新・私の本棚 晋書倭人伝談義 もう一つの倭人伝 2/2
2020/03/16
*倭人伝引用
今日、維基文庫を参照すれば、四庫全書版テキストを参照、引用できます。
字数が少ないので、ここに全文引用しますが、当史料は、著者没後百年以上経過しているので、著作権の消滅している公有文献として扱えるのは、いうまでもありません。その際、引用元を明記するのは当然の義務です。これは、読者の検証を可能とするものでもあります。
*本文引用 四庫全書版 (維基文庫による)
倭人在帶方東南大海中,依山島爲國,地多山林,無良田,食海物。舊有百餘小國相接,至魏時,有三十國通好。戶有七萬。男子無大小,悉黥面文身。自謂太伯之後,又言上古使詣中國,皆自稱大夫。昔夏少康之子封於會稽,繼發文身以避蛟龍之害,今倭人好沈沒取魚,亦文身以厭水禽。計其道里,當會稽東冶之東。其男子衣以橫幅,但結束相連,略無縫綴。婦人衣如單被,穿其中央以貫頭,而皆被髮徒跣。其地溫暖,俗種禾稻糸甯麻而蠶桑織績。土無牛馬,有刀楯弓箭,以鐵爲鏃。有屋宇,父母兄弟臥息異處。食飲用俎豆。嫁娶不持錢帛,以衣迎之。死有棺無槨,封土爲塚。初喪,哭泣,不食肉。已葬,舉家入水澡浴自潔,以除不祥。其舉大事,輒灼骨以占吉凶。不知正歲四節,但計秋收之時以爲年紀。人多壽百年,或八九十。國多婦女,不淫不妒。無爭訟,犯輕罪者沒其妻孥,重者族滅其家。舊以男子爲主。漢末,倭人亂,攻伐不定,乃立女子爲王,名曰卑彌呼。
宣帝之平公孫氏也,其女王遣使至帶方朝見,其後貢聘不絕。及文帝作相,又數至。泰始初,遣使重譯入貢。
*大意
晋書独自記事である最終段落大意です。併せて先賢の業績を参照して下さい。因みに「東アジア民族史1 正史東夷伝」(井上秀雄 他訳注 東洋文庫204)で、著者は「訳文は、現代語訳をめざし」と大変謙虚です。
これは、史学に於いてあくまで「史料原文そのものが史料」との明言です。当方、つまり、当ブログの筆者は浅学非才であり、少なくとも本稿では「現代語訳」などとは、言えないのです。
宣帝(魏宰相司馬懿への追号)が、魏明帝勅命で遼東公孫氏を平らげんと赴いたとき、倭人女王が帯方に至り朝見しました。倭人貢献は、景初、正史年間を通じ続きました。文帝(司馬昭への追号)が宣帝を継ぎ、魏相に任じられたときも何度か来貢しました。晋朝では泰始に初めて訳を重ね来貢しました。
*考察
「大意」から割愛した前段の「漢末倭人亂」は史官達意の寸鉄文であり、范曄後漢書が、文筆家としての意識を昂揚喚起して、その筆の赴くまま、いわば自由な達意の創作を施しているのと根本的に異なるものです。
また、主と王の書き分けは、重大な意義を持つものであるから、史料解釈の原点として保持し、安直な改竄を施さず、尊重すべきです。
なお、二度起用の「其」は同一意義と思われます。現代人には、文意の解釈は困難ですが、等閑視できないと思われます。
思うに、晋書編者は、女王国都名、共立など、自身が些末と判断した事項は略しています。
同様に、些末と見たであろう(景初)遣使年次や公孫氏討滅との後先(あとさき)は明記されてないので、そのように示唆すらされていない事項を安易に勝手読みして持論補強に援用すべきではありません。
なお、余り触れている例は見ませんが、そのような略記の流れの中で、「女子」が、ことさら温存されて明記されているのは、私見によれば重視すべきです。
〇結語
晋書倭人伝の解釈については、従来、牽強付会の強引な読解が多かったので、この際、当ブログの方針に従い、丁寧な読解を試みたものです。あくまで、一私人の意見ですので、そのように理解いただきたいのです。
なお、晋書四夷伝は、倭人伝に限らず、ほぼ西晋記事で尽き、亡国南遷後の東晋の四夷記事は大変貧弱であり、言うならば「西晋書」四夷伝です。加うるに、西晋時代も、西域交流は数度の来貢に尽きてしまい、後は、前世記事の使い回しで何とか紙数を稼いでいる始末です。何しろ、魏代の西域記事は、魏志西域伝が成り立たなかったほど貧弱ですから、何ともお粗末なものです。
追記:以上、つい筆が走ってしまったので、言葉を足すものです。
晋の四夷記事には東夷来貢記事が多いのですが、それは、魏の楽浪、帯方両郡回収の恩恵を被った西晋時代のことです。帯方郡にすれば、馬韓、秦漢、弁辰の領域は、いわばお膝元であるので、それこそ、一年一貢に近い頻度で、各国使節の山東半島経由の洛陽参詣が行われたようです。但し、これも、四世紀初頭の滅亡に至る両郡の衰退、そして、最後は晋朝の南遷のため、東夷の晋朝貢献は、ほぼ消滅したのです。
いや、新興の百済は、一貫して南朝と親交を結んだようですが、何しろ、建康への交通は困難だったのです。
以上
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