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2020年6月 5日 (金)

陳壽(中国史)小論- 7 (2013) 男弟佐治國

                              2013/09/21  追記 2020/06/05
〇男弟記事
 「有男弟佐治國自爲王以來少有見者」

 ここまでに書いた私の説では、魏使到着時、女王はせいぜい20歳前後と若いのです。

 政治実務を担当するとされている男弟は、「弟」ですから成人になるかならずかの若さと示唆されていることになりまます。

 しかも、女王は、引きこもっていて男弟政権の実力者であると思われる大臣たちと面会することはほとんどない。
 ここまでの記事は、読み方によれば、「鬼道に事えて衆を惑わし」ていたを見込んで女王に立てたのですが、人前に出なくては惑わしようがない、それなら、別に誰でもいいじゃないか、と言いたくなります。

 魏使の目から見て、そんなやり方で、二人の若い指導者が、総人口二十万人以上(?)と推定される大「女王国」を、難なく統治しているとは、何とも浮き世離れした国だ、と言うおもしろさを秘めているように思います。

 文書統治と官僚制の進んだ中国本土やその地方官庁である帯方郡治で、統治者は、日々膨大な文書を読んで申請内容を決裁ないしは否決し、統治者の威令を轟かすべく、指示通達を発行し、また、多くの官吏を駆使して行政するので、権力者ほど文書処理、事務処理に忙殺されます。
 同時代、蜀漢の宰相であった諸葛亮は、北伐して大軍を率いていながら、日々、成都から届く厖大な裁可上申に全て目を通し、裁決を下していたため、過労で健康を損じたものと思われます。

 また、実世界の統治者のつとめとして、多くの手紙を読んだり書いたりするし、書類申請以外にも、申請事項の面談裁決、時には、紛争当事者の意見を聞いて、調停斡旋することも伴います。

 というものの、女王国が文書統治しているはずはないので、女王は書類の山に埋もれることはなく、また、臨見せずに引きこもっているので、面談に追われることももなく、俗世から孤立している女王が、無事に女王国を統治しているというのは、国のあり方として誠にのどかであり、陳壽にとって、ある種の夢物語であったのでしょうか。

 陳壽は、こうした記事を不審の目では書いていないので、倭人の振る舞いを書くことによって、政治のあり方を正そうとする「春秋の筆法」なのかなとも思いますが、結局は、よくわからないのです。

以上

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