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2020年4月

2020年4月30日 (木)

新・私の本棚 木佐敬久 『かくも明快な魏志倭人伝』 再論・再掲

  冨山房インターナショナル 2016年2月刊      

 私の見立て ★★★★☆ 必読       2019/01/06記 2019/07/20 2020/04/30 改訂追記

 木佐氏好著の書評は以前に公開していますが、現時点解釈で述べてみます。

*行程論
 当方の不満は「明快」と言いつつ、延々と旅程解釈に紙数を費やした点であり、今回も早々にご遠慮しました。

 端的に言うと、皇帝上申の倭国志に、読み飛ばしの効かない煩雑な行程を載せるのは、読解困難で解答のない「問題」提示であり、単なる嫌がらせで、場違いと思われます。

 本来、余計な道草を省けば明快な解答が浮かび上がる記事と見るのです。

*直行の勧め
 つまり、伊都から倭都直行で、直後数国は傍路と見ます。奴国の所在を含め、自郡至倭行程記事には、寄り道に過ぎないのです。

 かって、氏は、倭人伝旅程批判で、郡倭は水行十日、陸行一ヵ月の総日程と述べて広く賛同を得ていましたが、本書では、その明快さが崩れています。また、半島西岸南岸の船旅想定が賢察に漏れたとは、もったいないことです。

*年長大論
 卑弥呼「年長大」の俗説批判には、大いに賛同します。氏とは別に近辺史料から用例を検出し、ほぼ同様の観測に達したので我が意を得た所です。

 古田氏が起用した呉志曹丕用例ですが、孫権が高官諸葛瑾に対し、即位時三十才超の曹丕を青二才と評した記事は、呉朝史官の筆(呉書)であり、魏志なら曹丕、曹叡に不敬ですが、陳寿は、呉志諸葛伝として温存しています。

 と言うことで、呉志用例は、むしろ、法外な難詰であり、俾彌呼の年齢形容に持ち出すのは、不適当と考えるものです。そして、当用例を除けば、「年長大」は、ほぼ、成人となる、例えば、十八才となるとの意味です。

*FAQならぬFAC(良くあるコメント)
 因みに、この件の議論を公開すると、毎回、用例を調べて書けとコメントされますが、史書用例はよく調べてよく読んでいて、異論を脇に置くだけの根拠を公開しているので、ちゃんと読んでからコメントしてほしいものです。

 むしろ、世上の各論者は、用例識不足であり、卑弥呼老魔女説など、古くさい先入観で文献解釈を曲げている、曲芸ならぬ「曲解」の例と思われます。

 なお、「年長大」なる著名な成句は、(中国語)辞書に幾つかの意味が提示されていて、子細に読むと、ここにあげた解釈を排除できないと知るはずです。

 当時、王族女子は早婚で、十五才までに縁づくから、倭女王は「共立後成人して、(当然)夫婿を持たない」との記事の深意を察するべきです。

 季刊邪馬台国誌連載の倭人伝解釈論考で大いに名を馳せ、戦前/戦中の皇民教育の日本語素養と戦後修めた中国語の教養を共に有している張明澄氏が屡々注意喚起しているように、陳寿は、辺境帯方郡の書き役の、時に中原教養人の常識を外れる文章を温存していて、古典用例は、必ずしも倭人伝の文脈の意義を越えて適用すべきものではないのです。

 そして、里数や水行に関する倭人伝提言の如く、三国志、魏志用例すら絶対ではないのです。

*戸数概数論
 ついでのように、氏は、晋書ばりに、戸数可七万餘戸を総戸数と論じていますが、ここは直感ではなく、適確に論評して欲しいところです。

 「可」「餘」に対する適確な評価、つまり、萬戸単位の前後を含みうる大変、大変おおざっぱな概数であり、千戸以下の端数は、萬戸単位計算に影響しないとの定見がはっきり示されていないので、二萬餘戸、可五萬餘戸の二大国に、他国戸数を足したとき、可七萬餘戸に収まらない、との定評(FAC)を克服できないため、一般読者に賛同されないのです。

 素人が愚考するに、大局理解には細部を読み飛ばす勇気が必要でしょう。

*まとめ
 以上のように、凡俗は好著の瑕瑾をつつくしかないのです。

                            以上

2020年4月20日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞の心ない報道、「コロナで謝罪」の断たれた思い

                                        2020/04/20

 今日の題材は、毎日新聞大阪独自記事らしい。夕刊一面の大見出しで、『「コロナで謝罪」は必要か』とあるが、これは「必要ない」と言うための、低俗な常套手段であることは見え透いている。一見して、「有名人」をさらし者にしているとしか見えない。写真まで載せられた方もいる。
 (2020/04/20 23時30分現在、当記事の毎日新聞サイトでの公開がないので、大阪版の読めない方に記事リンクを紹介できないことを「お詫びする」。いや、別にこちらの不手際でもなんでもないのだが、「謝罪」でない「お詫び」を付記する)

