新・私の本棚 番外 范曄後漢書倭伝 史料批判の試み 2 概論 2/4
私の見立て ★★★★☆ 必読好著、但し倭伝は虚構濃厚 2020/02/18
*笵曄の使命感
案ずるに、南朝劉宋高官である笵曄は、後漢天子が、むざむざと天下を喪った顛末を史書にまとめることによって、後世に垂訓しようとしたのであり、決して、後漢朝を賛美しようとしたのではありません。
それ故、東夷伝に書かれている諸蕃は、洛陽の天子に服属せず、自己天下での天子を自負している尊大なものと描かれています。范曄には、中原文明の担い手の自負もあり、夷蛮蔑視の姿勢が窺われます。
范曄後漢書東夷伝の解釈にあたって、編者である史官ならぬ文筆家笵曄の深意を承知しておく必要があります。
*笵曄の欠点
以上、わかりきったことをことさら書き出したのは、後漢書笵曄の世界観の不具合が、後漢書編纂の諸処に露呈しているように見かけるからです。
あるいは、范曄自身は、当時屈指の文化人であったから、そのような事情は弁えていたかも知れませんが、編纂記事には、そのような時代錯誤、地理錯誤を、そのまま読者に伝えないという練達の史官の手法が、適切に行使されていないと見えます。
*逐条審議
時代錯誤と地理錯誤は、都度解明するとして、別稿の逐条審議に入ったのです。いや、史料を丁寧に読み解くのは、大変な労力を要するのです。
その結果、倭伝は粗雑で、中でも枢要であるべき後漢朝記事は、大半が出典不明の風聞記事と見えることから、一後世人としては不審と見るのです。
三史掉尾の後漢書の倭伝が、粗雑な著作なのは意外ですが、論議抜きに笵曄の直筆が賞揚される風潮は不適当と考え、是正の論考を測るものです。
●来貢考
なぜか、倭伝末尾に追いやられている後漢早々の倭来貢記事は、本紀が根拠ですが、光武帝印綬下賜の倭奴王に関して、同国出自、王名、王都、漢朝服属、地理情報、戸数などの必須情報が欠け、「伝」たるべき要件を欠きます。
安帝の時は、生口百六十人の献上を奏上と言いますが、生口が嘉納されたという記録はありません。当時の諸状況から、海峡の難所を越えた多数の生口の移動は大いに疑わしく、また、受け入れ側としても、文化未開の蛮人の大挙到来は、謝絶するものと思われるので、拒否されると思われることから、そのように勝手に敷衍された「史実」は、大いに疑わしいのです。(あり得ない虚構ということです)
両事績ともに言えることとして、本紀に書かれている事績は実在したにしても、范曄が潤色している倭伝記事は、正確なものか大いに疑わしく、まして、更に、後世人が敷衍している解釈は、大いに疑わしいということです。
*印綬談義
例えば、後漢朝の夷蕃に対する印綬下賜記事を点検された上で、むしろ、初回参上の際には、印綬の下賜は恒例に近いものであったとする考察があり、素人考えでは、次回参上時に持参し、街道各所の関所を通過する際に身分証明として提示する仕掛けに思われるのです。当然ながら、印材は、鉄製が主力で、精々、金、つまり、青銅製と思われるのです。
関係者の方には嫌われるでしょうが、光武帝が漢朝再興を目指した大乱の果て、国力が底をついている時期に、一介の新参の東夷に、素材として大変貴重であるとともに、製作が至難な黄金の印を下賜したとは思えないので、率直にそのように書き記しておきます。黄金は融点が大変高温なので、青銅や鉄を溶かせる炉では、鋳型に注げるように溶かすことができないのです。
●断絶考
夷蛮記事の欠落を思わせるように、来貢記事は二件の後途絶えていて、後漢末まで倭の来貢は明記されていなくて、また、諸般の状況から、後漢朝の見方として、楽浪郡の統御下とは言え韓国ですら治安不安定で仕切れていないのに、更に彼方の倭とは、長年にわたり交通途絶していたと見えるのです。いや、大国と言えども、後漢朝の東夷対応方針は、特に定まっていなかったので、倭のことは瑣末事として忘れられていたのでしょう。
そのような背景から、伝を埋めるに必要な情報がないにかかわらず、粗雑な地理情報と共に、現地取材無しには書けない筈の貴重な風俗情報が、歴然と書かれているのは、根拠が不明であって、笵曄は、後漢書西域伝で、西域都護の残した現地情報すら、根拠不明の風聞と排除していると見られるので、首尾一貫せず大いに不審です。
●創作起源考
以上重ね合わせると、范曄が確保していた後漢倭伝史料は、光武帝、安帝の本紀史料のみであり、他は、笵曄の創作で埋めたと思われるのです。
素材無しの創作は不可能ですから、手元の資料を流用したと見えます。ただし、情報源として確実なのは、魚豢魏略倭記事、次いで、陳寿魏志倭人伝ですが、陳寿は史官の務めに従い、倭人伝編纂に際しては、大幅に唯一無二の史料魏略を引用したと思われるので、要点としては、大差ない記事であったと見て、以下の論議を進めます。
世上、この推定が気に入らない論者は、それ以外に原史料があったに違いないと断じていますが、長きに亘って東夷との交流がなかったにも拘わらず、東夷から詳しい現地情報が得られていたとするのは、推定と言うより、根拠のない想定であり、范曄同様に創作の道をたどっているものと見えます。
未完
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