が、このようなできの悪い呼び方を採用しているのは、低俗、安直の批判を免れないと思うのです。球界は、100年を超える歴史の中で、様々なカタカナ語汚染を日本語に持ち込んで後世に負の伝統を残していますが、またしても、子供たちに、覚えて欲しくない半カタカナ語を残すつもりなのでしょうか。

 ここで批判したところで、当事者の耳には入らないでしょうし、仮に耳に入っても、歯牙にも掛けられないでしょうが、当方は『「口」はないが大声をあげなければならない』のです。

以上

 追記:いや、CS中継放送の「関西ダービー」連呼は、NPBの本意でないのかもしれないのですが、当然、商標使用について「責任」があると思うので、NPBを批判しているのです。
 CS中継は「京セラにファンが詰めかけている」などと、問題発言をアナウンサーがボロボロ取りこぼす程度の商標認識不足なのですが、天下の有力民放「ABC」が、堂々と番組名に「関西ダービー」と打ち出し、「#関ダビ」などとツイートを煽っているので、ここでこうして問題提起しているのです。

 

2019年6月15日 (土)

今日の躓き石 毎日新聞「タカラヅカ余話」暴走 壬生義士の汚名

                        2019/06/15

 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊13版文化面の囲み記事「銀橋のきらめき タカラヅカ余話」~幕末もの、であり、タカラヅカの出し物「壬生義士伝」の紹介なので、本来は、当ブログの圏外なのですが、筆者たる演劇評論家が、歴史観のボロを見せているので、一言批判したものです。

 ここで、筆者は、壬生義士伝の主人公が私怨のない相手を殺しているとなじっているのが、何とも不思議な世界観です。

*時代無視のリベンジ主義
 どうも、氏は「人は私怨があれば人を殺していい」という「リベンジ」主義を主張しているようですが、それは、時代と国情を越えて、ただの人殺しです。そして、主人公は、恨みも何もない相手を殺すという不満を、家族の生計を支えるという「己の義」のために押し殺して、つまり、新選組内で一二を争う剣技の持ち主であり、「出稼ぎ」として金のために冷酷な殺人を演じたと捉えているようです。感想は、もちろん個人個人の勝手ですが、大きく的を外していて、素人目にも、誤解と言わざるをえないでしょう

*義士の義
 素人考えながら、新選組は、朝廷から大政を委ねられた征夷大将軍が、天子の宸襟を脅かす暗殺集団、テロリストを討滅するために臨時に設けた京都守護職が臨時に設けた治安維持部隊であったと思うのです。そして、新選組は、発足当時幕府の正式の機関ではなく、京都守護職預かり、つまり、幕臣でなく非正規の身分であったのですが、現実には、時の天子の命を受けて大義のために活動していたのであり、そのように、公式の幕命や藩命でなく、非正規の使命を命がけで体現したことを見て、原作者は「壬生義士」と題していると思うのです。少なくとも、隊長、副長など、創立時の面々は幕府からの召集を受けて江戸で参集したとはいえ、主人公は新選組の募集に応じて遙か京都に馳せ参じたのであり、「義」の感じ方は、それぞれ異なっていたでしょうが。

*汚名の起源
 後に、幕府の朝廷支配に抗するという美名の下に挙兵侵攻までしたテロリストの黒幕長州が新政府の権力を握ったため、新選組は無法者扱いされましたが、冷静に見れば、その時その場の大義の下に戦っていたと見ることができるのです。本作は、そのように正しく復元した「大義」の下、主人公が家庭人としての「義」を貫いたというのでしょうが、ソリーレ覇、以上のような時代の要請した大義の前提があってのことです。

 こうして考えてみると、氏は、何か、ことの趣旨を勘違いしているようです。新選組は、隊の公務として、テロリストの策動を挫くべく武力鎮圧しましたが、それが私怨なしの殺人だから不正義であると言う理由をお伺いしたいところです。

*時代錯誤の男性至上視点
 末筆ながら、「原作が男性に人気がある」と断じているのは、以下の「男のロマン」なる断定と共に、今日の時代風潮に反して、性差の押しつけであり、賛成できません。
 壬生義士伝に描かれた、家族のために命がけで蓄財する生き方は「男のロマン」などとは別世界であり、そのような生き様が女性に人気が無いとは思えないのです。氏の歴史観、世界観は、時代錯誤ではないでしょうか。

以上

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