私の本棚 大庭脩 親魏倭王 3/6
学生社 2001年9月 増訂初版 2018/05/26 補充再公開 2020/06/24
*後漢「最後の皇帝」
10年近い混乱を経て、後漢最後の復興期となる。と言っても、復興したのは、皇帝 が、僅かな側近と共に 悪党どもが徘徊し荒廃した西都長安から脱出し、東都洛陽に逃げ延びたものの支持者はなく、孤立、逼塞していた窮状を好機と捉えた英傑曹操が自陣営に迎え、皇帝の権威で乱世の統一を図ったためである。
後漢の最後の光芒とも見える、特別な期間である建安年間があったが、中原世界天下統一の完成と共に、後漢皇帝(献帝)は、その役を終え、魏に政権を譲ったのである。
*帝国の終焉
いろいろ、前後四百年にわたる栄光の漢帝国の終幕への批判はあるだろうが、最後の皇帝献帝自身、幼くして暴威の董卓に押し立てられて即位して以来、波瀾万丈の治世で皇帝として権力を行使したことはなく、曹操に救済されるまでは、浮浪者として逼塞していたのだから、曹操の後ろ盾のおかげとは言え、建安年間二十数年間にわたって、最後の漢帝として帝都の宮殿に君臨できたのは、望外の幸運であったはずである。
*公孫氏台頭
それはさておき、遼東に勢力を確立した公孫氏は、後漢中央政府の無力化につけ込んで、そこから名目的な任命を受けたとは言え、いち早く、自立を図ったと言える。いわば、小皇帝であったと思える。
*長口説
いや、結構この部分が長いし、語られる議題はそれだけではないが、根拠となる史料記事満載だし、素人に見解を押しつけるものではないので、大変参考になるのである。
*古代史泰斗の所感
著者のやや自由な引用であるが、内藤湖南氏が、支那史学誌に書かれた言葉として、「三国志には、陳寿が執筆、編纂に際して参照した原資料が、削除、加筆されずに、原型のまま残されている箇所が多い」との趣旨で評されているとのことである。
よく論説の道具として振り回される「多い」と言う言葉であるが、文脈で、5を言うのか100万を言うのか、読者に判断を強要するのである。それに加えて、人それぞれの大小、多少感覚も作用するから、感心しない言い草と言える。いや、この部分は、内藤湖南氏の用語なので、大庭氏の感覚とも違うと思うのである。
結局、ここで湖南氏の言う「多い」が、どの程度のことを言うのかは不明であるが、おそらく大半の意ではなく、散見される程度と解釈しても、目に付きやすいとの意味であると思われる。
著者は、皇帝が下した制詔の引用に、殊更「制詔」と書き出しが温存されているのは、その一例だとしている。つまり、制詔全体が、ほぼ原史料の引用だと見ているのである。
*暴言の伝承、蔓延
冒頭の考古学者の暴論は、皇帝が鏡百枚と詔を下していても、実数は不足しているなどと、何の根拠もなしに主張していることになるのである。(そうであれば、大魏の天子たる皇帝は、恥知らずな嘘つきということになる)
自身の安直な仮説を補強するために、万事に勝る重大な史料を曲読(曰く、正解)するのは、史書は、全てウソを書いているとする一部古代史家の論法に通じるものがある。
未完
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