« 2019年12月 | トップページ | 2020年3月 »

2020年1月

2020年1月30日 (木)

今日の躓き石 毎日新聞の深奥たる石炭火力推進方針批判に及んだ低俗、野蛮な「リベンジ」汚染

                            2020/01/30

 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊12版オピニオン面「記者の目」コラムに、大々的に掲載された科学環境部記者の論説である。

 ことは、温暖化防止国際会議で、日本が、石炭火力推進方針の撤回を明言できなかったことに対する非難のようであるが、記者は、ことを、スポーツ記事のように、対立勢力間の報復合戦と捉えて、冷笑していると見える。このような低俗な野次馬論議は「両陣営」の有意義な議論に血潮を浴びせて、冷静な討議に熱水を差すものと見える。

 「脱石炭」を諦めていない環境相が、「リベンジ」に動いたと言うが、一国の環境製作の主管大臣を、個人的な復讐心に駆られて行動していると見くびって非難するのは、記者自身の矮小な政局勝敗観を投げつけているようなもので、投げつけているのは用語として最低の「汚物」語だから、これは一種の自滅行為であろう。

 熱血を煽るスポーツ界には、やられたらやり返す、血祭りだ、天誅だという「リベンジ」汚染が、若者世界に広がっていて、大変嘆かわしい状態にあるのだが、責任ある地位の全国紙記者が、国家としての環境政策を論じるべき高度な論議の場で公人を血に飢えた「復讐鬼」扱いするのはどんなものか。まさしく、数字稼ぎの悪乗りに見えて、さもしいのである。

 本記事が英訳されれば、記者の大臣罵倒は一段と明確だが、冷静な読者は、記者に「言葉のテロリスト」像を見るのではないか。筆誅も、言葉を選ぶべきだと思うのである。

 と言うことで、あまりに低級の失言なので、こらえ性無く書き立ててしまったが、全国紙の幹部記者に求められるのは、高度な言語感覚ではないだろうか。

 非難対象の政治家は、「セクシー」(sexy)など、うろ覚えのカタカナ言葉を口走ったとして手厳しく批判されているが、原語ではcoolと大差ない口語表現と思われ、一級の政治家が公の場所で口に出すべき言葉ではないと思うが、どちらかといえば悪影響の少ない些細な勘違いであり、かたや、ここに炸裂した「リベンジ」世界観は、記者の発言であるから「物議」を醸さないかも知れないが、血塗られた紙面がたちの悪い言葉の蔓延に手を貸し、未来を担う若者に悪例を示すということで、実に重大な、罪深い失言である。どうか、口を慎んでもらいたいものである。

以上

2020年1月27日 (月)

新・私の本棚 番外 邪馬台国の会 第384回 邪馬台国の会 講演録

 『朝倉からの最新情報』(卑弥呼の墓は朝倉にあった!?)
 安本理論を前提とした各論の試み
私の見立て ★★☆☆☆ 論考として未整備                                       2020/01/27

1.『朝倉からの最新情報』(卑弥呼の墓は朝倉にあった!?) 井上悦文
 井上氏の論説には、根拠の無い憶測が堂々と論拠として運用されている。

『倭人伝』編纂時、草書が多かったとは、三世紀の晋都洛陽の風潮だろうが、実証なき断定は学術的に虚言に近い。古写本断簡は草書でなく、倭地での証拠は皆無である。氏の示す草書は、史論に無関係な現代書家の手遊びで、七~八世紀国内文書に略字趣味はない。全て、証拠提示がない空論である。

 夢想断言的論説は、安本理論支持どころか、足を引っ張っていると思える。

2.安本理論を前提とした各論の試み 河村哲夫
【テーマⅠ】里程論について  (批判の範囲を限定して失礼する)
 「安本理論」依拠と言うが、いつどこで提言した、どんな理論なのか、根拠不明である。
 因みに、安本氏は、学問の徒であるから、憶測、推定は、それなりに開示するだけで、根拠なしに断定はしない。
 以下の論考は、無理が、不用意に山積、露呈している。

