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2020年3月16日 (月)

新・私の本棚 晋書倭人伝談義 もう一つの倭人伝  1/2

                             2020/03/16
〇はじめに
 当ブログの守備範囲は「倭人伝」談義であり、一般的に、これは「魏志倭人伝」の通称ですが、正史の中でも、晋書は「倭人伝」を備えているので、ここでは、「もう一つの倭人伝」談義を試みています。

□晋書紹介
 晋書は、中国正史二十四史において、「史記」、「両漢書」(漢書、後漢書を合わせて、漢朝一代の正史と見た呼び方)の「三史」の後に位置し、三国志に続いていて重要な地位を占めています。対象は、西晋(265~316)、東晋(317~420)を通じた司馬晋の百五十五年間であり、一部、魏代に政権を掌握した司馬氏の功績も記述されています。

*編纂経緯

 晋書は、南朝滅亡後、隋による統一を継いだ唐において、王朝興隆の基礎を確立した太宗の治世下、重臣房玄齢によって編纂されました。房玄齢は、太祖李淵の次子李世民に仕え、太子李建成を廃して二代皇帝となるのに知謀をもって大いに貢献したことから、太宗期に重用されています。
 当時、房玄齢は、尚書左僕射(尚書省長官、筆頭宰相)・監修国史、つまり、最高位の重臣であって、合わせて史書編纂の最高権威とされ、編者とされていないものの、当時編纂のできていなかった「北斉書」・「周書」・「梁書」・「陳書」・「隋書」を総括して主宰し編纂ましたが、特記して、褚遂良らと共に「晋書」を撰したと記名されていますから、唐朝の国威を示す国家事業である諸国史編纂にあたり、特に晋書を重視したと思われます。

 因みに、南朝の劉宋、斉の史書である「宋書」、「南斉書」は南朝梁代の編纂史書が正史とされています。また、北朝魏の正史であって、時に三国志の魏書と混同される魏書は、混同を防ぐため後魏書、さらには、「魏収後魏書」と呼ばれますが、北朝斉の魏収の編纂した正史とされています。

 唐代以降、正史の編纂は、多数史官の共同編纂となり、三国志、後漢書が、個人著作とみなされたのとは時代を画しています。

*全巻構成

 晋書全巻は、三国志の六十五巻に倍する百三十巻に達しています。また、正史の要件である天文、地理などの「志」も完備しているものです。

 西晋が全国支配した王朝であることも考慮して、大部の史書としていますが、折角陳寿が、魏志の編纂で確立した切り詰めた正史のお手本を外れて、 裴松之の不本意な野史取り込み付注をも越えて、司馬氏毀損の伝聞まで盛大に収容したという「風聞」がありますが、その当否の程は当記事の圏外です。何しろ、晋書倭人伝は、一瞥で読み取れる字数ですから、山成す先入観を棄てて史料だけ読み取れば良いのです。

 いずれにしろ、晋書は、先行する晋書稿があったにせよ、東晋を継いだ南朝の滅亡によって散逸しかけていたと思われる晋代資料を、唐代の権威筋が衆知を集めて、玉石混淆の史料の山から総括したものと見られます。

 因みに、別記事で考察した「晋書地理志」は、太古(殷周代)以来の里制変遷を網羅し、大変貴重です。端的に言うと、晋が全国に布令した秦制は、実は、周制そのものであり、周代以来一貫して「普通里」が施行されていたことが読み取れるのです。

 とかく趣旨を誤解される始皇帝の布令は、春秋、戦国時代の各国が、周制を遵守せずに、長短バラバラの度量衡、土地管理制度、里制を敷いていたのを、秦制、つまり、周制に統一したものなのです。

▄倭人伝の所在・呼称

 晋書「倭人伝」では、雑駁な呼び方とも見えますが、正式に「晋書/卷九十七/列傳第六十七/四夷/東夷/倭人」条とでも呼ぶのも、長蛇の観があります。当ブログは「倭人伝」散歩道でもあり、俗を避けずに晋書倭人伝とし、本稿では、時に倭人伝と略称します。

 魏志倭人伝と同様、晋書倭人伝は、「倭人在帶方東南」の地理紹介で始まるので、中国古典書籍の呼び方では、冒頭二文字をもって「倭人」と称され、大抵は、史書の頂点から下ってそこに到る階梯数段の深さを無視して「伝」と見なされているのです。要は、具体的な記事のまとまりが「伝」と呼べるのなら伝と呼べば良いという割り切りです。

 但し、倭人「伝」と言いながら、晋書倭人伝の大要は、魏志倭人伝の抜粋に止まっているので、「伝」の要件を欠いているとも見えますし、先行史書に書かれている事項は出典を書かなくてもここに書かれていると見なせるとの観点であれば、既に「伝」の要件を備えていることになります。別に、潔癖になって得られるものはないので、当記事含め、当ブログでは、「晋書倭人伝」と呼んでいます。

 以上面倒ですが、素人なりに、確認の手順を踏んだことを書き遺すものです。

                                未完

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