新・私の本棚 中島 信文 「東洋史が語る真実...」 再訪 1/3
古代中国漢字が解く日本古代史の虚偽と真実 (東洋史が語る真実・日本古代史と日本国誕生) 1 本の研究社 2019年12月刊
陳寿『三国志』が語る知られざる驚異の古代日本 (東洋史が語る真実・日本古代史と日本国誕生) 2 本の研究社 2020年1月刊
私の見立て ★★★★☆ 倭人伝論者必読の名著 2020/04/15
〇はじめに
今回は、中島氏の二著の書評めいたことになりますが、第一著は、中国古典の世界観、用語を打ち立てていて、二百五十七ページ中二百十七ページが基礎資料による基本語義確定に費やされ、当方の及ぶところではありません。
当方のように、同様の探索を極めている者以外は敬遠する論議かも知れません。今回は、辛抱強く趣旨を追ったが、第六章「「邪馬台国」の所在は日本最大のミステリーなどではない」で座り直したのです。
大事なことを先に言うと、氏の倭人伝解釈は、資料の原義、本来の解釈を提起する刮目すべき提言が満載です。当方は「循海岸水行」で異議を唱えますが、定説化した俗説の非を鳴らしている点には、諸手を挙げて同感です。
〇異論の提示
氏の所説について、根拠を十分に示された論説であることを十分認めた上で、両書に述べられた倭人伝解釈に同意できない点を提示します。
*倭人伝の世界観提起
氏の周到な史料考察に拘わらず、倭人伝の「海」解釈には同意しません。
「海」が、英語で言うSeaや米語で言うOceanで無く、中国の古典的世界観(古典観)で、世界の果てに存在する幽冥境とする解釈は、中国古典書籍に当てはまっても、倭人伝には当てはまらないのではないかと思量します。
倭人伝は、朝鮮半島から中原往還に黄海を渡る帯方郡人書記の書いたものであり、帯方郡世界観(帯方観)では、海はSeaに近いと見られるからです。
また、陳寿は、ここで、具体的な地理観を提示することを使命と感じていましたから、古典観でなく帯方観をもって、以下の行程/道里記事を書いた、と言うか、原記事を元に倭人伝を編纂したと見るのです。
要するに、魏志全体はいざ知らず、倭人伝に限り、海はSeaなのです。
また、ここは、地理/行程/道里記事ですから、「海岸」はSeaの「岸」であり渡船が船出するのです。原史料は、「倭に至る」行程で、半島内「陸行」から「水行」に移る劃然たる区分点「其の北岸」を示したと見ます。
以上、敢えて異を唱えるものです。
*大海談義
因みに、河西回廊の彼方、黄河上流域から、砂漠地帯を越え大海の境地を描く、正史漢書/後漢書の西域伝及び魏志補追の魏略西戎伝で、大海は、海洋ではなく、カスピ海やアラル海のような堂々たる塩水湖です。
*「従郡至倭」
「従郡至倭」の解釈で、中島氏は、「自郡至倭」でないところから、「帯方郡の案内により倭に至った」と解しています。
当方は、「従郡至倭」は、「郡起点、倭終点」の行程の序と解します。但し、視点は郡であり、目前に郡南方の「新世界」が広がる図式を思い描くのです。
*辞書の選定 余談
資料の理解には、一種の辞書の構築が必要ですが、地理/行程/道里の記事を解釈するには、幾何学分野の辞書を重用すべきです。
未完
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コメント
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N.N.様
当方の気ままな意見を辛抱強く読み取っていただいて感謝します。
説明の都合で、末尾から取りかかりますが、一連の「躓き石」記事の背景と趣旨は、以下のものです。
古来、軽率なジャーナリストが、こじつけ言葉起用に際して、原語の本義を見落として、例外で場違いな用法を、安易に取り込んでいることが事の起こりなのです。
