新・私の本棚 季刊「邪馬台国」40周年記念号 2 高島忠平 1/1
季刊邪馬台国137号 【総力特集】邪馬台国論争最前線
邪馬台国の条件を探る
*私の見立て ★☆☆☆☆ 不得要領意味不明 2019/12/16
*駆け抜け書評
まず文字資料「魏志倭人伝」の理解から邪馬台国の条件を探る。
勿体ぶった口切りだが、以下、国内史料に形成された古代史観で、倭人伝部分は希薄である。何も根拠史料は提示されず、時代錯誤の押しつけである。
三世紀当時の「日本列島」「倭人国家群」は根拠なき夢想である。
「魏志倭人伝」は、倭人を少なくとも三つのグループに分けて倭人社会を捉えている。
①「対馬、一大(支)、末盧、伊都、奴、不彌、投馬、邪馬台」など約三十国からなる女王卑弥呼政権が統括する地域。
②「女王国の南狗奴国有り、女王に属さず。……狗奴国男王卑弥呼弓呼、素より和せず相攻伐……」の地域。
③「女王国の東海を渡る千余里、皆倭種、国々をつくる」地域。
「倭人」は冒頭の「倭人在帯方東南」にしか現れない。紹興本には、小見出し「倭人伝」はない。なぜ「倭人伝」か。意見が右往左往しているようである。
いや、氏は、倭人伝解釈について、比定を避けているが、どっちつかずの史観などあり得ない。奈良盆地社会が断然発展していたとするのであれば明言した上で、そのように倭人伝記事の解釈を進めるべきである。
氏は、「女王卑弥呼は邪馬台国の王ではなくて、何処の国の出自で、約三十国によって共立した秀でた呪術を行う巫女王である。」と言い放っているが、倭人伝のどこにそのようなことが書かれているのだろうか。不審である。
更に、氏は、「女王卑弥呼の都は、国の始祖王を祭る廟と、土地神,作物神など諸神を祭る壇(社稷)があり、土塁と柵を廻らした城郭構造であつたと考えられる。」と言うが、倭人伝の記事を大きく虚空に膨らました。氏ならではの想像力の産物(オリジナル)と見える。
オリジナリティを言いたくても、氏ほどの権威のある方の論考は、百年を越える先行論考(氏の旧作を含め)を全て論破しないといけないのである。そして、世の倭人伝論者は、氏の変節を望んではいないのである。
また、魏王朝が女王卑弥呼を「親魏倭王」として制詔し、東夷の中で特別の計らいとなったのは、呉との覇権争いは勿論のこと、中国に対して抗争を通じて政治的成長を遂げようとする東夷の高句麗、濊、韓社会をおのれの郡(帯方・楽浪)支配の中に閉じ込めておくため、他方倭人社会では卑弥呼の女王国勢力が政治・外交において主導権を把握しようとする思惑とが機会的に一致していた。弥生時代後期後半、三世紀の列島の弥生社会が、朝鮮半島を含む当時の国際情勢のなかで、九州の「国々」を中心に政治的成長を遂げようとする動きを『東夷伝倭人』は記しているのである。
夢想の果ての豊かな想像力であるが、肝心な同時代視点を踏み外していて、とても、倭人伝に記されている、ないしは、示唆されているとは思えない。
「呉との覇権争い」は大誤解である。魏が天下の覇者、呉は賊である。
うねりまくった文だが、「魏王朝」が主語とみて、後略部の「国際情勢」は錯覚であろう。呉が賊なのに、蕃王が国際関係対象となるはずがない。以下、氏の幻覚の「弥生社会」が「政治的成長」を遂げるなど、時代錯誤、概念交錯であり、史官たる陳寿が、そのような錯乱した記事を書くはずがない。
どうも、氏の言う倭人伝は、氏が書き替えた現代語文なのだろうが、氏の誤解を満載した倭人伝を無理やり押しつけるのは、ご勘弁頂きたいのである。
以下、ご託宣に付き合いきれずに脱落した。
*終わりに
氏は、吉野ヶ里遺跡の発掘と考察を通じて、錚錚たる史観を形成し、広く一般人にそれを伝えていたように思う。今回も、季刊邪馬台国誌の特集号に於いて、氏の史観の集大成を読めるものと期待していたのだが、大変失望した。氏を深く尊敬する故に、以上、急いで、率直に批判したのである。
以上
« 新・私の本棚 季刊「邪馬台国」40周年記念号 1 原田実 1/1 | トップページ | 新・私の本棚 番外 英雄たちの選択 追跡!土偶を愛した弥生人たち~1/2 »
「倭人伝随想」カテゴリの記事
- 新・私の本棚 番外 ブラタモリ 「日本の構造線スペシャル 〜“構造線”が日本にもたらしたものとは?〜」(2022.04.06)
- 倭人伝随想 6 倭人への道はるか 海を行かない話 7/7 改頁 唐書地理志談義(2022.03.22)
- 倭人伝随想 6 倭人への道はるか 海を行かない話 6/7 改頁 唐書地理志談義(2022.03.22)
- 倭人伝随想 6 倭人への道はるか 海を行かない話 5/7 改頁 唐書地理志談義(2022.03.22)
「新・私の本棚」カテゴリの記事
- 新・私の本棚 古田史学論集 25 正木裕 「邪馬台国」が行方不明になった理由(2022.04.24)
- 新・私の本棚 古田史学論集 25 谷本茂 「鴻廬寺掌客・裴世清=隋煬帝の遣使」説の妥当性について(2022.04.20)
- 新・私の本棚 古代史検証4 飛鳥の覇者 推古朝と斉明朝の時代 追記 2/2(2022.04.11)
- 新・私の本棚 古代史検証4 飛鳥の覇者 推古朝と斉明朝の時代 追記 1/2(2022.04.11)
« 新・私の本棚 季刊「邪馬台国」40周年記念号 1 原田実 1/1 | トップページ | 新・私の本棚 番外 英雄たちの選択 追跡!土偶を愛した弥生人たち~1/2 »
コメント