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2020年6月24日 (水)

私の本棚 大庭脩 親魏倭王 6/6

 学生社 2001年9月 増訂初版           2018/05/26 補充再公開 2020/06/24

*会稽東治論
 続いて、会稽東冶論が登場する。

 この時点で、氏は、古田氏の論拠を見ていないと明言しているから、氏の推定私見も良いところなのだが、以下論じられている「会稽郡東冶県」論は、氏の認識不足のように思う。

 中国古典における地理概念としての「会稽」は、会稽山附近の狭い地域を指すものである。
 因みに、「水経注」などの郡名由来記事によれば、会稽郡は、禹の会稽の地、会稽山が「東治之山」と呼ばれていたのに因んで、秦始皇帝の宰相李斯によって命名されたと言う事である。秦漢代から魏、東晋までは、周知だった事情である。本来、倭人伝の会稽東治論は、それで決着するものである。

 行政区画の「会稽郡」は、漢時代、古典的地理概念の会稽の遙か南方の辺境地域まで含めたことがあるが、あくまで一次的な行政区画であり、史書の用語として定着したものではない。会稽郡南部は、会稽郡治との連絡が困難であったことから、事実上自立とされ、三国東呉時代に会稽郡から不可逆的に切り離され、会稽郡の県と呼べなくなっている。史官が史書にそのような不安定な概念を書き込むはずがない。

 古田武彦氏は、陳寿が、三国鼎立期の東呉の国内事情、特に行政区画の変動を逐一時代考証して、倭人伝をまとめたと見ているが、倭人伝読者が倭人伝を解釈する際に、三国志呉書を参照しないといけないような、不安定な地理概念を参照する記事を書いたとは思えないのである。まして、呉書は、魏書とは別の国志、別の巻物であり、倭人伝読者に呉書記事を確認させるのは、不遜ではないかと思われるのである。

 当然、会稽南部、東冶県の民は、遥か北の果ての禹の会稽を見たことも聞いたこともなく、夏后少康のことも知らないはずである。会稽郡治の住民は、東冶県の風俗など知らなかったと見えるのである。

 因みに、東冶、後の福州、厦門と会稽の間は、海岸に迫り出した巨大で険阻な福建山地で厳重に隔離されていて、官道どころか通商路も、陸上街道を利用できなかったのである。分郡するしかなかったのである。

 著者は、中国古代人と一口に言うが、古代人は、長安、ないしは、洛陽という中原世界の住人であり、その地理知識は、東冶、今日の厦門まで及んでいなかったのである。
 晋朝の南遷によって、東晋帝都建康からさほど遠隔でないことになったが、それは、あくまで、三国志魏書編纂時の百五十年後の異世界であり、洛陽人の世界観ではないのである。

*笵曄の地理観
 と言う事で、後漢書を書いた笵曄は、古典的な中原世界の人でなく、長江下流の建康に都した南朝劉宋の人である。

 行政官としての笵曄は、南方の東冶まで知っていたかも知れないが、劉宋当時、会稽郡に東冶地区は含まれず、後漢朝時代の史料解釈や魏志の解釈で、地理概念の時代錯誤が発生していた可能性はあると思うのである。

 この辺りは、氏の専門分野を外れているので、一種受け売りになって、正確さを欠く議論となっているのはもったいないのである。

*東アジア再訪
 巻末には、三~五世紀の「東アジア」として、時代ごとの地域勢力地図が書かれているが、地図に描かれているのは中国と東夷諸国である。 中国というが、地図は、今日中央アジアとしている地域を含んでいるから、「東アジア」とは、ずれているように思う。ベトナムは東南アジアと思う。良い言い方は無いものか。

*結語
 と言うことで、部分的に突っ込みは入ったが、全体として、とても好ましい知的体験を得られるのである。

*余談
 それにしても、古代史学の世界で、この時期までしきりに行われていた「良い意味での論争」が消え失せたのは、何とも残念である。特に、「邪馬臺国」論争が、「臺」派の「論争忌避」によって途絶しているのは、何とももったいないように思うのである。曹操に敗北宣言して、転進すべきでは無いかと思われる。
 「遠絶」とは、地理上の遠隔を言うのでなく、交流の断絶を言うのである。

 後生の東夷人が、自身を好んで遠絶の境地に置いて、倭人伝論の炎上を高みの見物している図は、感心しないのである。いや、勿論、これは、本書のことでもなければ、大庭氏のことでもない。「定説」と証して、俗耳に訴えている牢固たる論陣勢力を言うのである。

                                           完

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