 「断たれた思い」というのは、引き合いに出されている人々が「申し訳ない」と真情を吐露したのを「謝罪」と決め付けて嘲笑する人がいて、それが、毎日新聞の一大弾劾として指弾されていることである。

 報道機関として不届きなのは、発言の締めくくりを引用しているとは言え、これらの発言を「謝罪」と決め付けて論評していることである。素人目には、これらの人々は、世間から受けていた期待を裏切ったことについて頭を下げているのであって、別に犯罪を自白して寛大な裁きを願っているものではないのである。誰が「罪」を背負わせているのだろうか。誰が、勝手に罪を許しているのだろうか。大変疑問に思うのだが、これは、投書欄ではなく、大新聞の堂々の報道記事なのであるから、罪深いことだと思うのである。

 思うに、担当記者は「すみません」なる慣用句を多発する日本の固有の文化に反感を抱いて、これを「I am sorry」と解している単純な輩の一人なのだろうが、それは、西洋キリスト教文化の影響であって、国民性に対する罪深い誤解なのである。

 一帯に、西洋文化は、太古以来、「契約」の概念を底流に持っていて、日本人とは「約束」や「ウソ」に対する感覚がずれているのだが、中でも、契約後との免責事項に対する観念が大きく異なるのである。
 つまり、なにか約束して守れない時は、当然、約束/契約違反として処罰されるのだが、「免責」事項、つまり、契約違反を問われない正当な理由として、An act of Godが原因である違約行為は、責任を問わないというものがある。キリスト教が大勢となっていない日本の言葉に訳すと、「不可抗力」としか言い様がない。これは、reasons beyond controlとでも言うもので、戦争、災害、内乱、暴動、行政命令などが挙げられる。いずれにしろ、責任逃れして良いということになっている。

 今回の例で言えば、強制力がある政府命令で実行不可能になった契約は、違反を問われないのだから、当事者は、平然としていれば良いという意識のようである。というものの、要請はどうなのか、政府得意の自己責任論で、ことは自己払いにしろという事なのかと不安であるが、それは、脇にどけて続ける。

 まことに、グローバルなご意見で、結構毛だらけであるが、それは、日本文化の底流を見損なっている軽薄な意見に過ぎない。歴史的な事情を知らない異国人が、薄っぺらな御託制を垂れ流すものだから、結構出回っているにしても、反論に曝されていない見識は、独断、誤解の類いであろう。

 疫病や天災は、天子の不徳の致すところ、と言われた時代はともかくとして、今日でも、結果として「お客様」に不自由をかけてしまったのは、当人の不行き届きと「感じる」のが、国民性であり、そう感じる国民が多い以上、深意は知らず、「申し訳ない」と言わざるを得ないという意味なのである。
 ここに堂々たる意見を述べた方は、人気商売、客商売ではないから、独断放題、言いたい放題ですんでいるのだろうが、ここにやり玉に挙げられた人々は、逆ギレして客に喧嘩を売ったりするのでなく、また、言うまでもなく、世間のお慈悲を願っている罪人ではないのである。

 このような意見が堂々と夕刊一面を飾るのも、また、毎日新聞にとっては不可抗力の結果かも知れないが、ここに挙げられた「申し訳なかった」人々に、公の場で、一見赦しを見せているようで、実は手厳しく鞭打った記事については、新聞社として「申し訳ない」と感じるべきではないか。言うまでもなく、「コロナで謝罪」しろと言っているのではない。一読者として、意見しているだけである。

 最後になったが、どうも、毎日新聞夕刊一面は、時として署名記者の自作自演、無観客の一人舞台になっているようである。
 私見も、誤解も、思いついたら言いたい放題では、情けないと思うのである。

 余談だが、陸上競技由来の「ハードル」が、常々悪玉扱いされているのに不満なのだが、ここでは、一段と拡大解釈されて、善玉とも悪玉とも、すぐにはわからない体たらくであり、本来専門家の具体的な提言のはずの発言が、「感染拡大を防ぐためのハードルをあげるような空気感は意識して気をつけていかないと」などと、一般人の世界観が混乱して、一体何をどうしろというのか全く意味不明のご意見になっているのは、担当記者の言葉の乱れが痛々しく、この場で指摘せざるを得ないのは、専門家の方の意図に背くようでまことに申し訳ないと思う次第である。この言葉遣いを瞬間に理解するプロの技には感嘆を惜しまないが、読者にもわかる言葉で紹介して欲しかったのである。
 とは言え、率直に、明確に苦言申し上げる。

