私の本棚 27 完全図解 邪馬台国と卑弥呼 2015 その7 女王像
別冊宝島2244 宝島社 2014年11月発行
私の見立て★☆☆☆☆ 乱雑、粗雑な寄せ集め資料 2015/06/18 追記 2020/06/05
*女王像の適否
ここでは、原文の女王像について、本書に提示された解釈を批判する。
本書32ページに、「倭の女王」(壱与)が「魏を滅ぼした晋に使いを送った」と晋書に書かれていると言う。しかし、晋書四夷伝には、主語無しに「泰始初遣使重譯入貢」と書いてあるだけである。遣使したのが、「倭の女王」かどうか、女王は、壱与かどうか、ここで言う「倭」が、魏志倭人伝でいう女王国かどうか、全て、検証する必要がある。
正確には、書いていないことは判然としないと言うべきである。
事のついでに言うと、また、魏を「滅ぼした」晋とは書かれていない。史料引用を紹介すべき記事に、個人の感想に基づく余計な言葉が足されているのは、まことに不用意である。
*Wikipedia批判 余談の余談
因みに、関連資料を求めて辿り着いたWikipediaで「晋書起居註」と書かれているのを見て、びっくりしたことがあるが、「晋書」に「起居註」がないのは、常識と言わないにしても、晋書を検索すればすぐわかるのに、当人のうろ覚えをWikipedia記事として書き立てる悪習が蔓延しているのである。このあたりの自明事項を見逃すのは、門外漢の素人書き込みという事だったのだろう。見当違いの議論がはびこっているのも、道理である。
閑話休題。本題に戻る。
*年長大~誤解の宝庫
口語訳では、「すでに相当な年齢に達しているのに夫や婿はなく」とあり、ここでも、史料原文を離れた筆致である。第一歩が、勝手な創作に堕して、このように傾いていては、以下の進行は推して知るべしである。
本書46ページでは、「成人となっていたが、夫はなかった」と異例なほど穏健な書き方であるが、原文はもっともっと淡泊に書かれている。
私見では、原文は(数えで15歳程度の若年の)「女子が共立された」、(魏使到着時点)「すでに成人となっていた」、「夫はなかった」と、淡々と書いているだけである。
「已年長大」とは、記事の書かれた年、ないしは、数年前までのいずれかの年の元日に、数えで18歳になって成人となった、と言う意味と思われる。少なくとも、現代中国語では「年長大」は大人になるという意味であって、いい年をした大人という意味ではない。
ただし、後継の壹与は、13歳で女王となったと書かれているので、卑弥呼の年齢を伏せる書き方は、記事の調子が合わないのである。陳寿の元に、女王に共立されたときの紀年や年齢が書かれた資料がなかったためかどうかは、不明である。
古田武彦氏は、倭人伝の裴注(裴松之注釈)を元に、倭人は、春秋の二度加齢する習慣であったと説いているが、そうであれば、記録には卑弥呼は7歳で女王となったと書かれていたはずである。陳寿は、その年齢を見たが、同じ記録に女子と書いてあって、幼女と書いてなかったので、辻褄の合わない年齢表記を避け「女子」表記を残したとも推定される。(女子謎かけ論は別記事に譲る)
一夫多妻の風俗があった倭国で、成人女性で未婚というのは特記すべき事項と思われたのだろうが、記事は事実の指摘だけである。
*迷走する女王像創作競争
共立した国に対して公平であるべき女王が、しかるべき地位の男性を配偶者とすれば、それ以降女王の判断は夫に影響される可能性があり、従って、夫の属する「国」に有利となり、不公平となることから、女王は、未婚のままでいるべきと判断されたということかも知れない。
本書の他のページでは、この淡泊な記事に色とりどりの誇張が施されていて、原文を離れて、各自の世界観(各人が勝手に構築した架空世界という意味である)が高々と掲げられている観がある。各自の世界観は、各人固有の知的財産であり、これらを統一、収束させると言うことは、無理というものではないだろうか。
本書57ページでは、「かなりの高齢で、おまけに独身だった」、と書かれている。独身は、おまけだったのである。数文字の「彩り」ある言葉の追加で、大きく印象が変わるのである。学術的な議論では、史料記事に勝手な彩色を与えるのは、自制、自戒すべきだろう。
*新羅本紀批判
さて、こうした「卑弥呼老女」史観が、朝鮮「正史」三国史記の西暦173年に相当する新羅本紀に、「二十年 夏五月 倭女王卑彌乎遣使來聘」と書かれている記事を参考にしているとすれば、過去の行きがりや世間体を顧みず、考え直して頂きたい。
別記事で批判を予定しているように、諸般の資料、特に、魏志東夷伝全体と比較参照すれば、三国史記のこの時期の記事は、後代記事を流用した時代錯誤の造作であることが明白なので、「倭女王卑彌乎遣使」記事は、全く信用できないと結論するものである。
史料重視と言っても、「正史」と呼ばれている史料だから信用すると言うことでは無いのである。正史とは、正確な歴史という意味ではない。「正確な」歴史など、幻想そのものである。
また、朝鮮などで蛮夷の国には、「正史」はありえない。勝手に言っているだけで論外である。
色々、史料批判を妨げる誤解が出回っているようである。
未完
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