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2020年3月 2日 (月)

新・私の本棚 番外 邪馬台国論争は必要なかった サイト記事批判 4/5

 古樹紀之房間(こきぎのへや) 宝賀 寿男     記2020/03/02

Ⅰ はじめに 承前
文書史料の成立・伝来の過程まで総合的に考慮する。写本に誤記や追補記事はつきもの。行程記事は、現実に倭地に出張した帯方郡使の報告書に基づくものであった。

 「写本に誤記や追補記事はつきもの」と言うのは、それは異世界の議論/空論である。「倭人伝」の誤記は、そのような空論を唱える暇があったら、具体的な証拠を持って来いという事である。因みに、追補記事が致命的に悪ければ、国内史料は、ほぼ全滅ではないかと危惧する。そんな断罪を放言して、氏の身分は危ういのではないか。冗談はさておき、漠然たる断言は、史料の実物を精査した上での発言でなければ、無責任な放言である。

 唐突な行程記事論は、倭人伝道里記事と無関係である。何が「現実」か、二千年の後世人には、全くもって不審であるが、氏の行程記事の素人理解が不明なので簡単に答えられない。そして、こじつけの目的となっている、断じて譲れない所在地論はどうなのかである。

原文が漢文なのだから、教養ある中国人が普通に読んで、読みとれる内容を考える。

 趣旨不明の放言である。原文が漢文古文なのは、衆知なので、この念押しは読者を馬鹿にしていることになる。不遜である。

 取り立てて言うのも辛いのだが、史料として依拠できるのは原文だけである。倭人伝の翻訳物は、全て、少なからぬ(多量の)誤解を含んでいるので、翻案ものであり、安直に信じてはならないというのが「よい子の常識」であるが、氏にとっては常識でないようである。それは、多少一般教養に富んでいても、現代の普通の中国人が読むとしても、大差ないのである。

 「倭人伝」は、「当該時代の古典素養を有する数少ない中国人」、つまり、魏晋朝高官など三世紀の教養人向けの課題であり、後世人を含め、無教養な者が気軽に読んで、読み解けるものではない。中国人といえども、不勉強なものは、読解できないのである。
 陳寿の知性と教養を見くびってはいけない。

当時の倭地の習俗・祭祀・産物(鉄や絹など)・動植物などの記事も考慮する。ただし、これが決定的な判断要素になるわけではないことにも留意。

 雑駁な放言である。倭地に産鉄はないので、鉄遺物の意味か。とは言え、正確に記事を解読すればの前提であれば、それなら、「かなり重要な判断要素」となると見るのが順当ではないか。

地名の長期保存性も考慮する(中略)

 「地名の長期保存性」は、時代錯誤で意味不明な放言と見える。

東夷伝はもちろん、『三国志』のみならず、中国正史の全体(とくに『後漢書』~『新唐書』の合計十一正史)のなかで考える。その他、朝鮮半島などの関係史料も含め、東アジア全体の総合的視点からの検討も当然必要。

 色々、雑多な資料を採り入れよと言うが、何を指すのか不安定である。後代資料は、まずは排除すべきではないか。そうでなければ、人の採り入れられる量を遙かに超えているのである。「倭人伝」の二千字程度はとっかかりとしても、直後の魚豢「魏略」西戎伝は三千字余りあり、豊富に書き込まれている地名、道里などを読み解くのに要する努力は、並大抵ではない、そして、まだ、「魏志」完読には遠い。いつ、議論が始められるのだろうか。

 要は、「邪馬台国」という語が基本文献『魏志倭人伝』において一個所しかない以上、当該文献を主体にして具体的総合的に考察することが必要である(このことを強調する見解は、これまでも多くある)。学究でも、基本文献をきちんと読んでいない方々がかなり多く見られ(読んでいても平気で記事を無視する方々も多い)、これがつまらない論争が永く続く要因になっている。

 部外者で見過ごしかも知れないが、前段で大風呂敷を広げて、読者を煙に巻いた上で、突如、「要は」は見当違いである。

 論戦混乱を振り払って、基本の基本に還ると、魏志倭人伝に「邪馬台国」はない、との認識が、諸論の原点ではないか。論議は、目の届く、手の届く範囲で煎じ詰め、正しく議論できたら、一段広げるのが常道であろう。

 ちなみに、氏の難詰する「方々」が、氏の提言するような当然の理屈を平気で無視したか、それとも苦渋の決断で回避したか、万能の神以外にはわからない。恣意的感慨を押しつけては、反対陣営を説得できるはずがない。

 なお、記紀も本来は参考になる面がないでもないが、恣意的な解釈に流れるおそれが強くあり、論者によっては反発もあるから、基本的には利用しないで対応するのが無難な線。

 事は、難、無難を言うべきではない。感情的な反発を是認して韜晦するのはどんなものか。

 記紀は、数世紀後の異国/蛮夷のものであるから、「倭人伝」時代、「倭地」なる地域との関連性が希薄で(つまり、無いに等しく)、従って、あくまで、あくまで、参考利用に止まるのは自明である。そして、どんな史料も、参考としての利用を排除することはできない。

                                未完

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