以上

 

2020年4月17日 (金)

新・私の本棚 中島 信文 「東洋史が語る真実...」 再訪 付 九章算術、商鞅変法 3/3

*自郡至倭行程
 「郡から倭に至る」は、東南に一条路ですが、自然、東向も南向もあり、時に、つづら折れ登坂で方向感覚を乱されますが、東南方向を裏切りません。

 この行程は、狗邪に至るまで、当然、自明の「陸行」ですが、当然、自明のことは、冗長ですから史書に書かないのです。

 以下、狗邪から先は、「水行」を終え順次陸行が書かれています。

 三度渡海の後、末羅で「陸行」とある以下は、倭官道です。投馬水行とあるのは、行程外の傍路であり、渡船としか確認できません。

 新刊の第三書が届くのが楽しみです。

*参考資料と余談
 以上は、「九章算術」と題された算術例題集から得た知見です。周代以来の例題集を、恐らく後漢期に編纂したようです。史官に必須の教養です。

〇「九章算術」に学ぶ古代の算術 「中国哲学書電子化計劃」による
*方田(田地の求積問題) 
今有田廣一里,從一里。問為田幾何?
答曰:三頃七十五畝。

 幅一里、奥行き一里の方形の面積です。一里は、三百歩であり、面積は九万積歩、つまり、一歩角の正方形九万個分です。前題によれば「畝法二百四十步除之,即畝數。百畝為一頃。」、田地面積の「畝」(ムー)は二百四十歩、百歩一頃(けい)ですから、三百七十五歩、三頃七十五畝となります。

 但し、一歩六尺つまり、1.5㍍程度、一里は四百五十㍍程度です。一積歩は、2.25㎡、一頃は、540㎡、5.4アールとなります。

 周代、百歩を畝とする制度でしたが、秦は、公孫鞅の時、二百四十歩を畝とする独自の土地面積制度を採用しました。始皇帝の全国度量衡統一後も旧制度は各国に残存し、完全に統一されたのは漢武帝時です。(Wikitionary)

*土地制度改革騒動
 「里」、「歩」に連動する「畝」は、土地制度の根幹となる地籍簿に書き込まれているので、「畝」の示す土地の広さが変わるのは、農民を混乱させ、また、土地ごとに課せられる「税」の計算を狂わせるので、地籍簿を改訂するだけで税額を維持すると言っても、一片の命令で改訂はできないのです。

 実行にあたっては、地域ごとに大量の計算官僚を投入して検地、つまり、実測に基づく面積計算を行い、都度農民の同意を得て改訂するので、大変な労力と期間がかかるのです。税の徴収額さえ変わらなければ農民は同意するでしょうが、それでも「検地」は、多くの場合増税を目指したものなので、下手をすると農民叛乱になりかねない大事業なのです。

 このように、里-歩-畝の換算の改訂で畝が変動すると、土地制度が動揺する大事件となるのですが、特に、その困難さが説明されていないようなのでここに追記しています。

*邪田 台形課題
今有邪田,一頭廣三十步,一頭廣四十二步,正從六十四步。問為田幾何?
答曰:九畝一百四十四步。

 「邪田」は斜めというだけで「邪」に悪い意味はないのです。

 下辺三十歩、上辺四十二歩、高さ六十四歩で、面積は下辺上辺を足し高さを掛け.て二で割ります。

 以下、円形、半月形と工夫の要る計算例題が示されています。また、他の科目では、体積問題や高度な按分問題等も提示されます。要は、小中学から、高校程度までの算数/数学問題が、解答、解法と共に書かれていますが、算用数字でなく、小数も無い漢数字縦書きで題意を酌み取るのに苦労します。
 計算術を含む幾何教養は、史官など教養人に必須の教養だったのです。史官が数に弱いと称する諸兄は、本書例題をすらすらと解けるのでしょうか。

〇公孫鞅の変法
 中国は、周代に求積法に始まる高度な算法が普及し、国内田地面積を地籍簿に集積し、各田地には、面積相応に課税し、粛々と収税したのです。

 後進の秦は、紀元前三百五十年、宰相公孫鞅、後の商鞅が国制を革めました。鞅は中原先進の魏で国政改革を図ったが、門閥に属しないため登用されず、転じた後進の秦で重用され、革新的な法制を確立しました。(Wikitionary)

1.父子兄弟の同居を禁じて、戸数を増やし、戸主権威を弱め、戸籍を整備した。
2.全国を県に分け、県令、県丞を置いて、秦王の指示系統を整備した。
3.周制の土地制度を廃し、「新制度」による地籍簿を整備した。
4.度量衡を統一した。後年の始皇帝の全国度量衡統一の基礎である。

