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2019年10月27日 (日)

新・私の本棚 「魏略西戎伝」条支大秦の新解釈 貳 随想篇  4/11

                             2019/10/27
*中休み
 ここまでは、西戎伝編纂の背景を確認したのであり、当方の意見では、史料解釈の基本の基本と思うものです。長々しかったと思いますが、建物の基礎が傾いたり不安定では、建物を正立できないのと同じです。

*大海を知らず Salt Lake, not Ocean
 ここで、時代による語彙のずれについて確認します。

 歴史的な「大海」の意味について、日本人を含め、後代人全般に誤解があります。とかく、この言葉を、アメリカ人風に大洋(Ocean)と理解していますが、実は、でかい塩水だまり(Significant salt lake)なのです。大海とは、現地人が見た姿であり、よその地中海などと比較したものではないのです。

 少くとも、二,三世紀までの中国人、中原の住民は、四海と言いつつ、東海すら地平の彼方で大洋の概念はなかったのです。つまり、倭人伝の大海は、広大な太平洋ではなく、日本海ですらなく、大河のように向こう岸がわかっていて、一日やそこらで渡れる、ちょっとした水たまりに過ぎないのです。

 と言うことで、ここでは、すぐそこにある大海の第一候補は、カスピ海であり、第二位以下は、無いに等しいのです。

*大海談義 The Graet Sea at a Glance
 大海が大安息帝国の西であれば、地中海しか当てはまらないのですが、その時は、海西はどこなのか。西洋の研究者は、長年、この読みを掘り下げてインド洋まで視野を広げているようですが、西戎伝は小安息人の規準で近隣地理を描いたのであって、大海はカスピ海、海西、海北、海東は、その周辺と見るものです。この食い違いがとんでもない誤解を生んできたのです。

*カスビ海周行記 Neighborhood Travelogue
 見聞記の始点で、国の西北に大海があり、早速、安息西界安徽城基点で、「大海」西岸に在る「海西」への行程が二通り書かれています。

 一つは、南岸沿いに西北に遲散城に至る行程であり、もう一つは、始点の安徽城起点で逆回転の反時計回りで、海東を北上して海北に至り、海岸に従って西に移動した後転じて南下し、烏丹城を経て遲散城に至り、六日間の大海周回が描かれています。甘英は、大海がカスビ海であることを念入りに明記したのですが、場違いな衍文で、折角の細心の記事がぶち壊しです。

 いつどんな事情で書き足されたかわかりませんが、原文を改竄するわけでもなく一目で場違いとわかる所を見ると、不本意ながら書き込んだかも知れないと思えるのです。或いは、竹簡の段階で綴じ紐が外れて散乱したのを、収拾する時に、衍入したかとも思えるのです。

*誤記が生む誤釈の長い影
 西戎伝に「烏遲散城」が見えますが、記事文脈から判断して単なる誤記と思われます。おそらく、南に進み川を渡る無味乾燥な行文の繰り返しで写本工の意識が錯綜したのでしょうが、海西には三都が予告されているから、安徽城、烏丹城、遲散城で満員で、四都目の烏遲散城は余計なのです。英文資料は、アレキサンドリア(Alexandria)と見ていますが、こじつけです。

 又、中国の文化・教養では、夷蕃地名の命名は原則二文字であり、三文字地名は不首尾です。甘英も魚豢も教養人ですから、そのような不手際は後世に残さなかったのです。つまり、これは転なる誤写と見るべきです。

                              未完

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