陳壽(中国史)小論- 1 (2020) 序文
2013/09/15 更新 2020/06/05 2022/06/08
〇はじめに
陳壽(ちんじゅ CE233-297 陳寿)は、中国の歴史家と言うより、当時の晋(西晋)王朝の史官であり、紀元二-三世紀の中国三国分裂時代(CE184-280)の歴史書「三国志」の編纂者/筆者として名を残しています。
私の見るところ、なかなか誠実な歴史家であり、自らも生きた三国時代の歴史、いわば同時代史を、蜀人としての個人的な意見や晋吏としての公的な立場をあまり表に出さずに、客観的な筆致で書き残しています。
注目すべきは、晋朝の許可を得て、三国角逐の旧敵国である蜀宰相諸葛亮(CE181-234)の著作全集を編纂発行しています。
特に、日本では、現在の日本に相当する地域、「日本列島」の一角にあった女王国が魏朝に貢献したことに始まる史上始めての「日中交流」を、漢字二千文字程度の紹介記事として、魏朝の公式歴史書である正史「三国志」に書き留めてくれたことが知られています。
*山成す風評被害
しかし、陳壽とその著作である「三国志」に対して、多大な疑問と不満が提示されているのは、まことに残念なことです。それぞれの言い分を調べてみると、大半は、根拠の無いこじつけであり、
私は、今や、10年以上以前に現役を引退した一介の民間人であり、もともと工学系の教育を受け、工学系の仕事に長年専念した者ですが、退職後暇になって、手薄な文系教養を掻き立てつつ関係資料を眺めた所、魏志の編者である陳寿に関して、素人目にも残念な意見が多いので、ここに、ささやかながら異論を呈したいと思います。
ここまで、慎重に論争の種を避けた言い方をしてきましたが、私の意見の根幹は、陳壽の書き残した記事を、まずは、そのまま読み解く立場であり、これは、理工系分野では正統的な態度であるので、この立場から、世間に流布している陳壽記事に対する疑問と不満について、出来るだけ筋道を立てて擁護したいと考えます。
もちろん、ここで開示するのは、一介の素人の意見(素人考えの私見)であり、文章の体裁上、出来るだけ留保を避けるものの、本来、こうした意見を他人に押しつけるつもりはないので、冷静に受け止めていただければ幸いです。
なお、話題の性質上、一般読者に説明不足で理解困難でしょうし、論文気取りで根拠を示そうとすると膨大になり一個人の暇つぶしでできることではないの、不親切であることはご容赦ください。
最低限の参考資料を後ほど開示したいと思いますが、逐一私見の典拠を書き出せないことを、あらかじめお断りします。
また、先輩諸氏の発表内容を幅広く確認することは大変困難なので、見落としや漏れは、ご容赦ください。
以上
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