 全て、秦律と呼ばれる大部の成文法体系の確立、徹底によります。

                                以上

新・私の本棚 中島 信文 「東洋史が語る真実...」 再訪    2/3

*新世界幾何学
 この新世界は、幅と奥行きがある方形と見え、この方形世界を形容するのに、当時の学門教養を示す、今日言う「幾何学」分野の書籍では、方形の幅方向を「広」と言い、奥行きを「従」と言います。従は、縦と同義ですが、今日言う「幾何学」では、「従」と言うのです。つまり、幾何学用語を地理記事に適用して、郡を発して倭に至る一筋道を予告したと見るのです。

*「循海岸」
 「循海岸」の「循」は「従」とほぼ同義ですが、「従海岸」とすると先行する「従郡至倭」と「従」が重複するのを回避して「循」としたと見ます。

*循海岸「水行」
 先に述べたように、倭人伝において「海岸」は、冒頭に言う「大海」、つまり、塩水湖の岸の「津」(しん)、渡船場であり、そこから前方の洲島の津に向かい沖に出る渡船行程を「水行」と呼ぶと予告しているのです。

*中原標準の古典観「水行」
 中島氏の所説にあるように、古典観「水行」は河川行であり、中原人の意識に無い海洋行ではありません。

 恐らく漢代に大成され、後世「唐六典」に収録された全国運輸制度では、「水行」は、帆走貨物船を河川に浮かべ、人馬を労せず長距離輸送を行うことをいい、それぞれの水系において、日々の規準行程と規準運賃が定義されています。

*唐六典の意義
 案ずるに「唐六典」の規定は、各地で徴収した穀物や財貨の帝国拠点への収納や専売品の「塩」や「鉄」の運送に供用する統一規準であり、道里行程記事が定める標準里数や日数とは目的が異なるのです。

 中原での郡国との官道を使用した連絡を規定する道里行程規定には、陸上の街道を行く「陸行」しかなく、河川を行く「水行」は本来ないのです。

 つまり、本来、行程記事や所要日程記事に「陸行」は書かないのです。

*倭人伝独自の水行行程の予告
 しかしながら、倭人伝冒頭に明記したように、倭人は大海の向こうの山島に在るので、そこに到るには大海を渡る行程が不可欠です。

 陳寿は、熟慮のあげく、渡船で海上を行く行程を、他に妥当な書法が存在しないから余儀なく、「水行」としたのであり、「水行」の特例使用を予告したからこそ、後に「水行」が登場しても倭人伝に限り無法とされないのです。

*無謀な沿岸航行 余談
 世上「循海岸水行」に関し迷解釈が出回っていますが、海岸沿いの船舶航行などは存在し得ないのです。そもそも、海岸沿いは、岩礁、浅瀬、砂州など、致命的な障害が散在しているので、船舶は、これを避けるため、港を出たら、忽ち沖合の安全水域に出るから、海岸沿いの航行などしないのです。

 島嶼散在の多島海では、岩礁はほぼ必然であり、水先案内人無しに、一切航海できません。世上、多島海域に針路を描いた図を載せた解説書が見られますが、そのような図はいい加減なホラ話と見るのです。

 以上の事情を知る方は誤解していないはずですが、なぜか、ここで、在来の倭人伝解釈は、自船が転覆、.沈没しているのを自覚していないのです。

 海岸沿い航行行路は、直行街道と比して大迂回です。非効率的な漕ぎ船の乗り継ぎは迂遠の極みです。しかして、漕ぎ船の槽運は、徒労に近いのです。

 以上、批判対象は、中島氏が否定している世上の俗説です。念のため。

                                未完

新・私の本棚 中島 信文 「東洋史が語る真実...」 再訪    1/3

古代中国漢字が解く日本古代史の虚偽と真実 (東洋史が語る真実・日本古代史と日本国誕生)    1 本の研究社 2019年12月刊
陳寿『三国志』が語る知られざる驚異の古代日本 (東洋史が語る真実・日本古代史と日本国誕生) 2 本の研究社 2020年1月刊

私の見立て ★★★★☆ 倭人伝論者必読の名著  2020/04/15

〇はじめに
 今回は、中島氏の二著の書評めいたことになりますが、第一著は、中国古典の世界観、用語を打ち立てていて、二百五十七ページ中二百十七ページが基礎資料による基本語義確定に費やされ、当方の及ぶところではありません。

 当方のように、同様の探索を極めている者以外は敬遠する論議かも知れません。今回は、辛抱強く趣旨を追ったが、第六章「「邪馬台国」の所在は日本最大のミステリーなどではない」で座り直したのです。

