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2020年6月18日 (木)

私の本棚 32 上田 正昭 日本古代国家成立史の研究 再掲

 青木書店刊 1959-1971
 
  私の見立て★★★★★ 必読  2015/10/10 再掲 2020/06/18

◯名著再見
 本書(当ブログ記事筆者の近年の購入書籍)は、かねてより斯界の泰斗である著者の比較的初期(略半世紀以前)の論考ですが、ここに引用するのは、「魏志」(刊本)と「魏略」(逸文)の間の記事の異同を精査した上での、まことに味わい深い言葉です。

 ところで、逸文にみえる箇所についてさえ、これだけの異同があるのだからというので、人によっては、そのことによってただちに、「魏志倭人傅」の歴史性を疑う人があるかも知れない。けれどもこれはやはり尚早である。

 なぜなら「古事記」を作為の書としてすべてを否定的にあつかうことが誤りであるのと同様に、あるいはそれ以上に、こうした立場は、「魏志」の限界を不当に拡大した見地に他ならぬからである。

 むしろこの「魏略」と「魏志」」のずれが、「魏志」編者の立揚と解釈を素直に表明する揚合が多いからである。「魏志」を絶対視してふりまわしたり、逆に過少にみつもったりするまえに、われわれとしては「魏志」そのものについて、編者の考えにそくして本文をありのままに読んでゆくことが肝要であると考える一人である。

 そのことが、むしろかってな修正を字句に加えてゆく分析よりも合理的であり、邪馬台国問題解決への近道ではなかろうか。

*実らなかった提言
 折角の貴重な提言でしたが、今日まで半世紀以上の間、「魏志倭人傅」(倭人伝)に関して、「編者の考えにそくして倭人伝本文をありのままに読んでゆく」という提言に沿って、学術的に堅実な分析が行われた例は希少です。

 日本古代史の論議は、堅実で合理的な正論が疎んじられ、性急な断定がはびこる世界となっているのです。

*近著での提言
 著者の近著では、「文献の細部を詮索することに精力を浪費するのではなく、歴史の流れを読み取る努力が大事だ」との趣旨の提言がされているように見えます。斯界の泰斗にして、そのような諦観に近い意見を吐露されると言うことは、斯界の頑迷さの罪深さを知らされる思いです。
 これに対して、素人の異論を付け足すのは、素人の特権として、不遜とのそしりを覚悟の上で言わせていただくものです。

 「文献の細部」が少ない字数で書かれているにしろ、時として「文献の細部」の読み過ごしによって、大局の議論が迷走することは少なくないのです。「大局は細部に宿る」と手前味噌の箴言を気取りたいところです。

*閉ざされた道
 衆知のように、上記提言に従った論考の好例として、古田武彦氏の諸著作が刊行されていますが、そうした学究の姿勢に対して、関係学界からの反応は細かい揚げ足取りにとどまっていて、誰でも歩ける「邪馬台国問題解決への近道」は閉ざされているようです。

                                以上

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