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2019年10月27日 (日)

新・私の本棚 「魏略西戎伝」条支大秦の新解釈 壱 導入篇   2/4

                             2019/10/27
□魚豢編纂「魏略西戎伝」(西戎伝)とは
 魏略は、三国志とほぼ同時代に編纂された史書であり、三国をほぼ並記した三国志と異なり、魏朝一代史であり、四百年にわたる漢を継いだ正統政権として、呉、蜀を、反逆者としているのです。魏略は、暫時帝室書庫の所蔵書籍として、厳格な写本継承が行われていましたが、魏朝の正統性への評価が低下するにつれ、書庫外に押しやられ、次第に散逸したようです。
 因みに、西戎伝とあえて銘打ったのは、漢書西域伝で、漢との交流、西域都護への帰属が表明されている西域諸国の「伝」は、既に記録にとどめられているのに対して、ここでは、それより西、漢の威光の及んでいない蛮夷「西戎」諸国の国情を初めて天子に報告するとの意であり、それら新来諸国が、魏の威光に服すれば西域は西方に延びるという主旨と思われます。

*西戎伝の信頼性
 一般論として、魏略佚文には信を置けないとの定評ですが、こと、西戎伝の評価は大変高いのです。裴松之が三国志に付注した劉宋時代、厳重に写本管理された魏略善本を定本とし、写本引用は、裴松之が責任を持って管理した適正な引用であり、三国志原本編纂と遜色のない資料管理が高い信頼性との評価をもたらすからです。誤写や誤記は、数カ所の明白な誤記と後年加筆らしい数行の不審記事にとどまり、正確な史料と見られるのです。
 因みに、二十世紀初頭にかけて中央アジア広域を探検したスウェン・ヘディン(スウェーデン)は、西戎伝を信頼すべき座右の書としたそうです。

*後漢書の虚報
 范曄後漢書西域伝は、西戎伝、ないしは、その原史料に基づく紀伝ですが、原史料の正確な要約でなく笵曄の常識と論理に基づく再構成が行われていて、特に、大秦関係記事は誤伝となっています。特に、甘英の渡航断念事情は、根本的に虚偽記事でありまことに不出来です。西戎伝が残存していなければ、笵曄の是正ができなかったことを思えば、正史といえども、厳重な史料批判が必要という基本的な訓戒がわかるのです。

*大局的使命
 甘英の承けた大局的な使命は、史記、漢書以来の西域探査であり、安息、条支が西の極限ですから、それより西の世界は問題外だったのです。
 あくまで仮定の話ですが、甘英が、安息、条支に至って、さらに西方の土地を耳にしたとしても、それは本来の使命外ですから、仮に使命の延長線上の、いわば、拡張使命になり得ると考えても、その情報の信憑性を確認した上で、以後の対応については西域都護の指示を仰ぐ必要があったのです。
 班超が、仮にそのような上申を受けたとしても、甘英が更なる遠隔地に赴けば帰任が大幅に遅れ、使命報告が大幅に遅れることを大いに危惧したはずです。班超の使命は、西域の安寧確保ですから、成すべき事はその使命の成果を持ち帰り本来の西域都護の任に就くことなのです。

*漢朝偉業の継承
 そもそも、班超が甘英に与えた使命は、西域にひろがる匈奴を駆逐する戦いを西方から支援する同盟者の発見と確立にあったのです。
 それは、かつて武帝が張騫に与えた使命でもあり、当時と西域状勢は何ら変わっていないのです。西域の覇権は、漢か匈奴かです。従って、甘英は、中央アジア暑熱地帯を抜け、史記大宛伝で初めて紹介された安息を訪ね、武帝時代以後途絶えていた交流を再構築したはずです。
 それが、甘英の西域探査の端緒です。

                                未完

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