陳壽(中国史)小論-11 (2013) 鬼神道妖惑
2013/09/25 確認 2020/06/05
◯見えない卑弥呼の姿
「有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆於是共立爲王」
後漢書倭傳で、「卑弥呼は、女王共立時、年長で嫁に行ってない女で、死んだときは老婆になっていた」との風評が形成されたのです。
魏志倭人傳の書いた、一女子を女王共立し、その後に成人(年長大)したのとは様変わりです。
笵曄は、倭人伝の「事鬼道能惑衆」は、迫力不足と感じたのか、後漢書では「事鬼神道能以妖惑衆」と神と妖の2文字を足していますが、陳壽は、「神がかり」を強調せず淡々と書いてたのです。
*塗りたくられた卑弥呼の変貌
倭人傳では祖霊や聖霊と交感して庶民を感動させた年若い一女子が、後漢書では「鬼神」に仕えて衆を妖しげに欺く老魔女に変貌したために、堅実質素な女王国見聞録は、色気のある大人の話に変身しています。とは、なんたることかと戸惑います。笵曄の筆力には敬服しますが、信じがたいものがあります。
倭人傳では祖霊や聖霊と交感して庶民を感動させた年若い一女子が、後漢書では「鬼神」に仕えて衆を妖しげに欺く老魔女に変貌したために、堅実質素な女王国見聞録は、色気のある大人の話に変身しています。とは、なんたることかと戸惑います。笵曄の筆力には敬服しますが、信じがたいものがあります。
いくら、古代の未開社会でも人の世であり、鬼神道とやらで詐欺師まがいのことをしたと否定的な描写で知られている女性を、こぞって女王に共立するものかどうか。そして、民間人時代に神通力で知られたにしろ、女王として引きこもって人と会わないでいては、めざましい鬼才も忘れ去られてしまうではないでしょうか。
ずっと後世のことなので、参考にもならないと言われそうですが、北宋末期、江南で起きた方鑞の乱があります。マニ教の影響と思われる宗教集団が、「喫菜事魔」と呼ばれています。字面だけ見ると、卑彌呼も、同類とされてしまいそうです。
中国では、長年にわたって、「鬼」や「魔」に事えるのは、かなりの淫祠邪教と思われていたのではないでしょうか。
振り出しに戻って、女王は、衆を惹きつけた人柄を見込んで共立されたはずなのです。
范曄倭傳では、女王国の政治を男弟が助けているという独特かつ重要な字句が抜けていますが、この逸脱も深刻です。
魚嫌いの人に供するために大骨、小骨を取ってしまったら、魚の妙味は大きく失われるのです。
以上
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