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2020年2月16日 (日)

新・私の本棚 秦 政明「三国志」里程論 市民の古代第15集 1/2

「三国志」における短里・長里混在の論理性
 市民の古代研究会編 新泉社 1993年11月刊

 私の見立て ★★★★☆ 古田短里説の限界を示す   2020/02/16

□総評
 本論の掲載された冊子は、古田武彦氏の古代史論に啓発された諸兄が論考を寄せた好著であり、本号まで、氏の最新論説を巻頭に、適確な編集と相まって、赫々たる成果を世に送り出していたものと思います。

 本論は、古田氏提唱の魏晋朝短里説、「本説」の論証において、先行提唱されていた、安本美典氏を代表的な提唱者とされていた地域短里説の論破を図ったものであり、今日も確たる位置を占めているのです。

 結論として、当記事は、古田氏の本説に対する強い思い込みに影響され、史料解釈を外した強引な論考の「論理性」が破綻していると見られます。

〇序論展開
 氏は、本説の提唱経緯と反論論者との間で展開された論戦を復習していますが、当然ながら、用語、表現が撓んで論議の正確な理解を妨げています。

 まずは、「韓伝・倭人伝に見える短里」と仮説論証の視点を逸脱しています。また、「いまだに短里を一切認めない守旧派の専門家」を指弾、排除するのは不当と見えます。守旧派の意見は、里制は国家の制度の根幹であるから、倭人伝の里が魏制里より短く見えても、「短里」が公的に施行されていたとは言い切れないとの堅実な議論であり、氏の指摘は感情的で粗暴です。

 それはさておき、「地域的短里説」は、安本氏が支持したことから、広く知られ、また、妥当な説として、現に広く深く支持されているものです。

 本説は、古田氏が、安本氏の提言に触発され、倭人伝の道里、里程を解釈する上で必須の作業仮説と認めたことから出発しましたが、次第に、里程考察のための作業仮説の域を脱して、魏晋朝の国家体系に拘わる論議となっていて、素人目にも、本来の目的である里程論の解明という目的を踏みにじって、今日に到るも収拾困難な混沌を広げているように見えるものです。

 そして、安本氏も歎いたように、いち早く提示された明確な否定論に対して、古田氏は、いたずらに反発するだけで、遂に、冷静で客観的な理解を示すことができなかったのです。そして、その遺命により同説は保持されているのです。古田氏没後、古田氏の諸説は、不可侵な「レジェンド」と化し、後世の訂正の可能性を排除されていて、まことに勿体ないことです。

*地域的短里説への批判
 秦氏は、当然、古田氏の主張を堅持していて、古田氏の本末転倒と見える主張を裏付ける論法に本質的な批判を課することなく推し進めているのです。

 まず、「根本的批判」と称して、地域的短里施行を証する根拠が示されていないと断罪しますが、大きな勘違いを披瀝していて同意できません。

 倭人伝には、郡から狗邪まで七千里の「地域里」が明記されています。倭人伝には、郡から倭都への行程記事が収録され、それぞれ付された里数がどのような里長かとの質問に対して、地域里を予め示して整合を確保しているのです。「論理性」などと大げさに言うことではありません。

 字数からも意義からも、魏志全体に対して、倭人伝は取るに足りない瑣末と見られますから、全体里制を示すと見るのは本末転倒です。史官は、倭人伝里制と魏制の輻輳を懸念して地域里制を宣言していると見るべきです。
                                未完

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