新・私の本棚 番外随想 淀川水系の終着地 木津川恵比寿神社と椿井大塚山古墳 1/2
2017/02/11 2018/12/10 確認 2020/05/20
*はじめに
木津川恵比寿神社にたどり着いたのは、元々、別の記事で批判した小林行雄氏の論説で古代の銅鏡配布の一大拠点とされている椿井大塚山古墳の被葬者、「木津政権」首長の故地をPC上で散策したものです。現地に行ったことはありませんが、随想を綴れるだけ詳しい状況を探ったのです。
*木津政権の萌芽
グーグルマップで椿井大塚山古墳の位置を探すと、話に聞いたとおり、JR奈良線の軌道が横切っていて、広く見渡すと、ここは大阪湾から遡上した淀川水系の木津川の東岸であって、木津川は、南した後、大きく東に転じL字型の流路が開けています。
木津川の西岸にはJR片町線が走っていて、南のJR木津でJR奈良線と連絡します。いわば、河川水運、陸上交通の両面で、要地を占めていることが見て取れます。いずれの時代か、いずこからか河内湾に来航した船団が淀川に入り、それぞれ好適と思われる地点に定住者を下ろしては遡上し、ここに一団が定住したようです。
*大いなる繁栄
確かなのは、木津川流域のこの地点に定住した集団が、木津川の豊富な灌漑水量と水産資源を生かした農漁業で十分な食料を得るとともに、木津川-淀川-瀬戸内海という無類の幹線水路の水運を仕切って、交易収益により堂々と自立していたでしょうということです。
後年、木津政権が大量の銅鏡を得たのは、交易で入手(購入)したか、あるいは自身で銅鋳物を行ったか、と思われます。後者であれば、銅素材を交易で購入するについて、自前で鋳造した銅製品を提供(販売)していたとも思われます。
何しろ、大量の銅素材や銅鏡を入手するには、大量の対価物が必要で、さほど広くない領地で穀物生産が格別潤沢とも思えず、それ以外に「売り物」が見当たらないので、銅製品の販売と思うのです。
現代風の経済概念でいうと、「高度技術」による「付加価値」で大きく稼いでいたのではないでしょうか。もちろん、これほどの技術があれば、ほかにも売り物はあったはずです。
とにかく、「夜郎自大」ではありませんが、壮大な宮殿こそ建てなかったもののこの地域の周辺では、抜群の威勢を誇っていたのではないでしょうか。
*ヤマトとの関わり
ここは、山城国です。南のさほど高くない分水嶺を越えると曾布地域ですが、手近なので、先進木津政権の恩恵を受けたかもしれないのです。
さらに南に下ると、平地と言っても距離のある葛城、三輪であリ、徒歩行で遠距離であるので、銅鏡「配布」時代に、利害衝突、さらには、武力衝突はなかったと思われます。もちろん、何の証拠もないのです。
未完
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