陳壽(中国史)小論-14 (2013) 獻生口 1
2013/09/28 追記 2020/06/05
◯献生口
「安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見。」
「安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見。」
後漢書倭傳当記事は倭人傳になく、笵曄の文筆家としての凱歌と思えます。
陳壽が、倭人来朝貢献は史上に燦然たる魏朝の功績と言うが、已に後漢朝に来朝しているので讃えるべきは後漢朝の威光となります。
陳壽が、倭人来朝貢献は史上に燦然たる魏朝の功績と言うが、已に後漢朝に来朝しているので讃えるべきは後漢朝の威光となります。
後世史家も、この一行故に後漢書倭傳記事を重視したのでしょう。
しかし、後漢朝貢献の詳しい事情は何も書かれていない。詳しい経緯は知ることかできませんが、陳壽は、多分この来朝記事は見たが、特筆事項がないので触れなかったのでしょう。
*生口談義
それにしても、倭傳、倭人傳でよくわからないのが、生口です。
後漢書記事を皮切りとして、倭国からの「獻生口」記事があり、獻上物と併記されているので、価値ある何かに違いないし、単位が人であるから人間のように見えます。
ここで、百度百科を参照すると、「生口」は、漢書、後漢書、三国志などで登場する古典的な二字熟語であり、用例の大半は、国内の奴隷や戦闘捕虜の記事であり、奴隶 俘虏 牲畜、つまり、奴隷、戦闘捕虜、犠牲用家畜の意味となっているので、奴隷で決まりのように見えます。
しかし、よく吟味すると、倭傳、倭人傳の生口が、奴隷の類いとは思えないのです。
生口として奴隷を献上するのであれば、倭国から中国の首都洛陽へ奴隷を連行することになります。故郷に還れない奴隷たちは、途中で脱走の恐れがあり、厳重な監視が必要と思われます。長期の移動に対して、食料も人数X日数分必要であり、諸般の始末も必要です。
数人程度ならともかく、百人を大きく超える「奴隷」の献上は、とても、成り立つものではないと思われます。
*役に立たない労働力
中国側から見てもと、言葉の通じない、風習の異なる異境の奴隷を、繰り返し、多数献上されても迷惑と思われます。特に言葉が通じない、つまり、使い走りとして役に立たない野蛮人は、邪魔なだけです。力仕事にしか使えないのですが、手順を説明しても、一切通じない、わからないのでは、全くものの役に立ちません。せめて、言葉が通じていたら、何か仕込めるのでしょうが、まさか、各人に通字を二人ずつ付けるわけにも行かないのです。。
*光武帝の奴隷解放
後漢光武帝の事績として奴婢解放があります。王莽の簒奪に始まる大乱によって発生した大量の奴婢を解放して、庶民(自作農民)に戻すという命令です。
後漢朝創業者の栄えある事績は、安帝も承知していたはずであり、外夷から160人の奴婢を受け入れることはなかったのではないかと思われます。倭国も、これが初めての後漢への献使ではないので、役に立たない奴婢を大勢献上することはなかったと思われます。要は、後漢書倭伝記事は、范曄独自の安直な造作に過ぎないのです。
この件続く
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