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2020年3月15日 (日)

倭人伝の散歩道 道草 「百済禰軍墓誌」再考 「日本」は錯覚では

                                  2018/01/08 記 2018/05/11 2020/03/15 補充

 先に印象を述べたNHKBSの盗まれた長安 よみがえる古代メトロポリスに、ある意味場違いな挿話として挿入された墓誌であるが、全文を見る機会に恵まれたので、一つの墓碑記事の文書として解釈を試みる。

*番組紹介(復習)
 当記事だけ読む人もあると思うので、重複気味の紹介を追加する。

 番組自体は、長安(現 西安)近郊の唐代未発掘遺跡が墓泥棒の盗掘にあったと露見し、関係機関の捜査により流出した大量の遺物が回収されたというお話である。
 ところが、番組中盤に、番組告知に何の紹介もない墓誌画像が登場して、新発見紛いの紹介がなされていたので、不当な紹介ではないかとNHKの報道に抗議する趣旨で裏付けを求めたのである。

 と言うことで、既報記事に記した詳しい紹介を省略するが、既に、碑文自体は全国紙に報道されていて、精緻な研究論文も登場していて、ある意味、既知の史料だったのであるが、なぜか、NHKは、これらの意見を無視したのである。
 要は、この番組の功績は、それまで、碑文拓本紹介主体で、所在不明とされた遺物現物を明らかにしたものであり、番組の本筋を外れて興味本位気味の報道となったにしても、本来不可欠なはずの先行文献調査が欠けたものである。

 ここでは、その際の批判は置くとして、入手できた先行論文を見た上で、内容の考察を少し割下げたものである。

〇文書検討
*墓誌背景

 この文書は、本藩(百済)に代々勤めた高官が、官軍によって本藩が平定された際に、官軍に降伏、臣従し、官員として重用されたことを記している。つまり、墓誌は、唐の官員としての視点で書かれているものである。(後日誌文をよく読むと、事前に、唐陣営から勧誘されて移籍していたので、本藩平定の際には、官軍の一員として百済王に降伏を勧告ことを顕彰したようであるが、これは、当記事の論議には影響しない。 18/05/11追記)

*課題確認~于時日、本餘噍
 課題部分には、「于時日本餘噍」とあるが、案ずるに、単に「餘噍」(残党)では、どこの何者か素性が全くわからないと解釈されることが懸念されるので、「本餘噍」、つまり、「百済の残党」と語っていると思う。

 そのような堅実な解釈を斥けて、いつの間にか定説化しつつある「日本餘噍」と解釈するには、そこまでの墓誌に、官軍が、百済平定時に、これと不法にも結託した「日本」なる存在をも平らげたことが記されていなければならない。

 順当な解釈を排するには、「格段に堅固な論拠」が求められるのである。

 あるいは、墓誌策定当時、「日本」が何者であるか衆知、自明であったとの仮定となるが、そのような仮定を指示する先行文書は、教養人が援用できる古典書籍に見当たらない。凡そ、墓碑は、読者に難題をふっかけるものでなく、その場で賞味されるものを目指しているので、いわば、不意打ちの新語はありえないのである。

 つまり、「日本」は、同時代の知識人である墓誌読者には、全く未知の概念で、一読して理解できないし、古典書籍に前例が無いから、墓誌編者に想定外の読解とみられる。

 そのように古典書籍に存在しない異様な用語を書き入れた不遜な墓碑は、ごうごうたる非難を浴びるはずである。

 いうまでもないだろうが、墓誌編者は、「施主」から高額の謝礼を受け取って、最善の墓碑を要求されているのである。また、当墓碑で高い評価を受けることにより、数多くの依頼を受ける同時代最高の墓碑編者の名声を求めたはずである。そこに、不都合、不出来なものが生まれるはずは無い。もちろん、草稿段階に、一度ならず施主の承認、ダメ出しを経ているから、一切手違いはあり得ない。

*百済再興の意義
 唐の視点では、百済平定は、国王が降伏し百済が亡んだ時点で完了している。その時点で、百済なる国家は消滅しているのである。

 いわゆる百済再興の戦いは、唐朝にとって、百済旧地に設けた都督府が鎮圧すべき地域叛乱であり、格別の意義は無いものと思われる。もちろん、「餘噍」はその文脈で書かれているのである。

*「日本」の関与
 先ずは、官軍によって本藩が平らげられた際に、官軍が「日本」なる半島外の援兵を平らげたとする形跡はない。詳細は省略するが、墓誌内に記述がなく、同時代の内外諸史料にもない。また、墓誌策定当時、「日本」の素性が知られていた形跡もない。

 してみると、先に提示したように「本餘噍」とは、本藩、即ち、百済の残党と解釈するのが、妥当と思われる。そのような「残党」が海を渡って扶桑に逃亡したと言うのは、墓誌読者の理解可能な事態である。

 先立つ三字「于時日」は、他に例を見ないが、「于時」と二字句が定例であるものを、墓誌の体裁上から「于時日本餘噍」と六字句にしたものであろう。字句を、文体に合わせて伸縮し、体裁を整えるのは、墓誌編者の腕の振るいどころである。

 中国側でも、百済が平定された時に半島外から援軍が来ていたとの記録はなく、墓誌策定時の視点では、逃亡者は百済の残党以外いないのである。(唐書を再読すると、「倭」の援軍に言及しているので、誤解、言い過ぎの可能性があるが、「日本」が援軍を派遣したとは書いていない。ことは、国号論であるから、意義深いのである。18/05/11追記)

〇結論
 常識を働かせて読み取ると、以上のような解釈に至るのだが、いかがであろうか。

 いや、別に当方は漢文がすらすら理解できるわけではないし、当時の事跡に特に詳しいわけでもないが、確か、書紀では、百済が唐、新羅連合軍に平定された時点では、援軍を送っていなかったはずである。史料の解釈は分かれるとしても、その際、「日本」が海峡を越えて援軍を送ったとの解釈は、見かけないのである。

 何分、自称「倭人伝専科」で、当時代、地域に関しては、浅学非才を自認しているから、素人考えの的外れの理解であればお詫びする次第であるが、知る限り「的」の片隅をかする程度のあたりはあると思っているから、ここに書き遺すのである。

 当該墓誌が知られてから、かれこれ6年経って、だれもこの解釈を言い立てないということは、とんでもない誤解かも知れないが、現物の所在が、他ならぬNHKの権威あるカメラによって、一般視聴者に広く報道されたという画期的な事態に触発されて、素人の一説として旗を揚げたものである。
                                                                                     以上

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