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2020年6月18日 (木)

私の本棚 6 上垣外 憲一 倭人と韓国人 改  2/3

 講談社学術文庫2003年 2014/05/21 分割再掲 2020/06/17

*後漢書批判
 さて、倭伝の史料批判としては、倭国が大量の奴隷を、波濤と山嶮を越え、長期の旅程を経て、遠く洛陽まで送り届けたという記事解釈です。

*無謀な連行
 倭「奴隷」は、二度と帰れない異境に送り込まれると理解して、屠所に向かう羊のごとく従順に従うとは思えないので、逃亡、反抗を防ぐために兵士を同行させねばなりません。いくら反抗を恐れても、奴隷百六十人は八千キログラムに達する重量貨物で嵩高いのもあって、檻に入れていくことも出来ず、自分の足で歩かすしかないでしょう。

 手かせ、足かせで厳重に拘束してはまともに歩けないので、軽微な拘束しかできないと思われます。そうした状況で百六十人を長期に拘束するのは、難事業です。(普通の言葉で言うと、絶対不可能です)

 玉石、真珠類、貴重な鉱物、金属類や衣類を持ち運ぶのとは、比較ならない、とんでもない超難事業です。

*無理な使節団派遣
 著者も、百五十人の倭国使節団を想定しています。献上品である「奴隷」と合わせると三百十人に達する大集団です。

 海峡越えは三十人/一艘として延べ十艘が必要です。船の不足や天候待ちのことも考えると、海峡越えに一ヵ月近くかかりそうです。

*無謀な経費管理
 全行程のとば口である海峡越えも、経済活動の未発達なこの時代、どのようにして経費を捻出したのか心配です。総勢三百十人の行程中、食料現地調達として、貨幣経済なら漢銭持参で済むのでしょうか。

 とにかく、奴隷を生かして届けるためには、百六十人分の食料を日々支給しなければならないので、奴隷の食料に貴重な対価を払い続けるのです。
 このように、奴隷献上には、絶望的なほど膨大な「経費」が必要です。経費に、漢銭のような貨幣を充当するか、何か「財物」を充当するか、とにかく、「倭国国家予算の数年分」に達するかという巨額に及ぶと想定されます。

*国庫を虚にする大事業
 この時代の倭国は、発展途上の農業立国と思われますが、以上のような思考を適用すると、奴隷献上の遣使を自腹で行えば、数年の収穫備蓄を越えた大量の農水鉱産物と貴重な人材を投入することになり、これまた貴重なはずの百六十人の「奴隷」労力の喪失と併せて、国力が大きく消耗し、深刻な飢餓と疲弊で壊滅するのではないかと思われます。

 それでも、「どんな困難なことも成せばなる」と思うのでしょうか。この病には、付ける薬がないのでしょうか。

*中国の奴隷伝統
 因みに、太古以来、諸国抗争時の中原では、敗戦兵士が奴隷とされても、世間相場の対価を払えば自由の身になれたのです。時に、奴隷暮らしの中で蓄えを作って、あるいは、顔や見知りの基金を募って、自分を買い戻す例もあったのです。各国は、地続きですし、千里の彼方から連れてこられたのでもないので、根性で歩いて帰れば良いのですから、絶海の島国に帰るのとは大違いです。因みに、後世、奴隷の身分から自由を回復して「倭」に帰国した例があるのです。

 戦時奴隷以外に、奴隷階層があり、市場で契約書付きで売買されましたが、大抵、何かの理由で資産と自由を喪失しても、家事手伝いなどに用務が限定されていて、別に非人道的な扱い、虐待を受けていたとは限らないのです。一種の雇用契約とみても良いような成り行きだったようです。

                                未完

 

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