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2020年6月 5日 (金)

陳壽(中国史)小論-23 (2013) 類書考

                              2013/10/07  追記 2020/06/05
◯類書考
 本小論では、ここまで、故意に「壹」「臺」論に触れていませんが、最後に私見を書き留めておきます。随分長くなった点をお詫びします。

 魏志倭人傳の結末付近に、
  「政等以檄告喻壹與、壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還、因詣臺」
 と、「壹」「臺」の両字が相次いで現れています。木簡,竹簡の時代には、一枚あたりの字数に限りがあるので、同じ「傳」でも、別の簡に書かれていて、前例を見過ごす可能性がありますが、ここまで至近距離で念入りに前触れされると、「壹」「臺」の取り違えは、まず起こらない、と言う仕掛けです。

 ここで、「臺」は、魏朝皇帝の意に用いられています。すると、直前の東夷の王名に「臺」を用いることは不敬に渉る可能性があり、不敬罪となれば親族まで連座して族滅されるのです。

 晋朝の史官は、そのような危険を避けるはずです。蛮夷の国名に「貴字」を使用するかどうかなどの優雅な話ではないのです、

 これほど至近距離ではないし、不敬罪にならない事項ですが、魏志倭人傳内には、ことさらに「壹拝」として「一」の正字を登場させているので、その日の字数を稼ごうと先を急いでいる写本工も、ここで目が覚める仕掛けです。

 もちろん、南朝劉宋の笵曄を始め、魏晋朝以降の後世史官や著者には、そのような危険はないのですが、重罪では、本人の処刑に家族、親類など三親等以内の親族が連座して処刑されるという族滅の制度自体は、すっと後世まで残っていますから、別の形でそのような使用回避の形跡が見られます。

 「史官の首が飛ぶ」と言うとき、現代人の理解と当時の時代人の理解とでは、それこそ、隔世の差があるのです。

 前置きはさておき、史料批判の問題に入ります。

 一般論ですが、正史は、代々厳格な照合を経て写本継承されます。国家事業としての写本では、専門家である写本工に的確な報酬と成績評価(賞罰)が課せられます。

 つまり、写本後に、原本との照合確認の上、正確であれば報酬を受け、誤写があれば罰を受けるのが、国家事業としての基本です。

 膨大な文字数を収めた文書の写本で、誤写の発生を極限まで減らすためには、写本の際の照合が不可欠であり、後年ですが平城京に於ける写経工房の管理で、このような管理が維持されていた事が、木簡史料から確認されています。
 もっとも、こうした品質管理以外に写本の信頼性を高める方法は無いのは自明なのですが。

 なお、重大な誤写が見過ごされて写本が世に出て、それが不敬罪を構成する文書となれば、上記のように親族まで連座して族滅されるのは、写本を主監する史官の定めです。編纂者として名をとどめるのすら、命がけなのです。

 このように、誤写の発生しないことを目指して写本されたと推定される、信憑性の高い正史刊本を克服して覆すには、少なくとも同等の信憑性を持つ史料を持ち出さなければなりません。

 見る限り、告発の証拠として提示される史料は、編纂資料の出所、信頼性が不明であるとか、資料引用の際の確認が不正確であるとか、果ては、史料自体の継承の過程が検証されていないとか、大きな弱点を抱えたものです。

*翰苑談義
 Wikipediaに曰く、「翰苑(かんえん)とは、唐の時代に張楚金によって書かれた類書。後に雍公叡が注を付けた。現在は日本の太宰府天満宮に第30巻及び叙文のみが残る。」

 後漢書引用の記事を見る限り、引用が不正確であり、信用するに足りないものと思われます。

 引用元の魏略は、残存していないので、魏略の引用の正確さについては推測の域を出ません。

 翰苑は、各資料について、孫引き、ひ孫引きになっています。

 つまり、元々大きな弱点を抱えている上に、史書としての校正、校訂がされていない、そういう本なのです。

 後世校勘で不正確な引用を校訂して補填するのであれば、それは、唐代資料でなく後代史料となります。

 また、「翰苑」は、ただ一冊のしかも断簡が残っているだけの孤立史料であり、他の「翰苑」と比較して写本の信憑性を検証できない点も考慮する必要があります。
 「翰苑」断簡は国宝であり、大変貴重な歴史文物です。

 ただし、現存する記事は翰苑の原記事かどうか検証不可能であり、従って、史料として信をおけるかどうか検証されているないと考えるのですが、素人の勘違いなのでしょうか。

*太平御覧談義
 太平御覧の記事は、原典直接引用でなく、孫引き、ひ孫引きであるとされています。

 魏略原本が残存しないので、魏略の引用の正確さについては推測の域を出ません。

 魏志原資料が、太平御覧制作時期まで残存していなかったのは自明です。

 太平御覧は、史書ではなく、史書として検討すると、引用が不正確な上に、史書としての校正、校訂がされていない、そういう本なのです。従って、他資料の引用についても、史書としての信を置くことが出来ないと考えます。

 ここで、ご参考までに、太平御覧倭國記事のPDF版を掲載します。句読点、改行は、漢字合成の技と合わせて、小論筆者の勝手な「著作」です。

「Gyoran_Wa.pdf」をダウンロード

*通志談義
 通志は、通史である史記を除くと各正史が王朝ごとの編纂であることを批判して、三皇から隋唐各代までの法令制度を記録する政書として編纂されたものですが、本小論で取り上げるのは、添付された「列伝」の倭の部分です。

 元々、各正史の倭・日本に関する部分を、歴史の流れに沿って手短に取り纏めて、膨大な正史の粗筋の手っ取り早い理解を助けるのが狙いであり、史書としての厳密さを目指したものでは無いのです。編纂の際に各正史の整合について、ある程度の時間は費やしたでしょうが、正史の校勘を目指したものでは無いのです。

 ここで、前回掲載の通志倭國記事のPDF版を掲載します。句読点、改行は、漢字合成の技と合わせて、小論筆者の勝手な「著作」です。

「Tsushi_Wa.pdf」をダウンロード

*寛容な史料批判
 関連史料の史料批判について、以下のように考えます。

 翰苑は、断簡自体信頼に耐えるものであるかどうか不明です。

 太平御覧の関連記事は、史書としての厳密な検証を経たものでは無く、写本継承の正確さに信頼が置けないので、御覧所引魏志に正史並みの信頼性を求めるのはお門違いです。

 通志の関連記事は、史書としての厳密な検証を経たものでは無く、写本継承の正確さに信頼が置けないので、通志所引記事に正史並みの信頼性を求めるのはお門違いです。

 「写本継承の正確さに信頼が置けない」のは、三國志の写本継承の正確さに遥かに及ばない程度という意味です。

 このような不確かな資料を根拠とする議論は、学術的でない憶測の議論です。

 こうした評価は自明と思っていましたが、「この世間」には、不確かな資料で確かな資料を否定する愚行が多いのに困惑します。

以上

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