*無謀な想定、無理な推定
 「水行十日陸行一月」を水行なら十日、陸行なら一月として、水行十日の旅程を一月かけて陸行は不法であるし、水行で陸行の三倍速は、到底不可能である。その程度の初歩的な分別は、講演に際して、表明されてしかるべきではないか。

*陸行一月 郡狗(帯方郡~狗邪韓国)の陸行解釈は妥当
 郡狗七千里とあるが、後述の大迂回水行と同じ道里の筈はない。但し、当経路は、山越えの難儀はあっても、駅逓の整った官道で保証された日程であり、一日三百里は普通(官制)規準と見える。先例を隈無く見渡しても、こちらが、本道ではないかと思われる。
 但し、勢いに任せて三度の渡海を、断りなしに読み飛ばすのは不可解であり、暗黙の[陸行]と皇帝が見てとって、怒声を浴びせても驚くものではない。史官斬首である。

*一目無理な水行
 「水行十日」の内訳として、郡狗が、水行七日、七千里とあるが一日一千里、陸行の三倍の根拠が見えない。
 水行は、断り無く沿岸航行と読み替える無理を通すとしても、天候、風向、潮流で遅延が絶えないのに、漕ぎ船で一日百㌖近く移動するのを当然と断言する根拠が示されていない。また、かくなる無謀な官道行程は、空前である。

 三度の渡海を各一日、計三日と見切るのも、水行遅延を無視して不合理である。ここは、確実に達成可能な日数を書く筈である。つまり、倭人文書使が郡~末羅間を十日は到底不可能で、遅延が常態化し、郡太守が譴責懲罰されること必至の無法な日数だから、郡から皇帝に報告されるはずがない。

 陸行と明記された、倭地内道里が無視されているのは不可解である。

*見過ごされた批判
 「水行十日陸行一月」をいち早く郡倭日数とした古田武彦氏の(*及び*)解読に上田正昭氏は、そのような書法は、およそ先例が無いとにべもない。

 さらに、投馬国の水行二十日の郡起点は更に先例から遠い。倭人伝読者は、巻物の竹簡を見透かす人間業とは思えない能力の持ち主だったのだろうか。

*根拠不明の強弁 便乗疑惑
 河村氏は、安本氏の諸論のどの部分を根拠としたのか不明で、所在地論を利用しただけで、後は、自説強弁しているのではないかと懸念される。

 これでは、安本氏の引き倒しと見られても、仕方の無いところである。

 ついでながら、講演資料に多用した図表は、講演者自作か、引用・転用か不明である。著作権の常識から、引用出典と加筆修正点を明記すべきである。万全とは行かないだろうが、多少は、遵法精神を、模範として示されたらいかがだろうか。

*過剰な資料 豊穣に食傷
 講演会の席上資料が粗雑で良いはずは無い。大量資料のその場での読解を前提とする、飛躍の多い厖大な主張は講演に相応しいとは思えない。まずは、足元を固めて、次に拡張するものではないか。


                               以上

2020年1月25日 (土)

今日の躓き石 毎日新聞に蔓延する「リベンジ」感染 選抜出場校に汚名

                             2020/01/25

 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版スポーツ面のセンバツ出場校紹介の記事である。

 校名掲示した上で、[次はリベンジ]とは、何とも、寂しいものである。「リベンジ」は、テロに見られる「血の報復」だから、昨年のセンバツで決勝敗退でもした屈辱に対する恨みかと思ったら、何のことはない、昨年夏の選手権大会の二回戦で負けた恨みらしいから場違いである。選抜に選ばれただけで図に乗ったか、大胆な宣言である。

 いや、最近蔓延している再挑戦の意味の誤用かとも思ったが、既に、出場の機会を獲得しているのだから、もはや、次なる[リベンジ]などはないのである。
 いまや、全国で三十二校に選ばれた栄誉が訪れたのだから、薄っぺらな欲は棄て、ひたすらベストを尽くして健闘するだけの筈である。記事のつたなさを言うと、成すべきは[次に]なって始めて何かを見据えるのではなく、まず、初戦をどう戦うかが各校の課題ではないか。

