新・私の本棚 番外 邪馬台国論争は必要なかった サイト記事批判 1/5
古樹紀之房間(こきぎのへや) 宝賀 寿男 記2020/03/02
-邪馬台国所在地問題の解決へのアプローチ-
〇はじめに
当記事は、サイト記事の批判という事で、番外も良いところなのですが、まずは、商用出版物を多数公刊されている著者であり、氏の持論が熟慮の上公開されているので批判して良いと解したものです。また、氏の著書に、当分野のものが見られないので、ここで議論するしかないと見たのです。定めしご不快であろうが、非礼は、ご容赦いただきたい。
失礼ながら、当サイトで長らく公開されていても、多くの目に触れているとは思えないので、当ブログで具体的に批判することで、氏の方法論を広く公開するとともに、当方の意見の食い違いを明瞭にしたので、重ねて、失礼に当たる点は了解いただければ幸いです。
早々の概評ですが、氏の提言には、論争時の人格攻撃、戦線拡大、論拠韜晦など、悉く、非勢の側が試みる延命策の常套手段の響きが見られます。少なくとも、当記事は、前振りの謙虚な口ぶりはどこへやら、全体に剛腕で快刀乱麻の運びですが、頭隠してでしょうか。素人目にも、もったいない話です。
〇本文
本稿は、当初は簡単なレジメ風のものを考えていましたが、多くの書・論考を読み込み、それに応じて書き込んでいくうちに、次第に長いものとなってしまいました。そのため、本稿を読まれる方々は、表題のテーマに関心が強い場合は、「Ⅰ はじめに」を読まれた後に第二部のほうに飛んでいただいても結構です。所在地論に関心が大きい場合には、このまま順に読み進めてください。書いた当人としては、読む順番はともかく、両方をきちんと読んで記事の趣旨を把握していただくのが良いのですが、その辺はご随意にということです。
Ⅰ はじめに
前言:俗に「信じる者は救われる」というが、上古史研究にあっては、まず信じる者は救われない。考察にバランスの取れた冷静さと合理性を欠くと言うことである。
タイトルで問われるのは、(日本)上古史、つまり、記紀以前の列島内古代史でなく、中国古代史である。著者は、前者を説いているだろうが、対象史料は後者であり、「部外者所感」との先入観を持たれるのである。
だから、古田武彦氏のように徹頭徹尾、陳寿を信じるという姿勢は、編者の陳寿は万能の神ではない(西晋では治書侍御史〔検察秘書官的な役割〕で、著作郎の官歴もあるが、陳寿の『三国志』自体も元は私撰にすぎない。その魏志の東夷伝倭人条も、普通に読めば雑然としている感がある。当時の古典の全てに通じていたわけでもない)のだから、信念はかえって合理的解決の妨げとなる。
世の中には、「徹頭徹尾陳寿不信」論が根強く、古田氏の言は、売り言葉に買い言葉の感であり、氏の発言を、原文も文脈も示さず、断定的に断じるのは、公正に欠けると思われる。ことさらに名指しする以上、代表著書を示すべきではないかと思われる。
私見では、古田氏の「姿勢」は「陳寿が責務を果たしたと信じる」という妥当なもので、推定するに、陳寿万能信仰ではないと思われる。「古田氏の信念」観は、氏自身の万能の神(全知全能の意味か?)のものだろうか。
なお、「私撰」の理解が、私人編纂と言うことなら、それは大きな誤解である。私人による史書編纂は「重罪」(死罪必至)であったし、私人は公的資料を一切参照できないから、不可能犯罪でもある。
わざわざ、根拠を示していない放言に反論するのも難儀なのだが、陳寿は、ただの人間だったから、史官としての職に耐えるだけ古典に通じても、当然「全て」ではなかった。また、いくら慎重を期し、校閲を経ていても、その著作には、間違いや勘違いもあり得たのは当然至極である。当然、あらゆる記事の疎漏を、漏らさず全部是正したわけでもない。史官として、その欠点が、普通の史官より格段に少なかっただけである。もちろん、普通の者は、到底、周到な訓練を経た史官に及ぶはずが無い。以上、当然の推定で、特に、根拠を示す必要はないはずである。一方、当然でない発言には、論証が不可欠と考える。
余談ながら、氏は、三世紀中原人並みに原文が読めるのだろうか。「普通に読めば雑然 」と何気なく書いているが、倭人伝を普通に読めるとは、当聖人の窺い知ることも困難な至高の境地なので、そう言われても、素人には信じがたい(信じられない)というのは無礼だろうか。
未完
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