陳壽(中国史)小論- 5 (2013) 女子王
2013/09/19 確認 2020/06/05
〇女王国の由来
陳壽の面白みについて、次の例を挙げます。
魏志倭人傳は、この国「倭人」が女王国となった経緯と初代女王の人となりが述べられています。
「乃共立一女子爲王名曰卑彌呼(-6字略-)年已長大無夫婿」
案ずるに、元来、倭国は統一国家でない国家連合とはいえ、国の数で言えば小規模な村落国家が多かったと思われます。
国家連合の盟主として男性の王を担いでいたら、あるとき国同士の喧嘩が収まらなくなった。卑彌呼という名の若い娘(一女子)を王に立てたところ、みんな仲良くなった。女王は、成年(十八歳)になった(年長大)。女王故に配偶者(夫婿)を持たない。
政治を担当しているのは男弟である。女王は、人と面会することはほとんどない。
今回の私の読み解きは、一般的な理解と異なっています。
当ブログ記事の発端は、ごく最近「一女子」が若い娘ではないかと思いついたことにあります。
この意見の先例を調べたところ、随分以前に木佐敬久氏が、添付資料に出てくる対談で提示しているとわかりました。明らかに前例のある意見と言うことです。
一般には、魏志倭人傳の記事で「一女子」は、成人女性と解されています。しかし、それなら婦人など別の言い方があります。ここは、素直に「女の子」と解したらいいのではないでしょうか。
さらに年少なら「女児」「女孩」とか言いそうなものです。
中国では、伝統的に18歳成年(数え)であり、中国語で年齢を形容するときには、これに従ったであろうということで、「一女子」の年齢は15歳程度(数え)となるのではではないでしょうか。
因みに、若干ややこしいのは、中国語で「男子」と言うときは、伝統的に成人男性を指すことが多く、「女子」「男子」と対になっていても、簡単に類推できないのです。
私が、共立時の卑弥呼を若い娘と見たのは、一呼吸置いた直後の「已年長大」との関連です。
「長大」は、幼いものが長じて(年齢を加えて)大(大人)になる意味ではないのかと、ある日思いついたのです。そう思って、魏志倭人傳を読み直して、直前の「一女子」に引っかかったのが、実際の検討手順です。
「長大」論議が続きます。
以上
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