 それにしても、担当記者の貧弱な書きぶりに悲しくなる。この代表校には、他に書くことが無かったようだが、ほんの僅かな記事になってしまっているのは、取材力不足が丸見えである。何とも不出来と見えるが、担当記者の署名はない。

 いうまでもないが、今回掲載された三十二校のうち、三十一校は敗退するのである。各校が、負ける度に恨みに思うとしたら、地方大会までの敗退や選外校も勘定すると、高校野球界には厖大な復讐が蔓延することになるのである。そんな風潮は、高校教育に相応しくないし、スポーツマンのフェアプレー精神にも反する汚点である。言葉の使い間違いだけが問題では無いが、ここで[リベンジ]蔓延に手を貸すと、このような場では、[リベンジ]を口走るのが正しいと見られてしまうのである。

 毎日新聞ほどの全国紙が、そんな悪しき風潮に悪乗りしてどうするのだろうか、記者の良心が疑われるのである。少なくとも、他の三十一校は、そんなつまらないことに、表立って闘争心をかき立ててはいないのである。
 確かに、中には、[フィジカル強化]などと、数字が全てのような意味不明の呪文を唱えて、心技体の充実をを兼ね備えた境地を放棄している情けない例はあるが、少なくとも、わざわざ、きたない言葉は唱えていないのである。
 なぜ、ここだけが、全国紙の紙面で後世に残る無様な失言で恥をかかされるのかと気の毒になる。

 そして、このように「稚拙」に書かれた、血に汚された記事が、堂々と朝刊の紙面に出るということは、毎日新聞社には、校閲の叡知も無ければ、編集部の自制もないのかと思うのである。

 何とも、薄ら寒い冬の朝である。

以上

2020年1月23日 (木)

新・私の本棚 中島 信文 「古代中国漢字が解く日本古代史の虚偽と真実」3/3

 本の研究社 2019年12月初版 アマゾンオンデマンド書籍

*「海」談義
 中島氏の語法で感心しないは、海談義の「シーとオーシャン」のカタカナ語です。漢字の字義動揺を懸念したのでしょうが、カタカナ語は、学校の英語の時間では習わないので、正しく原語で「Sea、Ocean」でないと、英語の語義が継承されず無意味です。シーはSheと聞こえて厄介です。

 なお、「海」の世界観は、安本氏著書書評の「大海談義」を自己引用で再録します。文脈が違うので多少不整合ですがご容赦ください。

*大海談義 隔世の世界観 ~引用開始(改訂あり)
 以下、先学諸兄には、常識のことばかりでしょうが、当ブログの読者には未知の領域の方もあると思うので、ご容赦ください。

 (先だって言った)隔世の世界観というのは、三世紀の中原人、倭人、後世奈良人は、世界の認識が異なるから、同じ言葉を書いても表現した意義は、随分異なるというものです。現代日本人の「常識」で字面を判読したのでは誤解も避けられないでしょう。

 例えば、同時代の夷蕃伝「魏略西戎伝」では西域万里の「大海」はカスビ海であり、総じて「海」は英語でPond, Lakeつまり内陸水面とわかります。後世西域伝では、カスピ海を単に「西海」と称している例が見られます。これは、中原概念であり、これに対して、大海は、現地、つまり、安息概念と思われます。

 いや、現代の英米人は、両国間の大洋AtlantisをPond水たまりと呼びます。「古池」をジェット機で飛び越す感覚なのでしょう。それ以前、英語では、伝統的にブリテン島の周囲の海をSeaと呼ぶものの、米国東部人は、米語では、目前の海を、まずはOceanと呼んだのです。後に西海岸の向こうの大洋を知ってAtlantis, Pacificと呼び分けたのです。

 ざっと走り読みしただけでも、随分「海」の意義が異なるのです。

*認識の限界 地平線/水平線効果
 もちろん、倭人伝の「海」、「大海」の認識は不明ですが、例えば、帯方人や倭人が南方太平洋、南シナ海を認識していた証拠はないと思われます。

