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2019年11月

2019年11月14日 (木)

今日の躓き石 消費者を欺くフェイクニュース ”レンジファインダースタイル”

                           2019/11/14
 今回の題材は、久しぶりに、デジカメWatchサイトの一記事である。
 デジカメ Watch->カメラ->ミラーレスカメラ->富士フイルム

 FUJIFILM X-Pro3(外観・機能編)

 どうも、根強いはったり癖が、デジカメ業界に巣くっているようである。多分、富士フイルムさんが、ご自分で言っているのではないだろうが、こうやって、有力メディアに提灯持ちされて文句を言わないと言うことは、同罪ではないか。恥ずかしいものだと思う。新製品レビューで、たっぷり泥を塗られて、どうお考えなのだろうか。

 当記事では、今回が初めてではないが、”レンジファインダースタイル”などといい加減なことを言っている。しかし、どう見ても、同カメラには、レンジファインダー(光学距離計)は装備されていない。ないものをあるように言うのは、「だまし」である。

 あえて言うならば、レンジファインダーカメラ(専門サイトなら、一回は、ちゃんと全部言うものではないか)「もどき」というか、「まがい」というか、要は、せいぜい、”レンジファインダー”でしかない。「風」なら、食品関係で、本物でないと知れ渡っているが、カメラの世界ではどうだろうか。
 当世はやり言葉で言うと、「フェイクレンジファインダーカメラ」として世に出したのだろうか。設計者の意見を聞きたいものである。
 レンジファインダーカメラがなんなのか知らない、現代の一般読者を瞞しているのではないか、と思うものである。
 そして、大事な商品は、似せ者でなく、本物として、もう少し丁寧な売り方はできないのかと思う次第である。

以上

2019年11月 5日 (火)

新・私の本棚 牧 健二 「魏志倭人伝正解の条件」        3/3

                            2019/11/05 *追記 2019/11/09
*「陸行」・非陸行
 逆に、末羅から伊都は、厳密に「陸行」と明記されていて、他の傍線国経路には明記されていないので、自明の陸行と解釈しないといけないのですが、道里の計算外なので仮に船で移動する行程が混じっても「問題ない」のです。
 どの道、万里の道に、百里単位、一日単位の細々とした移動は、端数として無視できるので、少なくとも、中原史官である陳寿は意に介していなかったのです。

*道里記事の完結
 と言うことで、最後に全道里が、水行十日、陸行三十日、一万二千里と明記されて、道里記事が完結するのです。切りが良いので、簡単に、一日、三百里となります。陸行、水行が同程度と見なすと、水行十日で三千里、陸行三十日で九百里で見事に計算が合います。最初に一日三百里と決め渡海を一千里三回と切り良くしたので、うまく着地できたのですが。

 道里記事は、帯方郡から狗邪韓国まで七千里となるような里で、全体が一万二千里として書かれているのですが、各部の切りの良い数字を一律に定数で割って、普通里に近い「里」として切りの良い数字に換算するのは、今日の高度な数学計算でも、不可能だとお気づきでしょうか。(高度の数学というのは、当時の数学としての言い分であり、多桁計算、とくに小数点入り、分数計算、按分計算、割り切れない割り算などを言います。念のため)(説明がくどくなって申し訳ない)

*もつれた難題に対する簡明(エレガント)な解
 他にも、道里記事のもつれたとも見える難題に解を与えるご名算は、沢山あるでしょうが、ここに書いた解は、中でも、最も(数学問題で言う)エレガントな解であり、倭人伝全体の理解の糸口となるものと思います。もちろん、長年の課題(正解のある、回答者の知性を問う設問)であった「ゴルディアスの結び目」を解きほぐせず、刀でたたき切ったアレキサンドロス大王ばりの快刀乱麻は、勘定に入れないとしてですが。(説明がくどくなって申し訳ない)

*「囚われ」人の渾身の業績
 ここまでの講釈で、陳寿が、(まぼろしの春秋筆法やら司馬氏の権力やら先行史書の用語例などに加えて、史官としての倫理観も背負っていた)がんじがらめに「囚われていた」史官としての道里記事作法が理解いただけたでしょうか。別に、当時史官をしていたわけではないので、懸命に推定しましたが、当然、外していないと思います。(説明がくどくなって申し訳ない)

 くれぐれも、現代人の語感や地理観に囚われて、常識だとか論理だとかの「最終兵器」を持ち出してはいけないのです。互いに囚われているのですから、古代の囚われ人に対して、もっと謙虚に対応すべきです。(最終兵器は、議論が行き詰まったときの自爆発言、「ちゃぶ台返し」などの逃避策を言うのです)(説明がくどくなって申し訳ない)