 大事なことを先に言うと、氏の倭人伝解釈は、資料の原義、本来の解釈を提起する刮目すべき提言が満載です。当方は「循海岸水行」で異議を唱えますが、定説化した俗説の非を鳴らしている点には、諸手を挙げて同感です。

〇異論の提示
 氏の所説について、根拠を十分に示された論説であることを十分認めた上で、両書に述べられた倭人伝解釈に同意できない点を提示します。

*倭人伝の世界観提起
 氏の周到な史料考察に拘わらず、倭人伝の「海」解釈には同意しません。

 「海」が、英語で言うSeaや米語で言うOceanで無く、中国の古典的世界観(古典観)で、世界の果てに存在する幽冥境とする解釈は、中国古典書籍に当てはまっても、倭人伝には当てはまらないのではないかと思量します。

 倭人伝は、朝鮮半島から中原往還に黄海を渡る帯方郡人書記の書いたものであり、帯方郡世界観(帯方観)では、海はSeaに近いと見られるからです。

 また、陳寿は、ここで、具体的な地理観を提示することを使命と感じていましたから、古典観でなく帯方観をもって、以下の行程/道里記事を書いた、と言うか、原記事を元に倭人伝を編纂したと見るのです。
 要するに、魏志全体はいざ知らず、倭人伝に限り、海はSeaなのです。

 また、ここは、地理/行程/道里記事ですから、「海岸」はSeaの「岸」であり渡船が船出するのです。原史料は、「倭に至る」行程で、半島内「陸行」から「水行」に移る劃然たる区分点「其の北岸」を示したと見ます。

 以上、敢えて異を唱えるものです。

*大海談義
 因みに、河西回廊の彼方、黄河上流域から、砂漠地帯を越え大海の境地を描く、正史漢書/後漢書の西域伝及び魏志補追の魏略西戎伝で、大海は、海洋ではなく、カスピ海やアラル海のような堂々たる塩水湖です。

*「従郡至倭」
 「従郡至倭」の解釈で、中島氏は、「自郡至倭」でないところから、「帯方郡の案内により倭に至った」と解しています。

 当方は、「従郡至倭」は、「郡起点、倭終点」の行程の序と解します。但し、視点は郡であり、目前に郡南方の「新世界」が広がる図式を思い描くのです。

*辞書の選定 余談
 資料の理解には、一種の辞書の構築が必要ですが、地理/行程/道里の記事を解釈するには、幾何学分野の辞書を重用すべきです。

                                未完

私の意見 「倭人」景初貢献 雑感の試み 2/2

*明帝野望の背景
 明帝は、先帝夭折で若年即位のため、古参重臣が多く、政権幹部たるべき同年代諸侯は、若く地位も低く、皇帝は老臣の諫言と苦闘していたのです。

 皇帝自身、古制の拘束を克服する格別の功名を必要としていたのです。

 かくして、格別の帝詔と壮大な下賜物は、明帝の野心表明と見えます。

*景初二年の遺命
 俗説のように、少帝曹芳治世の事歴なら、倭人への下賜物は質素となり、帝詔は魏志に収録されるものにはならなかったと思われます。

 倭人伝は、明帝健在時に全てが決裁、施行されたとの観点です。

*新帝の取り組み
 明帝没後の新政権は、明帝遺命により盛大な新宮殿造営事業を取りやめました。天下は未だ三国鼎立の戦時だったからです。一方、国家行事縮小に関わらず、下賜物が維持されたのは先帝遺命の詔書によると思われます。

*不釣り合い史観是正
 因みに、現代の俗な価値観を丸出しにした、倭人献上と明帝下賜が不釣り合いとする粗雑な見解が俗耳に馴染んでいるようですが、当事者、つまり、明帝の心情、価値観を察しない時代錯誤の意見です。明帝は、「倭人」来貢の画期的慶事に対する下賜物選定で、経済的な釣り合いは眼中にないのです。

*下賜物配送
 下賜物の輸送は、帯方郡まで青州、郡からは郡の責任でしょう。詳しく言うと、出先機関所在地らしい狗邪(韓国)への街道は郡責任、以降の倭地は倭人責任ですが、事前指示で街道整備、労務手配が整っていたはずです。

 世間には、狗邪に岸が着いてから乗船手配したとの解がありますが、郡を随分見くびっています。事前指示で乗船は抜かりなく用意されます。郡太守は、腕を振るって、疎漏のない手配を進めたはずです。

