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2019年10月27日 (日)

新・私の本棚 「魏略西戎伝」条支大秦の新解釈 貳 随想篇 11/11

                             2019/10/27
【大秦國】大秦國一名犁鞬,以在海西,亦云海西國。地方數千里,有四百餘城。小國役屬者數十。以石為城郭。列置郵亭,皆堊塈之。
有松柏諸木百草。人俗力田作,多種樹蠶桑。

皆髡頭而衣文繡,乘輜軿白蓋小車,出入擊鼓,建旌旗幡幟。所居城邑,周圜百餘里。城中有五宮,相去各十里。宮室皆以水精為柱,食器亦然。其王日游一宮,聽事五日而後遍。常使一人持囊隨王車,人有言事者,即以書投囊中,王至宮發省,理其枉直。各有官曹文書。
置三十六將,皆會議國事。其王無有常人,皆簡立賢者。國中災異及風雨不時,輒廢而更立,受放者甘黜不怨。其人民皆長大平正,有類中國,故謂之大秦。

土多金銀奇寶,有夜光璧、明月珠、駭雞犀、珊瑚、虎魄、琉璃、琅玕、朱丹、青碧。刺金縷繡,織成金縷罽、雜色綾。作黃金塗、火浣布。又有細布,或言水羊毳,野蠶繭所作也。合會諸香,煎其汁以為蘇合。凡外國諸珍異皆出焉。
以金銀為錢,銀錢十當金錢一。

與安息、天竺交巿於海中,利有十倍。其人質直,巿無二價。穀食常賤,國用富饒。鄰國使到其界首者,乘驛詣王都,至則給以金錢。
其王常欲通使於漢,而安息欲以漢繒綵與之交市,故遮閡不得自達。

至桓帝延熹九年,大秦王安敦遣使自日南徼外獻象牙、犀角、玳瑁,始乃一通焉。其所表貢,並無珍異,疑傳者過焉。
或云其國西有弱水、流沙,近西王母所居處,幾於日所入也。

漢書云「從條支西行二百餘日,近日所入」,則與今書異矣。前世漢使皆自烏弋以還,莫有至條支者也。
又云「從安息陸道繞海北行出海西至大秦,人庶連屬,十里一亭,三十里一置,終無盜賊寇警。而道多猛虎、師子,遮害行旅,不百餘人,齎兵器,輒為所食」。
又言「有飛橋數百里可度海北」。諸國所生奇異玉石諸物譎怪多不經故不記云。

後漢書西域伝個人評
 范曄後漢書は、西戎伝の後世史書であり、母体とも思えるので、蛇足ながら、西戎伝同様の批判を加えることとした。一部重複はご容赦いただきたい。

 後漢書西域伝は、出典不明の記事が多く、道里記事の整合性がないのも不可解である。例えば、安息国は方数千里であり「自安息西行三千四百里、西行三千六百里、南行度河,又西南九百六十里,安息西界極矣。」と書くが、東界の小安息国起点でも、西界に八千里は不可解である。

 手掛かりとして范曄言う「今書」がある。順当には、後漢書西域伝底本と思われるが、それにしては、後漢書記事は縮約が錯綜していて不可解である。

 范曄は、漢書は、條支に行った者がいないのに、條支から西二百艅日と書くのは不当と言うが、取材内容を伝聞と明記していて言いがかりである。後続の「又」二項は、漢書に該当記事が見いだせず、「今書」と解するには無理がある。甘英は「猛獣に食われる」など書かないのである。不可解である。

 最前は、大秦国人の中国行を安息が阻止したといっておいて、遙か日南から遣使は不可解だが、范曄は、だから安息阻止説が誤伝だという。日南に至る経路は、西戎伝に言及のインダス上流から、ヒマラヤの南麓斜面を行く、ネパール、ミャンマーの裏回廊経由と思われる。

 范曄が、伝聞徹底排除の書風であれば、西戎伝に示唆もない甘英非難に固執する意味がわからない。何かに激昂して、筆誅を加えたのか。史料を離れて、記事を創作するのは、史家の本分ではないように思うものである、
 
                             随想篇 完

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