*陳寿の海
 中原の教養人にして厳格な史官陳寿の脳裏には、現代の半島地図はないので、海は一つながりで島国を取り巻いていて海を自由に進めるという感覚はもとより無いのです。現代日本人との感覚の違いを掘り下げると、当時、海は塩辛い水を湛えた沼沢です。いや、中原に淡水湖はありふれていますが、西域で、塩っぱい西海や青海があることは知られていたのです。

 倭人に身近な東方では、海は、中原人には、対岸に渡る水たまりであって、船を進めることのできる「水」(大河)と認識されてなかったのです。つまり、渤海が南に狗邪韓国まで続く「大洋」との認識は全く無かったのです。(そのような記事は見当たりません)

 行程で狗邪の南は一つの海、對海の向こうは別の海、そして、一大の向こうはまた一つの海、総じて三つの海が並ぶ感覚です。そんなこと、わかっているとおっしゃる方には何も言い足すことはありませんが、よくわかっていない人のために何度めかの念押しです。

 当時の帯方郡官人や倭人に中原人の感覚は無く、眼前の海を認識して無造作に漕ぎ渡っていたでしょうが、中原史官陳寿は「大洋」を知らない中原教養人を第一の読者としているため、帯方郡官人や倭人の視点から書かれている記事を、何とかして、大切な読者に、抵抗なく理解されるように書かねばならなかったのです。

□提言感謝
 と言うことで、冒頭に引用した牧氏の提言に回帰するのです。(引用しなかった本論部分は、当記事では参照していないのです)(説明がくどくなって申し訳ない)

 私見では、牧氏の提言は、他の先賢の卓見とともに、政争めいた俗説の泥沼に埋もれてしまったようですが、先生の提言の精神は、大いに学ぶべきと考え、ここに後生の愚考を示したのです。(かねてから実践しているのは、当記事でも明白でしょう)(説明がくどくなって申し訳ない)

余言:わざわざまるごと引用したのは、この提言の意義を理解するには、読者自身が自分の眼で見て、読んで、理解したとき初めて、その意義が伝わる可能性があるという事から来ているのですが、どうも、こうした提言は、はなから無視する読者がいて、大いに歎くのです。さほど時代が異なっているわけでもないのに、先人の文意が理解できず、食わず嫌いで自分の偏見を醸したりするのは、つけるクスリが無いのかなと思わされるのです。いや、年寄りのらちもないグチです。

                     以上

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新・私の本棚 牧, 健二 「魏志倭人伝正解の条件」        2/3

                            2019/11/05

*「海の街道」の成立・不成立
 中国の制度で、官道が海を行くことはあり得なかったのです。官道は、人馬の移動を支援する宿駅(郵亭)が常備され、其の宿駅を支援する兵站が完備していたのです。従って、宿駅の位置と管轄担当の地域主体(国王、県主)が明記された規定が必要なのです。其の規定があれば、陳寿も現地を確認することなく道里記事が書けるのです。しかし、当時、半島沿岸に「海の街道」が存在したとの記録は無いようです。後世史書にもありません。記録がないということは、陳寿にとって、そのような経路は存在しないのです。

*「実態」論は、道里論議に無用
 それは、そのような移動方法が、実際は困難とか容易とか論じているのではありません。まして。魏志が通ったかどうか実態を言っているのではありません。公的な制度として存在しないから考慮されないのです。さらに念押しすると、ここで論じているのは、そのような経路で人が往き来してなかった、物が運ばれていなかったと言うものではありません。
 国の制度として、そのような移動方法はなかったと言っているのです。国の制度上、そのような経路は選択肢として存在せず、つまり、陸上移動に決まっているから陸を行くとは書いていないのです。
 それにしても、魏使だろうが、魏の旗を担った帯方郡使だろうが、規則違反の「海のみち」を行くはずがないのです。郡太守も、そのような無法を指示するはずがないのです。
 因みに、太古以来細々と通っていた、弁辰から帯方郡へ重量のある鉄材を送る「銕の路」は、半世紀以上前にしっかりした官道になっていたのですから、魏使が真っ過ぐ東南に通じている街道を通らない理由はないのです。

*渡りに舟
 さて、そこで、疑問が出て来るのですが、陸上移動できないときはどうするのかということです。簡単です。渡し舟という移動方法が常識です。現代と違って、官道と言えども、架橋されていない時代です。陸上移動の補完手段として、渡船は古来ありふれているから、各官道は当然渡し舟を利用するのですが、如何に中国の大河といえども、数日を要する大河はないから、道里を記す際には、距離も日数もはしたを無視して、特記しないで良いのです。

