新・私の本棚 番外のおまけ 投馬国道里問題について
2019/11/02
*問題(Question) はみ出しコメントの弁
倭人伝道里記事全体に拘わり簡単に話が付かないので独立記事にします。
ここだけに議論を絞るとして、最大の難点は、投馬国まで、水行二十日、五千里~一万里程度と思われる倭人伝通りでも最大の水行は諸国巡訪記事に収まらないのです。
(陰の声:なぜ、三度の渡海・水行のように、行程明細がないんでしょうか。またもや、うっかりして聞き忘れたのでしょうか。)
*無法な帯方―投馬直行道里
事のついでに貴兄が持ち出した感じの投馬国道里帯方起点説については、どこかで聞いた気がしますが、場違いであり行程中に書く意味がない点で却下されます。そういう変則的な書き方は読者が混乱するだけです。
投馬国道里は、倭人にとって何か意義があって書かれたとしても、あくまで本筋を外れた傍線であり、従って、郡からの里数に計上されなかったと見るものです。郡は正体不明の投馬国まで二十日と知っても意味が無いのです。
*解読失敗の歴史と現状
先人は、道里記事を直線的にたどって、目的地を南洋海上に投げ出しましたが、今日、太古の遺物のベタベタの道里解釈に追従している論者は、(ほとんど)いないはずです。いるとすれば、何か魂胆があって道里記事を混乱させようとしているだけです。(陰の声:全国邪馬台国運動の陰謀でしょうか)
*簡単明解の別解
度々言うように、陳寿の方針として、道里記事を明解にまとめるのを重視するのであれば、投馬国に至る六千(?)里とでも書けば良かったのです。皇帝周辺で、誰も倭人領域の隅っこについて実里数を言うことはないわけですから。
但し、一万二千里の中に傍線とすべき六千(?)里は、入らないと見るものです。
*帯方起点の意義
創唱者の古田氏以来、多くの論者が<水行十日陸行一月、計四十日行程を帯方郡起点と読むのは、思うに、全所要日数は、帯方郡にとって最も重要な道里情報だったから、足し算で出せるというだけでなく明記が必要だったという見方です。新参蛮夷国の身元、国都の位置、郡からの道里(所要日数)、戸数、城数は、必須情報なのです。(皇帝命令です)そして、明解だからです。
これに対する反論で筋の通っているのはただ一つ、上田正昭氏の疑問であり、過去、そんな道里日数の書き方をした史書はないのではないかと言うものです。この反論は、いまだ克服されていないようです。(古代史学界では、前例がないと言うだけで否定されるのです)
*単純明快、そして整然
倭都への水行陸行は、道里記事の末尾であり、そこで全日数道里を総括したという見方をしても、道里記事の構成は乱れないのです。
その議論を借りると、順次書き進めている道里記事の途中で、起点からの所要日数を挟み込んで、肝心の里数を省いた例はあるのか、と言うことです。(ないよ、と言うことです)
編集方針に帰ると、道里記事を里数表示で書き進め、最後にそれを崩して、日数しかない記事をポツンと書くとは思えないのです。これでは、そこまでの里数証明を累計していくことができないので、折角、キリの良い数字にまとめ上げた最初の狗邪韓国記事や途中の渡海記事の意味が無くなるのです。陳寿は、当時最高の史官ですから、知恵者の補佐役もいて、当時、天下一の最強軍団だったのです。
*締めとそれから
と言うことで、本件の締めは、倭人伝が帯方人報告を元としても、現代の素人の常識と論理でなく洛陽官人の常識と論理で書かれていると思うのです。多数の先覚者が述べている基本原理です。傾聴すべきでしょう。
後出ですが、倭人伝には、狗邪韓国から順次倭地の行程をたどると倭都まで五千里という念押しもあり、明解本位の陳寿の執筆姿勢が確認できます。同文言には、別解読も出回っているようですが、例によって、最も単純明解、エレガントな解読と見ています。
当方も、倭人伝記事に極力とどまり、傍線諸国には口を挟まないのです。とにかく、個人の道草には限界があるのです。
以上
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