 倭人伝の「大海」は、当時の中原人世界観に従うと、精々黄海でしょう。

 倭人まで普通里萬二千里の解釈が出回っていますが、東夷が、広大な世界観を持っていた証拠は無いのです。後世人が、色々推定しますが、何も書いていないのです。世界観、地理認識が異なれば、言葉の意味は異なるのです。

 いや、奈良人が、内海から隔絶した地平線/水平線のない奈良盆地で「大海」をどう認識したか、知ることはできません。「まほろば」は、住民の先祖が流亡の果てに安着した陸封安住の境地と見えるからです。

 いや、時代人の本心は、当人に訊かねば分かりません。「グローバル」な視野に囚われた後世人が、倭人の世界観に同化するには、精緻広範な地球儀(グローブ Globe)を棄て同じ井戸に入ることです。

 古代奈良平野は湖水を有し、『対岸は見通せても「海」』との見立て海洋観が存在した「かも知れない」。そうした時代地理環境も影響するのです。

*魚豢の慨嘆
 倭人伝最後に付注された魏略西戎伝には「議」が記され、魚豢は、自分を含め万人は自身の井戸の時空に囚われた蛙との趣旨で慨嘆しています。西域万里を実見できず前世の他人の見聞録に頼るもどかしさを感じたのでしょう。
~引用終了

*まとめ
 ということで、中島氏の基本姿勢には全面的に同意していますが、満点になってないのは、人に完璧はないし、氏に追従は必要ないと思うからです。

                                 完

新・私の本棚 中島 信文 「古代中国漢字が解く日本古代史の虚偽と真実」2/3

 本の研究社 2019年12月初版 アマゾンオンデマンド書籍

*半島内「水行」への異論 (承前)      2020/01/25 中島氏指摘に従い一部削除。記事補充。

 両江の水路運行は、あくまで一部分で、特にも南漢江最上流部は、蛇行激しい流露を遙か離れているはずであり、つまり、延々と難路の陸上移動であり、加えて千㍍越えの白山山地の竹嶺越えもあって、多くの人馬を労するので、所要経費は全面陸上移動と等しく、古来公布されていて、後世唐六典に掲示された「水行」の規定運賃で収まらないのです。水行が半ばを占めていても、残る行程の伝馬体制に替馬、宿泊の駅逓が必要で、大変高くつくのです。

 現地を実見していない素人目にも、グーグルマップ3Dで望見する竹嶺越えに到る難路の運びは、人馬を大いに、大いに労するものと思うのです。

*半島に「水」なし
 官制の「水行」、河水、江水、余水(その他河川)ですが、郡管内の「漢江」、「洛東江」は、江であって水でなく、「水行」しようがないのです。

*沿岸航行は「浮海」
 ついでながら、半島沿岸を迂回船舶航行する官道は不法で、公式用語で言うなら「浮海」であり、史書でこのような行程を「水行」と呼ぶことはあり得ないのです。

*水行、陸行の付け足し
 整理すると、半島内行程は「無論、自明」の「陸行」なので、何も書いてないのです。寸鉄表現とともに、無駄な字は書かないのは史官の責務です。
 これに対して、末羅国以降の道里は、渡海の「水行」を終えたので、「陸行」と明記しています。さらに言うと、投馬国道里は「従郡至倭」でない道草なので、道里は書かれてなく「水行」所要日数が書かれていますが、これは、全体所要日数の「水行」の集計範囲外なのです。

*循海岸水行の意義
 少し戻って、「循海岸水行」とは何かとの当然の疑問ですが、それは、倭人伝の冒頭に還って欲しいのです。
 「倭人在帶方東南大海之中依山㠀爲國邑」と布石しています。つまり、倭人に行くには大海を渡らなければならないのです。
 但し、類推できる洛陽付近の河水(黄河)の様相ですが、いくら幅広い流路であっても、渡河は、千里どころか、百里もなく、渡河中に中州はあっても、途上で一泊して渡ることはなく、従って、ことさら渡河に行程、道里をつけた前例はないのです。そこで、史官としては、海峡渡海の行程、道里に所要日数が書けるように、臨時に渡海を「水行」と定義したのです。自動的に、残る部分の行程は「陸行」となります。
 全道里一万二千里が、水行(渡海)三千里、陸行九千里(半島内七千里、倭地内二千里)に二分されるわけです。