*倭人伝独特の「水行」~渡海 地域概念
 ところが、狗邪韓国から先、大河ならぬ大海を渡るのは、移動距離も長いし、日数もかかるので、はしたとして無視できないのです。そこで、陳寿が、考え出したのが、倭人伝独特の地域水行概念の宣言と地域利用なのです。
 大陸では、水行とは、大河上の輸送手段であり、荷物を大量に運ぶ際に、人畜を特に労しないから、人畜の食糧や宿舎を考慮しないでよく、日数はかかったとしても格段に低廉なのです。又、文書通信など急を要するときは、陸上の街道と渡し舟を駆使して、疾駆して陸行するのです。

 これに対して、当行程の渡海は、日程優先であり、荷物輸送でもないのです。但し、街道移動とは明らかに内容が違うので、大陸の水行とは別の水行を定義した上で、宣言し、適用したのです。つまり、「海岸を後ろ盾にして海を渡るのを水行という」(循海水行)と宣言したのです。そのため、渡海と明記の水行を三度重ねた後、上陸後の最初の行程を「陸行」と解除宣言したのです。

*傍線、除外行程の理由
 倭人伝の道里記事解釈で、投馬行程を傍線であって、主流の道里記事の里数計算外としたのは、水行二十日と無造作に書いた点にも表れています。
 厳密に解釈すると、この行程は海を渡るはずですから、少なくとも、どこからどこまでと明記する必要があるのですが、現実の記事は曖昧です。
 これは、投馬が行程外で、道里対象外だからです。ついでに言うと、大国なのに、戸数が不確かでも済んでいるのも、同様の理由でしょう。

                                未完

新・私の本棚 牧 健二 「魏志倭人伝正解の条件」        1/3

史林五三巻五号 1970年9月 (京都大学学術レポジトリー)
「魏志倭人伝正解の条件」

*私の見立て ★★★★☆ 大変重大な資料           2019/11/05

□はじめに
 当史料の評判らしいものは聞いていましたが、論考の実見は初めてです。文献解釈の王道を説き、着実に実行し、学ぶべき展開です。論考の前提となる基本的記事解釈などには、多々異論がありますが、何よりも大事なのは、考察の基本方針の厳正さです。(本論部分論評は、ここでは割愛します)

□抄録引用
 魏志倭人伝の解釈について、私は先に『日本の原始国家』を公にし、倭人伝は前漢書の書例に従うて書かれたものであって、「自㆓女王国㆒以北」は対馬国から不弥国までの六国の地方で、その南に女王国即ち倭国連邦があり、倭国の「女王之所㆑都」が邪馬台国であることを説いた。また右の書例に基づいて邪馬台国は筑後の山門郡を、投馬国は日向の妻を、故地とすることを説いた。なお従来の邪馬台国と女王国とを同視する定説が後漢書倭伝に由来する謬見であることを論じた。然るに今日この定説は依然として行なわれ、且考古学者の間では大和説がなお有力であり、また伊都国から邪馬台国までを陸行一月とする倭人伝の記載が依然曲解又は虚妄視され、更に邪馬台国は誤で邪馬壱国が正しいという説が現われたりしているので、ここに其後の知識と省察とによって管見を補強しこの倭人伝正解の条件を書いた。

□不朽の提言
 発表時点の最新見解であり、榎一雄氏のいわゆる「放射状道里解釈」及び古田武彦氏の「邪馬壹国」提言を承知した上で、以下の提言を進めているのです。

 「ここにいたってわれわれは倭人伝の原文を正確に読む方法について、これまでの読み方に間違ったところがないかどうかを考える必要に迫られるのである」と冷静に問い掛けた後、以下提言されています。「倭人伝を書いた当人である陳寿は、もちろんそれほどむずかしい文を書いたとは思っていなかったのに相違ありません。彼は彼として無理のない自然な表現法で倭人伝を書いたのに相違ないのですから、倭人伝を正しく読むがためには、まず筆者陳寿がいかなる表現法を用いて倭人伝を書いているかを知らなければなりません。その表現方法をわれわれはまだ知らない」(以下略)同感です。

□提言の適用例
 ある意味、広がる倭人伝への偏見との観点の相違は根深いので、ここで翻意していただくのは無理な相談ですが、無駄を承知で言っておきます。

*陳寿の常識確認
 陳寿が道里記事を書くとき、帯方郡から狗邪韓国に続く街道、官道があることは承知していましたが、海に出て海岸沿いに南下する、そして、東に転じる経路は、全く認識に無かったのです。(史官として認識していないことを書くことは、一切ないのです)(説明がくどくなって申し訳ない)

 そもそも、世人には、公式史書に魏使の行程報告をそのまま載せているという感覚自体「的外れ」との意識(自覚)が無いから、いくら当方が官道の理念を元に諄諄と説いても、理解されないかも知れません。

