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2020年5月17日 (日)

私の意見 ブログ記事 倭人伝「南至邪馬壹国女王之所都」の異論異説 ⑴~⑶ 1/1

古賀達也の洛中洛外日記 第2150話 2020/05/11

私の見立て ★★★★★ 論理的考察のお手本       2020/05/16

〇はじめに
 提示されているのは、倭人伝道里記事の終着点の解釈です。と言っても、当ブログ記事筆者の提案ではなく、古田武彦氏と古賀達也氏の意見です。ここであげるのは、別の視点です。

*異論異説紹介
原文 南至邪馬壹国女王之所都水行十日陸行一月

 通常、南至邪馬壹国女王之所都、水行十日陸行一月 と句点を打っていますが、..女王之所、都水行十日陸行一月と句点する提案です。

 従来、「水行..陸行」は、古田氏提唱の「全行程通算日数」との読みと畿内説の命綱の「最終通過点からの所要日数」との読みが角逐していましたが、「都水行..陸行」ならば、全行程通算とできるという見方です。

 衆知の如く、倭人伝原文は句読点なしにべったり書き連ねていて、これでは、日本人だけでなく中国人も解釈に苦しむので、古来、多数の碩学者が、長年苦吟の上で句読点を打っていて、中国史学会で伝統的に採用されている解釈ですから、絶対的な支持を得ていますが、素人の乏しい経験ながら、句読点の打ち間違いで、深意を取り違えている例は、いくつか見つかっています。

 句点に関する異議は、新説提起に慎重な古田氏が、決定的論証不足と提言を控え、その衣鉢を継ぐ古賀氏も、辛抱強く補強策を求めていますが、当方は、微力ながら背中を押したいのです。

〇「女王之所都」の不合理
 冷静に見ると、「女王の都とする所」とする解釈には多々難があります。
 「王都」は、二字熟語として、中国史書で言う「王の都」と決まっていて、夷蕃王の治所に使うべき言葉ではありません。そして「王之所都」は、類似した意味のようですが、公式史書の定型文を外れた、変則的な言い回しです。

*班固漢書の教え
 先行する漢書西域伝でも、「王都」は、唯一、西域の超大国、安息だけであり、多数の小国は、「治」、「居」、「在」です。安息は、東西数千里の超大国パルティアであり、文字記録、金銀貨幣、全国街道の整った、漢と対等の文明国ですから、両漢は、例外として「王都」と呼んでいたのです。因みに、各国の来貢使節は、ほぼ例外なく、正史、副使、書記官、護衛官と上下揃って印綬を受領して帰国しています。

 「王都」は、漢の国内でも、郡国制で王をいただく国にだけ適用され、特別な例外を除けば、国王は皇帝同族の劉氏です。

 と言う事で、新来で、精々外藩の王に過ぎない女王の居処に、「王都」なる尊称は与えられません。まして、この位置は、景初遣使事績に触れる以前ですから、「女王」は由緒も何もない蕃王であり「所都」とも言えません。

*范曄後漢書の教え
 范曄後漢書は、「其大倭王居邪馬臺國」として「王都」と言わないし、個別の小国である「倭」と全体を束ねた「大倭」を書き分けて絶妙です。

 また、大部の後漢書西域伝も、夷蛮の国に関して、適確です。

〇論証の重み
 以上は、証拠の山に支えられたものでなく、論理で構築した仮説です。

〇猫に小判
 所詮、本説を受け入れられない論法の方には、猫に小判と思うだけです。

                                以上

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