「ナイター」でわかるように、元々ごく気軽な言葉でも、一度刻み込まれたら、公共放送が今さら抑制しても、遅々として退潮しないのです。まして、「リベンジ」や「サプライズ」のように、英語として言い放つと文化激突に繋がる重大なものもあります。
私見ですが、カタカナ言葉は、まずは、『原語を紹介した上で、「外してしゃれている」とわかるようにすべき』と公言しているのです。
いや、その言葉を使わなくても、誰もが理解できる言葉で書けるのではないかというものでもあります。
特に、全国紙や公共放送は、みんなの言葉のお手本なので、『「外した」用法を持てはやして、正しい言葉遣いを破壊すべきでない』というのが底流です。「言葉の護り人」たれとしています。
さて、「長過ぎ」談義はさておき、今回の事例で言えば、史官が、古典的な用語の例外的使用に耽るのは、もってのほかとは、貴兄のご指摘の通りですが、
1.原情報が原則を外れていて、規律を守ると筋の通った記事が書けない
ので、「述べて作らず」を守るために、万やむを得ず、
2.例外的な用語を、例外とわかるように、直前に明示/示唆した上で採用する
ように、許容範囲内の策と思われる『「例外的」用語の、倭人伝という特別な記事内に限った局地的な起用』に止めた「道里」、「水行」記事と見たのです。
これは、「普通」ではないので、古典教養を備えない後世読者が、記事の上っ面を走り読みしたのでは、正しい解釈に至らないという一例と見ます。こうした言い方がご不快であれば、ご容赦ください。『当ブログの整合性を保ちつつ例外用語を包含した工夫』であって、不当では無いと考えています。
一方、貴兄は、そのような必要性を有していないので、不規則な用語は容認できないと指摘されるのは、至当だと思います。
冗舌にわたりますが、陳寿の国志編纂時の参照資料は、基幹とした古典は当然として、帯方郡の地方誌、東呉呉書稿をはじめに広範多用であり、裵松之は、陳寿が割愛したと見たものから補充し短評しています。
案ずるに、陳寿は、採用資料に不都合があった時、「原資料が修正可能であっても」大局的に編者の責任、裁量の元、改竄と見なされる介入を避け、例外的用語が必須とみた時は、順当な手順を踏んで包含したと見ます。修正不可能な場合の対応は、言うに及ばないでしょう。
釈迦に説法でしょうが。
以上
投稿: ToYourDay | 2020年4月18日 (土) 14時28分
時間的に一段落したので、この論で、一言だけ、
記述の
「海」が、英語で言うSeaや米語で言うOceanで無く、中国の古典的世界観(古典観)で、世界の果てに存在する幽冥境とする解釈は
①**、中国古典書籍に当てはまっても、倭人伝には当てはまらないのではないかと思量します。
倭人伝は、朝鮮半島から中原往還に黄海を渡る帯方郡人書記の書いたものであり、
②**帯方郡世界観(帯方観)では、海はSeaに近いと見られるからです。
上記の二点で、忘れてならないのは、基本的なことですが、
**陳寿は、『三国志』の中で明確に史記や漢書を継ぐと述べていますが、この点は、漢文の語句や用法についても、基本的に中国古典書籍を継ぐと述べたのと同じと思います。
当時というのは、まだ、紙も余り普及されておらず、書籍は経書関係が多く、そして、史書類というのは史記と漢書、それと東漢漢記、魏略など限られた書籍で、これらを基に陳寿は学んだ人であり、水行という文句や海という文字に自ら新たな概念を付与して述べるということは、よほどのことが無ければ、陳寿はやらないと思います。あくまでも、多くの人が史記と漢書と同じように『三国志』が理解されるように記述しており、陳寿の恣意的な言語は無いとみるべきです。
常に、貴方様が新聞等の記事にて、語句の原義を外れている問題点を指摘し批判しておりますが、この点を、どうも、「魏志倭人伝」の解釈だけは例外にしているように思えてなりませんが。
投稿: N.N | 2020年4月18日 (土) 12時14分