 倭人伝は、厳正な公式史書たる魏志の東夷伝で、初出の蛮夷の国を紹介しているから、帯方郡からの官道道里を明記しなければならないのです。 (史官は、史官の責務を、何としても、時には、身命を賭して果たすものです)(説明がくどくなって申し訳ない)

 これは、同伝に続いて追補の魚豢「魏略西戎伝」の編纂方針でもあります。

                                未完

2019年11月 2日 (土)

新・私の本棚 番外のおまけ 投馬国道里問題について

                          2019/11/02
*問題(Question) はみ出しコメントの弁
 倭人伝道里記事全体に拘わり簡単に話が付かないので独立記事にします。
 ここだけに議論を絞るとして、最大の難点は、投馬国まで、水行二十日、五千里~一万里程度と思われる倭人伝通りでも最大の水行は諸国巡訪記事に収まらないのです。
 (陰の声:なぜ、三度の渡海・水行のように、行程明細がないんでしょうか。またもや、うっかりして聞き忘れたのでしょうか。)

*無法な帯方―投馬直行道里
 事のついでに貴兄が持ち出した感じの投馬国道里帯方起点説については、どこかで聞いた気がしますが、場違いであり行程中に書く意味がない点で却下されます。そういう変則的な書き方は読者が混乱するだけです。
 投馬国道里は、倭人にとって何か意義があって書かれたとしても、あくまで本筋を外れた傍線であり、従って、郡からの里数に計上されなかったと見るものです。郡は正体不明の投馬国まで二十日と知っても意味が無いのです。

*解読失敗の歴史と現状
 先人は、道里記事を直線的にたどって、目的地を南洋海上に投げ出しましたが、今日、太古の遺物のベタベタの道里解釈に追従している論者は、(ほとんど)いないはずです。いるとすれば、何か魂胆があって道里記事を混乱させようとしているだけです。(陰の声:全国邪馬台国運動の陰謀でしょうか)

*簡単明解の別解
 度々言うように、陳寿の方針として、道里記事を明解にまとめるのを重視するのであれば、投馬国に至る六千(?)里とでも書けば良かったのです。皇帝周辺で、誰も倭人領域の隅っこについて実里数を言うことはないわけですから。
 但し、一万二千里の中に傍線とすべき六千(?)里は、入らないと見るものです。

*帯方起点の意義
 創唱者の古田氏以来、多くの論者が<水行十日陸行一月、計四十日行程を帯方郡起点と読むのは、思うに、全所要日数は、帯方郡にとって最も重要な道里情報だったから、足し算で出せるというだけでなく明記が必要だったという見方です。新参蛮夷国の身元、国都の位置、郡からの道里(所要日数)、戸数、城数は、必須情報なのです。(皇帝命令です)そして、明解だからです。
 これに対する反論で筋の通っているのはただ一つ、上田正昭氏の疑問であり、過去、そんな道里日数の書き方をした史書はないのではないかと言うものです。この反論は、いまだ克服されていないようです。(古代史学界では、前例がないと言うだけで否定されるのです)

*単純明快、そして整然
 倭都への水行陸行は、道里記事の末尾であり、そこで全日数道里を総括したという見方をしても、道里記事の構成は乱れないのです。
 その議論を借りると、順次書き進めている道里記事の途中で、起点からの所要日数を挟み込んで、肝心の里数を省いた例はあるのか、と言うことです。(ないよ、と言うことです)
 編集方針に帰ると、道里記事を里数表示で書き進め、最後にそれを崩して、日数しかない記事をポツンと書くとは思えないのです。これでは、そこまでの里数証明を累計していくことができないので、折角、キリの良い数字にまとめ上げた最初の狗邪韓国記事や途中の渡海記事の意味が無くなるのです。陳寿は、当時最高の史官ですから、知恵者の補佐役もいて、当時、天下一の最強軍団だったのです。

*締めとそれから
 と言うことで、本件の締めは、倭人伝が帯方人報告を元としても、現代の素人の常識と論理でなく洛陽官人の常識と論理で書かれていると思うのです。多数の先覚者が述べている基本原理です。傾聴すべきでしょう。
 後出ですが、倭人伝には、狗邪韓国から順次倭地の行程をたどると倭都まで五千里という念押しもあり、明解本位の陳寿の執筆姿勢が確認できます。同文言には、別解読も出回っているようですが、例によって、最も単純明解、エレガントな解読と見ています。
 当方も、倭人伝記事に極力とどまり、傍線諸国には口を挟まないのです。とにかく、個人の道草には限界があるのです。

                                以上

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