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2020年6月 3日 (水)

新・私の本棚 丸地 三郎 魏志倭人伝の検証に基づく邪馬台国の位置比定  1/2

 魏の使節は帆船で博多湾に 2012年6月         2020/06/03

私の見立て ★★★☆☆ 玉座の細石(さざれいし)

〇はじめに
 当記事は、氏の個人サイト「日本人と日本語 邪馬台国」掲示のPDF文書であり、筆者の自信作のようなので、丁寧に読ましていただきました。正直、つまらない誤字、誤記があって評判を落とすのです。氏の台所事情もあるでしょうが、十年近く放置されているのは残念と思われます。

〇記事の旗印 匹夫の暴論にあらず
 氏の倭人伝論議の基本方針は、三国志魏志第三十巻に収録された「倭人伝」を基点として、考察を進めている点です。

*古代「浪漫」派の台頭と蚕食
 倭人伝論でよく見かけますが、三世紀中国史料に対する門外漢が、「日本」古代史論を手に倭人伝論に侵入し、「史料批判」と称して古代「浪漫」を保全するための雑多な改竄の押しつけが、むしろ多数を占めて見えます。

 国内史料は、原本どころか権威ある公的古写本も見当たらず、「貴重な」現存写本を踏み台の「推論」が出回る「史料観」が倭人伝に波及するのに暗澹たる思いを禁じ得ません。まるで、異国の「トラ」さんのツイッターです。

 数を言えば、または、権威から言うと、そのような見当違いの暴論が史論を蚕食し、無批判な追従も盛んですが、氏は、そのような喧噪と無縁です。

〇苦言の弁
 ただし、それはそれ、これはこれ、氏の勘違いと思われる事項は、氏に対する敬意の表れとして、率直に指摘するものです。
⑴半島沿岸帆船航行の不合理
 氏は、なぜか、帯方郡から倭までの行程の大半を占める韓半島行程を、帆船沿岸航行と決めていて、当記事筆者が推進する陸上行程説に反対なのです。これは、二重、三重に不合理です。

 つまり、郡の官道が、海上経路であったとする不合理と、沿岸を帆船航行できたとする無謀な仮定が重畳して、混乱を招いています。

 氏は、文献に依拠して、三世紀黄海東部に帆船が出回っていて、帯方郡はそのような帆船を、未知未踏の倭国航路に仕立てたと見ています。

 大胆不敵で、当分野で氾濫する暴論の類いですが、どんな船舶も未知の海域は、現代でも、水先案内人が不可欠です。
 隋唐代使節は、月日を費やして浮海し航路開拓したと報告したから、三世紀には未踏海域との証左です。

 氏は、帆船の未踏海域進出例として、バスコ・ダ・ガマをあげているが偏見史観です。ガマは、インド/アラビア商船が、千年以上に亘り運用していたインド洋航路と港湾を侵略奪取したのであり、先例と言えないのです。

*沿岸魔境
 半島西南部は、岩礁、浅瀬の多い多島海で、操舵の不自由な大型帆船は入り込めませんでした。地元海人の水先案内と、それこそ、船腹に体当たりして進路を誘導する「タグボート」先駆の漕ぎ船がなければ難船必至だったから、事情通の青州船人は、帆船で南下する無茶はしなかったのです。

*確かな船足
 倭人伝對海国/一支国条で、乗船南北市糴と書かれているように、それぞれの港から南北運航の便船に荷を積んだが明らかに手漕ぎ船です。区間一船でなく、多数往来のはずです。代替手段がないので活発でした。

                               未完

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