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2020年4月20日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞の心ない報道、「コロナで謝罪」の断たれた思い

                                        2020/04/20

 今日の題材は、毎日新聞大阪独自記事らしい。夕刊一面の大見出しで、『「コロナで謝罪」は必要か』とあるが、これは「必要ない」と言うための、低俗な常套手段であることは見え透いている。一見して、「有名人」をさらし者にしているとしか見えない。写真まで載せられた方もいる。
 (2020/04/20 23時30分現在、当記事の毎日新聞サイトでの公開がないので、大阪版の読めない方に記事リンクを紹介できないことを「お詫びする」。いや、別にこちらの不手際でもなんでもないのだが、「謝罪」でない「お詫び」を付記する)

 「断たれた思い」というのは、引き合いに出されている人々が「申し訳ない」と真情を吐露したのを「謝罪」と決め付けて嘲笑する人がいて、それが、毎日新聞の一大弾劾として指弾されていることである。

 報道機関として不届きなのは、発言の締めくくりを引用しているとは言え、これらの発言を「謝罪」と決め付けて論評していることである。素人目には、これらの人々は、世間から受けていた期待を裏切ったことについて頭を下げているのであって、別に犯罪を自白して寛大な裁きを願っているものではないのである。誰が「罪」を背負わせているのだろうか。誰が、勝手に罪を許しているのだろうか。大変疑問に思うのだが、これは、投書欄ではなく、大新聞の堂々の報道記事なのであるから、罪深いことだと思うのである。

 思うに、担当記者は「すみません」なる慣用句を多発する日本の固有の文化に反感を抱いて、これを「I am sorry」と解している単純な輩の一人なのだろうが、それは、西洋キリスト教文化の影響であって、国民性に対する罪深い誤解なのである。

 一帯に、西洋文化は、太古以来、「契約」の概念を底流に持っていて、日本人とは「約束」や「ウソ」に対する感覚がずれているのだが、中でも、契約後との免責事項に対する観念が大きく異なるのである。
 つまり、なにか約束して守れない時は、当然、約束/契約違反として処罰されるのだが、「免責」事項、つまり、契約違反を問われない正当な理由として、An act of Godが原因である違約行為は、責任を問わないというものがある。キリスト教が大勢となっていない日本の言葉に訳すと、「不可抗力」としか言い様がない。これは、reasons beyond controlとでも言うもので、戦争、災害、内乱、暴動、行政命令などが挙げられる。いずれにしろ、責任逃れして良いということになっている。

 今回の例で言えば、強制力がある政府命令で実行不可能になった契約は、違反を問われないのだから、当事者は、平然としていれば良いという意識のようである。というものの、要請はどうなのか、政府得意の自己責任論で、ことは自己払いにしろという事なのかと不安であるが、それは、脇にどけて続ける。

 まことに、グローバルなご意見で、結構毛だらけであるが、それは、日本文化の底流を見損なっている軽薄な意見に過ぎない。歴史的な事情を知らない異国人が、薄っぺらな御託制を垂れ流すものだから、結構出回っているにしても、反論に曝されていない見識は、独断、誤解の類いであろう。

 疫病や天災は、天子の不徳の致すところ、と言われた時代はともかくとして、今日でも、結果として「お客様」に不自由をかけてしまったのは、当人の不行き届きと「感じる」のが、国民性であり、そう感じる国民が多い以上、深意は知らず、「申し訳ない」と言わざるを得ないという意味なのである。
 ここに堂々たる意見を述べた方は、人気商売、客商売ではないから、独断放題、言いたい放題ですんでいるのだろうが、ここにやり玉に挙げられた人々は、逆ギレして客に喧嘩を売ったりするのでなく、また、言うまでもなく、世間のお慈悲を願っている罪人ではないのである。

 このような意見が堂々と夕刊一面を飾るのも、また、毎日新聞にとっては不可抗力の結果かも知れないが、ここに挙げられた「申し訳なかった」人々に、公の場で、一見赦しを見せているようで、実は手厳しく鞭打った記事については、新聞社として「申し訳ない」と感じるべきではないか。言うまでもなく、「コロナで謝罪」しろと言っているのではない。一読者として、意見しているだけである。

 最後になったが、どうも、毎日新聞夕刊一面は、時として署名記者の自作自演、無観客の一人舞台になっているようである。
 私見も、誤解も、思いついたら言いたい放題では、情けないと思うのである。

 余談だが、陸上競技由来の「ハードル」が、常々悪玉扱いされているのに不満なのだが、ここでは、一段と拡大解釈されて、善玉とも悪玉とも、すぐにはわからない体たらくであり、本来専門家の具体的な提言のはずの発言が、「感染拡大を防ぐためのハードルをあげるような空気感は意識して気をつけていかないと」などと、一般人の世界観が混乱して、一体何をどうしろというのか全く意味不明のご意見になっているのは、担当記者の言葉の乱れが痛々しく、この場で指摘せざるを得ないのは、専門家の方の意図に背くようでまことに申し訳ないと思う次第である。この言葉遣いを瞬間に理解するプロの技には感嘆を惜しまないが、読者にもわかる言葉で紹介して欲しかったのである。
 とは言え、率直に、明確に苦言申し上げる。

以上

 

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