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2020年5月20日 (水)

新・私の本棚 番外随想 淀川水系の終着地 木津川恵比寿神社と椿井大塚山古墳 2/2

                    2017/02/11 2018/12/10 補充 2020/05/20
*鄙の氏神
 さて、移住集団が最初に行うことは、神社の建立です。氏族の氏神に父母、祖父母をまつり、氏族集団の統御の象徴とするのです。それらしい神社を求めて探すと、木津川市加茂町の恵比寿神社が目につきました。

 木津川市サイトに公開の社伝によると、鎌倉時代末期、元弘年間創建としています。公式記録は尊重しますが、それ以前に神社がなかったのではないように思います。社殿の説明板によると、古文書らしい「蛭子明神記録」には、鎌倉時代寛元二年(1244)の棟札があったとされ参考になります。

 つまり、公式記録の元弘年間創建は、それ以前の神社を改装したということでしょう。創建したのなら、どこそこの恵比寿神社から祭神を招いたとあるはずですが、特にないから、あるいは、近畿最古と思うのです。特に証拠があるわけではないのですが。

*ひるこ幻想
 「えびす」の発音ながら、ことさら「蛭子明神記録」というのは、伊弉冉(いざなみ)伊弉諾(いざなぎ)の両神から生まれた「ひるこ」かもしれないのです。
 創世神話で、ひるこは早くに生まれたものの両親の意に沿わず、幼くして捨てられたとありますが、実際は、両親の意に反して家を出たために家系から外されたという見方も、独善を承知で、しようと思えばできるのです。

 緩やかに解釈すると、ここに定着した集団は、いずれかの時点で母国を離れた反逆児かもしれないのです。そうした推定には証拠はないのです。

*神社の継承
 古代以来、各地に無数といえるほどの神社が建立され、ほとんど廃社になった例を聞かないので、当神社は、古代木津政権の氏神の後身ではないかと思うのです。おそらく、この地が、氏神にふさわしい地形、方位であり、他に代えがたかったと感じるのです。

 先ほど、鄙と書きましたが、当時の人々にしてみれば、住めば都、ここが世界の中心だったはずです。

 近年まで、木津川対岸えびす岩に船で渡る神事が長く維持されていたということですから、時代が下っても、えびすさんは、地元住民の尊崇の的なのでしょう。

 木津川市サイトの解説では、社殿は、鎌倉時代創建ながら高床式建物といいます。おそらく、古代創建であり、その後、木津川の氾濫などで損壊して、再建されたのでしょう。

 西宮や堺に漂着した恵美須神社ご神体は、案外、木津川氾濫が由来かも知れません。となると、当地は、湾岸各地の恵美須神社の総本山ということになりますが、どうでしょうか。

 以上、あくまで推定です。

*おことわり
 以上のつじつま合わせで、一応もっともらしいお話になったように思うのですが、実は、以上は、すべて、ある一日(「建国記念日」)の午後に、PCでネットを彷徨いながら、古代に生まれ繁栄し、やがて、衰退して歴史に名を残さずに埋もれた一地方政権についての幻想を綴りあげたのです。

 決して、木津川市に実在する古墳や神社の古代歴史を勝手に書き換えて迷惑をかけようとしたものではないのです。あくまで、あくまで、「フィクション」です。

                               以上

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