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2020年6月24日 (水)

私の本棚 大庭脩 親魏倭王 5/6

 学生社 2001年9月 増訂初版           2018/05/26 補充再公開 2020/06/24

*景初三年私見
 さて、続いて、著者が力説された「景初三年」が、実は、倭人伝に景初二年と書かれている大問題に挑んでいる。

 ここでは、著者自身の原則が最大の論敵のようである。

*順当に解釈した両郡回復
 著者は、文献を丁寧に読んで、韓伝の「景初中、明帝密かに....二郡を定めしむ」の「密かに」を適確に解釈し、東夷伝の「淵を殺す。又、....楽浪、帯方の郡を収め、....」の「又」を、安易に「その後」と解さないので、景初二年の事と解することができると適正に紹介する。

*遅れた/順当な下賜物発想
 著者は、景初二年説を採用しない理由として、皇帝の制詔は二年十二月に出たのに、皇帝のお土産が正始元年に届けられたのは一年後で一年遅れていることを挙げている。

 景初二年派は、それは、大量のお土産の品揃えが、前皇帝明帝の服喪によって、大きく手間取ったと見ている
 また、大量の土産を、送り届ける途中行程の輸送手段の段取りに時間がかかったと見ることもできる。何しろ、少なくとも、伊都国に到るまでの輸送手段、輸送人員の指示に対して各地から応答があって、手段が確立できたと報告が入るのを待ったようである。
 いや、別に文献記録はないが、帝国の運用として、当然の手順ではないかと思う。

 大庭氏の難詰は、別に決定的なものではないように思われる。

*改暦談義~余談
 続いて、景初三年元日に明帝が逝去したことに始まる景初から正始への移行について解説頂いているが、若干、論理が乱れている。正始改元は、景初三年正月を景初二年「後十二月」にした後で行われていて、景初二年が一ヵ月増えていると思う。

 二年が平年なら13ヵ月、閏年であれば14ヵ月の年となる。三年が一ヵ月増えたのではないと思う。いや、すでに三年の暦が各地に配布されていて、年中の改暦、改元は、当の時代人にとって、理解しがたかったように思う。
 政府記録などに旧暦年月と新暦年月が混在し、調整するのは、大変だったと思うのである。

 又、魏暦を引き写していたと思われる東呉、蜀漢の二カ国は、魏暦に追随するのに苦労したと思うのである。後世人の理解が困難(実質的に不可能)であることは言うまでもない。

 いずれにしろ、日本書記神功紀が引用したと解釈されている「明帝景初三年」は、正史記事にあり得ない無法な書き方であり、つまり、正しい引用がされていないのである。皇帝没後の期間は、皇帝諡号を冠としない無冠の期間なのである。景初三年の場合、一年を通じて、無冠なのである。いわゆる春秋の筆法でも、イロハのイであり、周知の原則であるから、知らない奴は、もぐりなのである。
                      未完

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