 郡太守は、いわば、お山の大将でしたが、あくまで一官吏であり、洛陽で更迭の声が出れば、一片の書面で首が飛ぶのです。

*魏使の権威
 正副使は、郡官人ですが、魏朝使節の権威は、いささかも変わりません。
 と言うことで、郡使と見るのは、大きな見当違いです。

 そもそも、皇帝の代理人に任じられた帯方郡官人は、もともと東夷統轄を任として新任太守と共に着任し、先帝の意向を奉じていたのです。また、随行書記役と通詞は、古参の郡能吏です。いや、無能なら、解任、更迭されたろうから、そう推定するのです。

*文林郎と鴻廬寺掌客
 後年、隋代に、当時の帝都長安から東夷の俀国に隋使が派遣されたのですが、隋使が、文林郎や鴻廬掌客の様な下っ端役人でも皇帝の名代であり、俀国国王の上座に座るのが使節の格というものです。いや、そもそも、隋使が、蛮人応対役の下っ端役人「掌客」を自称するはずがないのです。

〇終わりに
 やっと、魏使到着となり幕引きです。
 それにしても、現代人の国内視点を古代文献に無造作に塗りたくる諸説取り混ぜての倭人伝諸釈の、資料を起点とした是正は、かくの如く、拭えどきりのない、悪夢のような妖怪退治です。素人さんが、渦巻く雲の混沌と見ても、当然ですが、雲の下は人界であり、魔境や仙境ではないのです。

                                以上

私の意見 「倭人」景初貢献 雑感の試み 1/2

〇はじめに
 以下に述べるのは、東夷「倭人」が、三国時代の曹魏景初年間に洛陽に遣使したという故事に関する雑感ですが、エッセイ(小論文)などと分不相応な権威を押しつける意図ではなく、時代考証を試みたに過ぎません。従って、正誤判定は無用で、筋の通し方の一例とみていただければ幸いです。

*契機発端
 魏明帝の景初年間早々の帯方郡回復、つまり、公孫氏支配下の帯方郡に乗り込んで、太守以下の郡幹部を更迭し、魏朝直轄に回復した新任郡太守は、皇帝に面目を施す画期的な手柄として、周初期事績として史書に名のみ記載され、以後、所在不明の「倭人」の帰順を演出したのが、事の契機と見ます。
 ひとつには「倭人」は自称でなく帯方郡の発明した登録名との説です。

*明帝談義
 因みに、曹魏明帝は崩御後の諡ですが、事績特定に諡を使うのは定例です。また、元号に皇帝の諡を冠するのは在世中に限り、皇帝没後、新帝のもと元号が継続した時は、元号無冠が「春秋」以来の習わし「春秋の筆法」です。

 「明帝」の諡に悪い趣旨はないようなので、先賢に従い明帝と呼びます。

*参詣指示
 新太守は東夷「倭人」に可及的速やかな出頭を指示しました。市糴商用や自発参上であれば、道中関所が荷物を啄んで目減りし、辿り着いたときは見る影なしですが、倭使は郡過所、通行証で郡御用と名乗り被害を軽減したのです。

*鴻廬申告
 郡が、受け入れ部門である鴻廬に上申したのは、この東夷は、周朝初期に服属し以後消息不明の「倭人」であり、帝国の四夷評価基準で最遠一万二千里の遠隔であって、かつ絶海の境地と申告したものです。

 鴻廬にかく申告すれば、「倭人」は至高の東夷とされ、一万二千里の遠隔地からの来貢には、官制に従い、最高の黄金印綬、金印東夷の栄が与えられ、魏朝四夷伝に大書され、郡太守は格別の功臣と評価されるはずです。

*後漢金印談義 余談
 後漢書には、東夷倭奴国が創業者光武帝に貢献し、印綬を下賜されたとの記事がありますが、黄金印と書かれているわけではないのです。

 漢代、来貢した四夷の王と使節人員に気前よく印綬を下賜しましたが、大半は青銅「金印」であり、特段の高温を要する高貴金印は、身元不確かな小国には下賜されず、特例は特筆されたはずなので、金印の先例は不確かです。

*倭人来貢
 世上、倭人来貢趣旨が軽視されていますが、自主的に郡に来たのではなく、郡が呼集したと見るべきです。また、一万二千里の遠隔として紹介されているから、持参した貢物が質朴なのも、むしろ当然なのです。

*皇帝激賞
 皇帝は、前世の秦、両漢時代どころか、太古の有周、周朝に並ぶ威勢と見て大いに悦んだのであり、国庫浚えの大盤振る舞いは当然だったのです。

*皇帝の野望
 明帝曹叡は、後漢朝を瓦解から復興した武帝曹操、後漢朝を退け魏朝を創始した文帝曹丕が、二世紀に亘る偉容に辟易したのに対して、「烈祖」の廟号を用意し、新創業を企てて父から創業の栄誉を奪い取る気でいたのです。

                                未完

2020年4月 8日 (水)

