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2020年2月18日 (火)

新・私の本棚 番外 范曄後漢書倭伝 史料批判の試み 2 概論 1/4

 私の見立て ★★★★☆ 必読好著、但し倭伝は虚構濃厚 2020/02/18

〇総評
 本著は、時に「倭伝」と通称されますが、「伝」の要件を満たしていないからと言って「条」と呼ぶのも切ないので「小伝」かと愚考しますが、取り敢えず通称に従います。

*伝談義
 伝の要件として、冒頭に、その対象の由来、出自を、前世史書を引いて明記し、次いで、「国」の場合、君主、最寄りの郡、ここでは楽浪郡に対する服属の有無、服属の場合は、郡への道里、戸数、口数、城数を明記します。次いで、本紀記載の事歴が書かれ、最終的に、以後蛮夷の貢献が続いているか関係が絶えたかなどが書かれて締めくくるのです。

 先賢には、魏志倭人伝を「条」と揶揄する向きがありますが、以上要件をほぼ備えているから的外れと見ますが、後漢書倭伝は要件の大半を欠き伝と呼べないはずです。

 参考まで、末尾に漢書西域伝安息国伝を紹介しています。

〇序説
 倭伝は、五世紀劉宋范曄の畢生の労作です。西晋都洛陽陥落時、歴年の遺蔵文書喪失により、笵曄は原典を参照できなかったものの、原典を参照して書かれたと見られる諸後漢書を通じ、間接的に後漢朝記録を参照したので、本文部は大過なく編纂できたのです。

 当方は、全後漢書精読はこれまで敬遠し、今後も遠慮するので、以上は、巷間世評によります。本文記事批判の意図はないので、論じません。

*史官の務めの再確認
 まず、考えつくのが、史官は、歴史について格別の見識を有するものとの見解です。多くの場合、史官は父子相伝であり、史官となるべき少年は、幼い頃から、厖大な古典の講読を課せられ、そこに記された言葉から想起される事象を、当代の言葉に置き換えることなく、時代のまま解する訓練を受けていると見られます。つまり、生き字引の訓練です。一度、資料に向かうと、史官の思考は、時代の世界観、時代観と地理観に満たされるのです。

*素人史家の錯誤
 これに対して、史官の訓練を受けてない素人史家は、自身の育った当代の世界観、時代観と地理観のまま、資料の用語を解釈しようとします。

 その際に、公知の「辞書」を参照すれば゜大きく時代の世界観を失することはないはずですが、時代と当代の間に変動があって適確な文化継承が維持されていないと、誤解が幅をきかすことになります。そのような誤解を大別すると、時代錯誤と地理錯誤となります。

*天下のかたち
 時代錯誤の一因が、(中原)天下です。殷周秦漢と継続した天下推移で、建前上は、天下は、華夏文明の担い手として天下を維持していたのです。

 ところが、漢朝、つまり、後漢霊帝末期、天下は分裂して、大乱に到り、後漢朝の威令は形骸化したのです。魏武曹操が復元に努めたものの、遂に、天下統一はならず、大乱は大乱のままで、魏朝に移行したのです。

 魏朝重臣の司馬氏は、曹氏天下を奪い、蜀、呉は滅して、天下統一が成ったのですが、その後、忽ち天下大乱となり北方の蛮人に天下を奪われたのです。ということで、歴代南朝諸国は、天下を喪っていたと見ることができます。

                                未完

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