*従海岸でなく循海岸
 ということで、いよいよ「循」の字義が俎上に上るのです。
 当方は、倭人伝末尾に追補された「魏略西戎伝」の用例から、これは、海岸線を「盾」に見立てた直角方向と解します。当方の意見の根拠なので尊重いただきたいものです。
 かくして、ようやく、長々しい説明が一段落するのです。ヤジ一つないご静聴に感謝します。

*明解、エレガントな解
 そのように、記事冒頭を、『ここに限り、「水行」は、各千里の渡海のことであり、つまり、総じて水行三千里である』との明解な地域用語宣言とみると、記事全体が整然、明解になり、同時代読者は、この正解を見通すと、滑らかに理解できるのです。

 ここで、水行一日三百里として「水行十日」、道里の残り九千里を一日三百里と見ると、「陸行三十日」(一ヵ月)が出て来ます。明解そのものです。

 中島氏は、行程、道里論を折角、構築したから、一私人の異義で動揺することはないでしょうが、意見は一つの意見として読み解いていただければ幸いです。あるいは、従来にない図抜けた「最悪」評を被るのでしょうか。

 中島氏自身は、人には人それぞれの意見があるとの度量を示されているので、一応、耳を貸していただけるものと思います。

*倭字の解釈について
 先般安本美典氏の著書で「倭」を「矮」と混同した俗説に辟易したのですが、結局、「セカンドオピニオンとして、白川静氏の著書、辞書も参照頂きたい」との苦言になったのです。氏の著書は従来にない倭人語解読の提言なので、この際、安本氏には、参考書を一新いただきたいとしたものです。

 俗説をごり押しすると、素人目には、委が悪字なら委と鬼の魏はどう見るのかと感じるのです。通説に散見される安直な決め込みに、諸兄が影響されていると思うのですが、かたや、本書に見る中島氏の意見は、そのような俗説を一蹴していて、大変心強いものがあります。

                                未完

新・私の本棚 中島 信文 「古代中国漢字が解く日本古代史の虚偽と真実」1/3

 本の研究社 2019年12月初版 アマゾンオンデマンド書籍

私の見立て ★★★★☆ 深い知見・考察の新たな史学書 必読                   2020/01/23

〇総評
 中島信文氏は、多年工学・技術分野の実業に従事され一代を画した方であり、引退後は、当分野の古代史に関して、広く関連文献を精読し、新鮮な視野から俗説の弊を正していることに、賞賛を惜しまないものです。

 但し、当方も、独自に同様の考察を重ね、異なった視点から異なった意見を発言しているので、同意できない事項は率直に不同意とします。

*批判口調のおことわり
 過去の「批判」に対し野次馬から非難がありますが、それは了見違いです。時に、浅慮とか早合点と言いますが、氏ほどの見識の持ち主でも勘違いはあり、「浅慮」として「再考」を求めるのは本質的な謬りでないからです。

 浅慮でなければ氏の真髄への攻撃になります。騒々しい野次馬は、分別がない、単なる無教養ですが、中島氏には、迷惑なご贔屓筋でしょうか。

*史料観への共鳴
 国内古代史学界は、数世紀に亘る巨大な虚構に満足していて、虚構に邪魔な「倭人伝」への執拗な偏見が堆積し、倭人伝支持論者、例えば、古田武彦氏への執拗な攻撃は惨憺たるものがあります。論争上の批判、意義は当然なのですが、人格攻撃が散乱して、肝心の論議が埋没しているのです。

 いや、そうした感慨はさておき、中島氏の論考は、中国古典史料から出発して、大変貴重なものです。そう言うと、中国史料絶対視との定番批判が出ますが、氏の諸論考は、慎重な史料批判を経た上のものであり、安直な先人追従べったりの俗説、魏志否定とは、大いに異なるものです。

