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2020年2月17日 (月)

新・私の本棚 番外 范曄後漢書倭伝 史料批判の試み 1 逐条審議 5/6

 私の見立て ★★★★☆ 必読好著、但し倭伝は虚構濃厚 2020/02/17

【建武】
建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬。
[本紀]光武帝紀曰:建武中元二年(57)春正月,東夷倭奴國王遣使奉獻。
大意:後漢光武帝の建武中元二年、倭奴国が奉貢朝賀した。使人は大夫と自称した。倭奴国は倭国の極南界という。光武帝は印綬を下賜した。

*時代観
 本紀は、東夷「倭奴国」です。印綬下賜に渡る記事の裏付けが見られません。正月朝賀と言うから、年始の挨拶に参上したものでしょう。
 倭奴国は、邪馬臺國の更に南と見ます。光武帝は印綬下賜したものの以後交信がありません。二十年一貢を課したはずですが、再訪不明に過ぎません。
 漢代、「大夫」は、「庶民」の位置付けであり、貴人どころか下級官人ですらないので、ここは、倭人の無知を揶揄していると見えます。

【安帝】
安帝永初元年,倭國王帥升等獻生口百六十人,願請見。
[本紀]孝安帝紀曰:永初元年(107)冬十月,倭國遣使奉獻。
大意:安帝永初元年、倭国王帥升等が生口百六十人を献じ、拝謁を願った。

*時代観
 本紀は、五十年を経た遣使です。倭伝は生口百六十人の献を申請したとしますが、大集団の洛陽参上は書いていません。なぜ、書いたか不審です。
 少し考えれば分かりますが、文字を知らず、言葉の一切通じない百六十人の生口は、受け入れ不可能であり、言下に拒絶したはずです。光武帝に奴隷解放勅命があり、当貢献は違勅で、倭使の無知を揶揄していると見えます。

【桓霊】
桓、靈閒,倭國大亂,更相攻伐,歷年無主。
大意:後漢桓帝、霊帝の期間、倭国は全国が内乱の攻防に包まれ、その間、国王が定まらなかったという。

*時代観
 「倭国大乱」は、夷蕃王が天子として天下を治めた前提であり、後漢朝史書として、漢朝天子に不敬です。数千里に散在しての内戦も不審です。
 桓霊間は、韓騒乱、漢朝乱脈で、交信が断絶し、献帝期は、遼東公孫氏が東夷の交通を壟断したから、当字句は根拠不明で范曄創作の可能性濃厚です。

【有一】
有一女子名曰卑彌呼,年長不嫁,事鬼神道,能以妖惑眾,於是共立為王。
大意:一人の女子が有った。名を卑弥呼という。年長で嫁がず、鬼神道に事えて、衆を妖惑した。ここに、共立して王とした。

*時代観
 出自不明の王の共立は、冒頭の説明で漢朝が重んじる王統の断絶です。女王が蛮習である上に、年長非婚では王位継承に不安があるから、かかる承継が遼東に報告されても、洛陽には報告されないものです。
 公孫氏が遼東郡志を書いていたとしても、曹魏明帝景初の討伐により関係者皆伐、史料絶滅と思われ、後漢代記事の根拠が不明です。
                                未完

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