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2020年1月15日 (水)

私の本棚 季刊「邪馬台国」 131号 田口 裕之 『金印は「ヤマト」と読む』 総括

 私の見立て ☆☆☆☆☆                 2017/02/28  2020/01/15

 さて、これに先立つ16回の連載で、とことんダメ出ししたはずであったが、誰でも気づくような子供じみた欠点を列記しただけで、一番大事なダメが出せていなかった。反省と自戒を込めて、総括記事として追加する。

 (なお、16回分の記事は、公開する意義は無くなったものと思うので、非公開とした。何の反応も無かったので、徒労であったということである)

 それは、当論文のタイトルに書かれている新説が、既に、言い古されたものであったにも拘わらず、先行する文献が適切に参照されていなかったということである。

 既に、100年を大きく超える古代史論議の中で、本当に多くの新説が提言されているから、現代人が思いついた新説の先行論文を全て検出するのは無理かも知れないが、もっと謙虚になって、徹底的に調査すべきではないかと思うのである。

 また、投稿された論文が新説であるか、旧説の踏襲であるかは、論文審査の不可欠な手順と思うので、編集部の手落ちは罪深いと思うのである。論文筆者は、このような不名誉な形で名をとどめたくない筈である。

 参照資料は、次の一点であるが、そこで引用されている明治時代、ないしは、それ以前の資料は、必読書とも思われるので、知らなかったでは済まないと思うのである。

史話 日本の古代 二 謎に包まれた邪馬台国 倭人の戦い
             直木孝次郎 編   作品社 2003年刊
 「邪馬台国の政治構造」 平野邦雄
    初出 平野邦雄編 「古代を考える 邪馬台国」 吉川弘文館 1998年刊

 さて、妥当な推論かどうかは別として、書き留められている先行論文と論旨を書き出すとする。

 後漢書に見られる「倭国王帥升」記事が通典に引用された際の「倭面土」国が「ヤマト」国と読まれるべきだという説は、明治四十四年(1911年)に内藤湖南氏によって提唱されたもの
である。(明治四十四年六月「藝文」第二年第六號〕

 文語体、旧漢字で読み取りにくいだろうが、「倭面土とは果して何國を指せる。余は之を邪馬臺の舊稱として、ヤマトと讀まんとするなり。」と明言されていて、その後に、詩経などの用例から、太古、「倭」を「や」に近い発音で読んでいたと推定している。

 ついでだから、原点である内藤湖南「倭面土国」をPDF化した個人資料を添付する。
 
原資料に関する著作権は消滅しているが、PDF化資料に関しては、プロテクトしていないとはいえ、無断利用はご遠慮いただきたい。(まえもって連絡して欲しいとの意図である)「k_naito_yamato1911.pdf」をダウンロード

 「倭面土」国と併せて、「倭奴」国も「委奴」国も、「ヤマト」国と読むべきとする説も、明治四十四年(1911年)に稲葉岩吉(君山)氏によって提唱されたものである。(明治四十四八月考古學雜誌第一卷第十二號)

 湖南氏は、後続として同様論旨の論文を準備していたが、稻葉氏の論文を見て発表を断念し、原論文を「讀史叢録」に「倭面土国」として収録する際に、付記として、『「稲葉君山君」が翌々月号に「「漢委奴國王印考」といへる 一篇を發表され、委奴、倭奴ともに、倭面土と同一にして、單に聲の緩急の差あるのみと斷ぜられたり」』と要旨を紹介しているものである。

 いや、そもそも、そのような概念は、「釈日本紀」にすでに示されているという。影印を見る限り、そのような趣旨で書かれているように見える。

 つまり、「古代史書で多数見られる倭国名の漢字表記と思われるものが、全て、ヤマトと呼ばれるべきだ」とする論旨は、数多くの先例があると言える。

 してみると、本論文の大要は、所詮、先人の説くところを踏襲していて、特に格別の考察を加えているとは見えないので、新説として独創性を頌えることはできないと思う。

 むしろ、先例を伏せで独創性を訴えたと見られる論調は、先人の功績を踏みにじるとのそしりを招きかねない。

 以上、今後の活動の際の戒めとしていただければ幸いである。

 それにしても、懸賞論文としての審査に於いて、選外佳作、公開不適、と判断したのに、欠点の是正指導もせずに、商用雑誌の多数のページを浪費して掲載した編集部の不手際は、かなり深刻だと思うのである。

 「浪費」の一端は、行間ツメなどの当然の努力を怠って、それでなくても希薄な論文を、さらに希薄に引き延ばして、雑誌刊行のコストを引き上げ「邪馬台国」誌の財政を悪化させた点にも表れている。雑誌編集部は、文字内容だけ吟味していればいいのではない。雑誌の紙数を勘案し、投稿者に、全指数の制限を与え、必要であれば、部分を割愛して、雑誌の体を保つのも編集実務である。

 これだけ難点が多いと、季刊「邪馬台国誌」の看板は、たたき割られてドブに落ちているとも見えるのである。

以上

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