今日の躓き石 悲しいGREAT RACEの #リベンジ乱発 NHKBS1

                              2020/04/08

 今回の題材は、NHKBS1の番組紹介で本番組ではないのですが、Five Minutesだけではないでしょう。

 極限に近い状態で選手達の走り続ける姿は尊いと思いますが、それを取材したNHKの物見高い語りとキャプションで「#リベンジ」と叫び続けられると、情けない思いが募ります。これは、それぞれが自分と戦うレースであり、敵にぶちのめされた仕返しでもないのに、こんなに血塗られたきたない言葉を、公共放送の番組で喚き続けて、子供達の心に、末永く記憶されるように刷り込むのは、見ていて本当にいたたまれない思いです。
 報道の立場で何かぶちたかったら、他に言葉を探してほしいものです。

 対戦スポーツで、やられた仕返しを「リベンジ」と叫ぶのは忌まわしいので、それはそれで是非退治したいのですが、最近よくあるように、復讐ではない、いさぎよいチャレンジを、口汚くリベンジというのは、完全に間違った言い方なので、大人の言葉とは思えず、情けないのです。
 まして、プロ中のプロであり、全国から受信料を集めている公共放送の語り部が、みんなの言葉をあしざまに汚しているのは、言葉を失いそうです。

 今回の番組を、#Revengeと題したら、海外には、時代劇の仇討ち、「侍リベンジ」と伝わるのです。

 どうか、お願いですから、こんなにひどく、悪い言葉を公共放送でばらまかないでください。

以上

2020年4月 5日 (日)

今日の躓き石 将棋界に呪いのリベンジ 正統派の血塗られた宣言  

                                           2020/04/05

 本日の題材は、将棋界で、折角の大舞台での師弟対決というめでたかるべきニュースのタイトルと小見出しに「リベンジ」と二度塗りしている記事である。前回、現役トップ棋士を「レジェンド」と貶めることに苦言を呈したが、今回は、一段と悪質な「リベンジ」に、どうとばかり躓いたので、遙かに悪質な失言について、何か言わざるを得ないと考えたものである。
 今回も、題材は、全国紙でも公共放送でもないので、名指しはしないが、わかる人にはわかるはずである。

 正直に言うと、当該記事の「リベンジ」は、今となっては少数派で、絶滅危惧種のおじん用法であり、まさしく、血塗られた復讐の叫びであって、既に犠牲者は血祭りに上げられたのである。
 おじん用法というのは、いまどきの「リベンジ」は、「も一丁」のチャレンジを言うのであり、犠牲者はでないし、血のにおいは遠いのである。それとも、棋界では、「恩返し」を「リベンジ」と呼ぶことにしたのだろうか。素人にはわからない。

 そのような、血のにおいのない誤用を、ここまでにしばしばやり玉に挙げたのは、言い間違い用法を知らない世代は、「リベンジ」を、当然仇討ちだと誤解するし、英訳すると、宗教上の禁句になるから重大なのである。軽い気で言っていても、罪が遙かに重いのである。

 今回の記事は、念入りに、新進棋士が意趣返ししたと書いているが、一流棋士はテロリストの真似はしないから、負かされたことを根に持って仕返しをしないと思うのである。棋界報道に限らず、報道の姿勢として悪意の血塗りはやめてほしいものである。いや、記事の筆者が、三流棋士だと言っているわけでは、多分ない。ことは、棋力の問題でなく、こころざしの問題と思うのである。

 多分、記事の筆者を、誰もしっかり指導してくれないのだろうが、書いたものがそのまま公開される立派な立場にあることを自覚して、自己研鑽して、慎重に言葉を選んで欲しいものである。別に「頭の丸い」坊主になれというつもりもない。そうそう、まだ、校正AIは、出回っていないのである。

 と言うことで、精々冗談半分の戯れ言を交えたが、よろしく自戒いただきたいという気持ちで書いたのである。

以上

2020年4月 4日 (土)

新・私の本棚 季刊邪馬台国137号...糸高歴史部座談会 1/1

【総力特集】邪馬台国論争最前線 四十周年記念エッセイ 糸高歴史部座談会                               2019年12月刊

 私の見立て ★★☆☆☆ 地図も道標の無い荒れ地に迷う図                 2020/04/04

〇始めに
 この「エッセイ」は、見た通り、現役高校生の歴史認識を語るものなので、ことさら書評に載せるべきではないかも知れませんが、一応、同誌の編集部が、他の四十周年記念「エッセイ」と並載したので一人前に批評しているものです。

▄総評
 本稿を含め、世間一般に少なからず誤解がありますが、「エッセイ」は、本来、形式等を厳しく拘束しないものの、あくまで「小論文」であり、論文の諸要件が求められるのです。