*偽書「倭人伝」の時代
 資料を改竄したものは、もはや史料でなく、現代人の創作した偽書です。

 ということで、ようやく本論です。文書解釈では、「まず、筆者の真意を読み取る」の大原則を知らない朴念仁が徘徊し、前置きせざるを得ないのです。

□循海岸と言うこと
 一番大きな異論を最初に載せておきます。

 氏は、倭人伝道里、行程記事冒頭の「従郡至倭循海岸水行」で、海岸沿いに船で行くとの俗説を棄却しています。但し、「循海岸水行」は、内陸を行くのに漢江から洛東江を「主として」水行する、半島内水行の解釈を採っています。

 当方は、半島内陸行が無論の当然であり、俗説は稚拙な誤解として論破、棄却していますが、半島内行程を、主として「水行」と見ることには同意できません。

*半島内水行への異論
 端的に言うと、唐六典に収録されている「水行」は、河水(黄河)、江水(長江、揚子江)他を水流と帆走を利して人馬を労することなく物資搬送する事に決まっていて、運賃旅程が公示されています。つまり、単なる河川利用を言わないのです。倭人伝の行程は、地方拠点帯方郡から倭人の治までの所要日数であり、あわせて、何里を経過するか付記しているのです。

 無論、急務を要する郡官道を、漢江から洛東江を水行する、主として半島内水行とすることはあり得ないのです。


                                未完

2020年1月20日 (月)

今日の躓き石 中学生駅伝選手の暴言「リベンジ」報道に見る毎日新聞の堕落

                                2020/01/20

 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版「スポーツ」面の都道府県対抗男子駅伝報道である。

 談話の選手は、タイムが区間賞に及ばなかったことで、将来の「リベンジ」を貪欲に語っているが、駅伝競技で、だれかに記録をとられたのを恨みに思って、そのうじうじした恨みを晴らすためにグズグズと努力を続けるというのは、何とも後ろ向きで感心しないし、それを「リベンジ」などと血なまぐさい言葉で語るのは、一段と感心しない。
 しかし、責任は、このような不出来な談話を、「ありのままに」報道した記者にある。

 これでは、こうしたときに「リベンジ」と言うものだと、全国紙の大記者がお手本を示したことになり、極めつけの悪い言葉が、疫病のように蔓延るのを助けているのである。当方は、全国紙の記者は、言葉の護り人、守護天使と思っているので、今回の記事に天使の堕落を見て、裏切られたと感じるのである。

 多分、記者にも、選手にも、特別の悪意はないのだろうが、これほど悪い言葉を無頓着に使うと、悪い意味が先に立つので、言っていない筈のことが広く伝わってしまうのである。
 そうしたことを、若者に伝えるのも、新聞記者の大事な使命だと思うのである。

 年寄りとしては、他に何もできなくても、後世に汚れた言葉を伝えないようにしたいと思うのである。

以上

 

 

2020年1月12日 (日)

今日の躓き石 大変残念な大学ラグビー準優勝コメント「リベンジ」の大変残念な毎日新聞報道

                                        2020/01/12

 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版スポーツ面のラグビー大学選手権決勝の報道である。勝負の結果は、今回の主題ではないので、敢えて書かない。
 準優勝チームの三年生「司令塔」が、「来年はリベンジを果たしたい」と失言したのを、毎日新聞記者が「リベンジ誓う」と小見出しにして、ことさら謳い上げているのである。発言の「リベンジ」は、ひょっとすると再度決勝の場に臨みたい、あるいは、次はきっと勝つ、という程度の柔らかい意味だったかも知れないが、記者は、時代物の血なまぐさい語感で煽り立てているのである。多分、言葉の本当の意味を選手に教えているのかも知れないと、興ざめするのである。
 来年、別チームの一員で決勝に臨んだとしても、所詮別のチームとの対戦であり、そこで勝って優勝しても、今年勝てなかった事実に変わりは無いのである。両者ともに、意義の無いことを言い立てているのである。