 掲載された座談録は、見るからに「雑感」であり「エッセイ」には不適格ですが、今回の誌面は、編集部の俗な見解が反映していて大変残念です。

*開会宣言の不具合
 それはさておき、そのような苦言が飛び出すのは、劈頭の発言のせいです。ただし、これは「史実」でなく「創作」と思われますが、もちろん、そのような演出自体は、むしろ当然のたしなみであり、出席者全員の合意の元に「座談会」議事録の切り出しに、特に選ばれたようですが、それはそれとしても余りに無造作であり、連歌の発句としても大変不出来で、読み進む意欲をそがれます。

*根拠無き風説の弊害
 この発言は、『「魏志倭人伝」の文章が間違っている』と言う、言うならば、まことに無責任極まりない風説を前提としているようですが、根拠はなく検証もないのでは、野次馬の無責任な放言の伝言と同様な風評拡大手口です。

 おそらく、「倭人伝に書かれている方位や里程が、大きく間違っている」という趣旨でしょうが、論考とするには、事実かどうかの検証が最優先です。特に、何に対して間違っているのか、どうして間違っているとわかるのか、と言う掘り下げを経て、初めて、一つの意見として生き残れるものなのです。それがないと、単に悪質な風説であり、「作業仮説」、つまり、検証に値する、意味のある意見とはならないのです。

*根拠の無い論議
 以下の意見は、この発言を冒頭に担いで、以下、無批判で進めていますから、それだけで全ての記事が無効と見なされます。つまり、発句の不作が、記事全体を損ない、糸高歴史部の評価を地に落としているのです。

*編集部の児戯
 それにしても、同誌編集部は、寄稿者の玉稿を押し頂くだけで、基本的な査読をしていないのは、まるで、子供銀行であり、寄稿者に気の毒です。

*風説紹介の意義
 本号が掲げる『「邪馬台国論争」の最前線』が風説に基づく印象論とは、高校生の現在の認識として、痛切なものがあると思います。

 何よりも惜しいのは、相談する相手を間違えたということです。

 俗説の無批判追従は、いまどきの歴史論の流行りですが、ここで批判したのは、議論手続きの不備であって議論内容でなく、まして、論者の人格をそしるものではないと理解いただきたいのです。

 何の議論にしろ、事情に通じていない人間が、何百人集まって議論しても、一向に議論にならないのです。

〇結論
 このような風説が無造作に取り上げられているのは、多くの方がそう思い込んで口にしているという嘆かわしい風潮の表れであり、そのような風説を言い出して、さらには増殖させる方が少なからずいるということでもあります。もちろん当の高校生に責任は無いのです。
 視点を変えると、本稿が、諸賢の「エッセイ」と席を同じくして掲載されているということは、「邪馬台国論争」に論争がないとの証拠にもなるのです。

                                以上

今日の躓き石 早すぎる祭り上げ 『竜王位通算7期の「レジェンド」』

                          2020/04/03

 今回の題材は、掲載媒体が、全国紙でも公共放送でもなく、無料で拝読しているので、ことさら名指しはしないが、有力な将棋ジャーナリストは本当に数少ないので名指しに近いかも知れない。気に障ったら、大手メディアと同格の扱いということで、ご勘弁いただきたい。

 要は、将棋界の大スター、永世七冠の持ち主を、いかに目下無冠とは言え、引退同然の過去の人として「レジェンド」呼ばわりは、大変失礼だと感じるし、目立たないかも知れないが、「おとろえ見せぬ勝ちっぷり」とは、老大家をいたわっている口ぶりであり、それぞれ程度は違うものの感心しないので、その旨指摘する次第である。例えば、引退後の加藤一二三氏を「レジェンド」と呼ぶなら、不適当と思う人はかなり少ないはずである。

 いや、世間には、適切な言葉を知らないし、探そうとしない人の方が多いから、身辺の友達に呼びかけて多数決を採れば、分が悪いかも知れないが、広い世間では、かなりの数の人が、この言葉が、現役最高の棋士に対して失礼極まりないと思っているはずだから、言葉をちゃんと選んで欲しいと思うのである。

 将棋ジャーナリストも、玉歩ならぬ玉石混淆で、中には、異分野外来の物書きがいて、一流棋士に「オールラウンダー」などと侮辱的な形容を、無頓着に持ち込む例があるから、これはこれで業界相場かも知れないが、題材の記事の筆者は、決勝トーナメントに勝ち進んで、福井に向けて着々と歩を進めている名棋士に対して、相応しい敬意を抱いているはずであり、もっともっと適切な言葉遣いができる方だと思うから、品の悪い口癖は、間に合ううちに直して、別に損は無いと思うのである。

以上

 

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