 大変残念なのは、このように報道されてしまうと、準優勝チーム主将のコメントが、今回は恥をかいたが、次はぶちのめして恥をかかしてやるという意図なのか、それとも、天に代わって仕置きするという意図なのか、いずれにしろ、まことに粗暴な感情の低次元の吐露であり、まるで、子供の口喧嘩の捨て台詞になってしまって、とても、スポーツマンとして大学ラグビー最高峰の地位に立った、広く尊敬を集める選手の発言とは思えないのである。
 私見であるが、そもそも、選手権の決勝の舞台で競い合えるということが最高の栄誉であって、その際の勝負に価値を見出すのは、大変な勘違いをしていると思うのである。いや、観客や支援者は、最後まで勝ち続けろというかも知れないが、当の選手の観点は違うと思うのである。いや、素人の勘違いも知れないので、選手に押しつけるつもりはないが、年寄りは、スポーツマンシップの真髄はそのような崇高なものだと、勝手に思うのである。

 今回も、毎日新聞スポーツ担当記者、並びに、紙面に表れる言葉に全面的に責任を持つ校閲部に文句があるのだが、なぜ、各地で展開されているテロの根源となっている、絶対神の命じる聖なる使命である「リベンジ」なる「天誅」をここで起用したかということである。

 つまり、かくの如く、血なまぐさい復讐心を、この場で語ったと、わざわざ報道するのだろうか、ということである。ものを知らない選手が、公言してはならない言葉を口走ったとしても、そのような重大な失言を報道しないのが、この際の報道陣の務めではないだろうか。当の選手は、終生消せない汚点を世界に広げられて、取り返しがつかないのである。そのような苛酷な報道は、全国紙の成すべき努めでは無いのではないか。

 また、不出来な記者が不都合な記事を書いたとしても、校閲段階で発見して言い換えて失態の拡散を止めるのが、真に知性のある校閲ではないだろうか。先般、AI校閲が導入されるとの提案を受けたと不快感をにじませている小コラムが掲載されたが、こうした実態を見ると、本職が知性を発揮できないとしたら、言葉の護り人たる毎日新聞の最後の砦として、見落としのない細心の知力を示す機械知性が必要では無いかと思うのである。

 それにしても、折角、長期に亘る高校ラグビーの報道で、高度な報道を展開したスポーツ面記者が、全国からの注目を集めている最高峰の舞台で、飛んだ粗相をするとは意外であった。試合の細部に目を配り、具体的な体と心の動きを取り上げていた、絶賛に値する見事な報道から見ると、大学選手権決勝となった途端に大違いである。実は、それまでワールドカップなどの報道で横行していた「フィジカル」「メンタル」頼りの空疎で軽率な報道でなく、 実のある報道と、日々の紙面で見ていたものである。良い折がなかったために、ここで褒めることになり。やや場違いであるが、良いところはちゃんと認めているのである。

 関係者がそう思わないのなら、関連記事をよく読みなおして欲しいものである。
 知性ある校閲に求められるのは、実態に即した、行間、紙背を読み通す羅解力ではないだろうか。伝統ある全国紙には、それを求めても良いように思うのである。

 いや、当方は、一介の定期購読者であり、ほんの一票の発言権しかないのであるが、言うべきと感じたことは、敢えてここに述べるのである。(何の権力も無い、言うだけという意味である)

以上

 

 

2020年1月 8日 (水)

今日の躓き石 NHK・BS8K番組の怪「リベンジ」(毎日新聞 ウラカタ)名番組に泥をぬる失言報道

                           2020/01/08

 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊4版「放送」面のコラム「ウラカタ」である。

 「いまよみがえる伝説の名演奏・名舞台」なるNHK・BS8K番組制作の裏話であり、山成す困難を乗り越えた偉業に賛辞は送るが、最後の締めがいただけないというか、何とも醜悪で最低である。

 そもそも、個人的な不満を、公共放送の巨費を使って解消しようということ自体、疑問である上に、それを「リベンジ」などと私怨の「復讐」で長年の無念をさらすものと捉えているのなら、潔く職を辞して自費で取り組むべきである。
 「当時くやしい思いをした人たち」というものの、せいぜい二、三千人程度であり、長年を経ても、全員が復讐の念に燃えているはずは無いはずである。
 公演キャンセルとは言え、チケット代金は払い戻しされているはずだから、恨みを誇張するにも程がある。とんでもない言い回しであり、それでもって、今回の制作費の巨費を正当化するとは、番組の顔に泥を塗りつける感じである。

 時あたかも、某国が、別の某大国の暴挙に「血の報復」で報いようとしているところであるが、某国は、信ずる神の命ずる報復を怠ってはならないとの気概に燃えているところである。まさか、毎日新聞は、復讐を賛美しているのでは無いと思うのだが、どうだろうか。 

 それにしても、毎日新聞ほどのメディアが、これほど醜悪なコメントで誌面を汚すのも困ったものである。編集部は校閲しなかったのだろうか。

 まともな書き方を工夫して、醜悪な言葉遣いが世間に広がり次代を担う子供達・若者達に継承されないようにすべきである。

 当方は、あくまでも一私人であり、一介の定期購読者に過ぎないが、言うべきと感じたことは断じて言うのである。

以上

« 2019年12月 | トップページ | 2020年3月 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

カテゴリー

  • YouTube賞賛と批判
    いつもお世話になっているYouTubeの馬鹿馬鹿しい、間違った著作権管理に関するものです。
  • ファンタジー
    思いつきの仮説です。いかなる効用を保証するものでもありません。
  • フィクション
    思いつきの創作です。論考ではありませんが、「ウソ」ではありません。
  • 今日の躓き石
    権威あるメディアの不適切な言葉遣いを,きつくたしなめるものです。独善の「リベンジ」断固撲滅運動展開中。
  • 倭人伝の散歩道 2017
    途中経過です
  • 倭人伝の散歩道稿
    「魏志倭人伝」に関する覚え書きです。
  • 倭人伝新考察
    第二グループです
  • 倭人伝道里行程について
    「魏志倭人伝」の郡から倭までの道里と行程について考えています
  • 倭人伝随想
    倭人伝に関する随想のまとめ書きです。
  • 動画撮影記
    動画撮影の裏話です。(希少)
  • 古賀達也の洛中洛外日記
    古田史学の会事務局長古賀達也氏のブログ記事に関する寸評です
  • 名付けの話
    ネーミングに関係する話です。(希少)
  • 囲碁の世界
    囲碁の世界に関わる話題です。(希少)
  • 季刊 邪馬台国
    四十年を越えて着実に刊行を続けている「日本列島」古代史専門の史学誌です。
  • 将棋雑談
    将棋の世界に関わる話題です。
  • 後漢書批判
    不朽の名著 范曄「後漢書」の批判という無謀な試みです。
  • 新・私の本棚
    私の本棚の新展開です。主として、商用出版された『書籍』書評ですが、サイト記事の批評も登場します。
  • 歴博談議
    国立歴史民俗博物館(通称:歴博)は歴史学・考古学・民俗学研究機関ですが、「魏志倭人伝」関連広報活動(テレビ番組)に限定しています。
  • 歴史人物談義
    主として古代史談義です。
  • 毎日新聞 歴史記事批判
    毎日新聞夕刊の歴史記事の不都合を批判したものです。「歴史の鍵穴」「今どきの歴史」の連載が大半
  • 百済祢軍墓誌談義
    百済祢軍墓誌に関する記事です
  • 私の本棚
    主として古代史に関する書籍・雑誌記事・テレビ番組の個人的な読後感想です。
  • 纒向学研究センター
    纒向学研究センターを「推し」ている産経新聞報道が大半です
  • 西域伝の新展開
    正史西域伝解釈での誤解を是正するものです。恐らく、世界初の丁寧な解釈です。
  • 資料倉庫
    主として、古代史関係資料の書庫です。
  • 邪馬台国・奇跡の解法
    サイト記事 『伊作 「邪馬台国・奇跡の解法」』を紹介するものです
  • 陳寿小論 2022
  • 隋書俀国伝談義
    隋代の遣使記事について考察します
無料ブログはココログ