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2020年7月

2020年7月29日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞将棋記事に漂う「リベンジ」汚染の一端

                          2020/07/29

 今回の題材は、同一記者による二件の記事であり、今や一般向けニュースで報道される「時の人」 将棋界の新鋭、新棋聖の卓抜した技量とそれを支える不断の努力を称えるものと思う。それ自体は、納得のいくものであり、広く取材し、深く思索を極めた物として、賞賛に値するものである。

 毎日新聞大阪朝刊14版 「大阪」面      盤上の風景 藤井聡太新棋聖         2020/07/27付
 毎日新聞大阪朝刊14版 「オピニオン」面   記者の目 [最年少でタイトル 藤井棋聖]  2020/07/29付

 正直な所、当記事担当記者の言葉遣いは、全体としてまことに順当であるが、困ったことに、この場でどうしても指摘せざるを得ない難点が、両記事に登場している。ここで指摘するのは、一個の「ほころび」に過ぎないのだが、その一個の「ほころび」がまことに深刻な物であり、広く害を蔓延させる可能性が無視できないので、公開の場で指摘せざるを得ない。

 丁寧に読めばわかるように、二件共に「カタカナ語」の起用は、むしろ禁欲的に見えるほど控え目である。そして、使われている数語にしても、現代の日本語として定着しているものであり、安易に新語に流されない記者の品格を偲ばせる。

 その見地で言うなら、ここで使われている「リベンジ」は、近年蔓延している「平成の怪物流」の「乳臭い」誤用でなく、英語準拠のrevenge、「復讐」として使われていて、それ自体は、適正な流用であって文句を言う筋合いはない。

 しかし、真摯な意図で書かれていても、記事の文脈に当てはめると、将棋棋聖戦で、挑戦者に追い込まれた(前)棋聖が「リベンジ」、仕返しをたくらんだとの記事は、大変不穏当である。問題は、重大な宗教的な意義を見逃していることにある。

 いや、当記事筆者は、ご当人と言葉を交わしたことはないのだが、とても、将棋の場に、個人的な復讐心、さらには、血の天誅を持ち込む意図などないはずである。また、氏の宗教信条も知らない。

 そもそも、堂々たるトップ棋士が、いかに手強い相手であっても、負けたからその分、あるいは、「倍返し」で仕返しするという、子供じみた闘争心で動いたとは見えないのである。かりに、本人がそう発言したとしても、当人の名誉のために報道を控えるべきではないだろうか。記事の主題である新棋聖は、別に「悪玉」、「斬られ役」、「ボスキャラ」は、必要としていないはずである。

 別記事で指摘したように、目下掲載の毎日新聞名人戦観戦記では、両対局者の人格を貶める「暴言」が飛び交って、大いに歎いているのだが、担当記者には、この記事で、新進気鋭の若者を称揚するために、先輩を貶す意図はないはずである。十分定着しているはずの「リベンジ」の悪辣さについて、勘違いしているとしか思えないのである。このままでは、貴重なトップ棋士の顔に泥を塗りつけていることになるのであるが、多分、ここまで気づかなかった以上、今後とも、自力で気づくことはないと思うので、敢えて、耳に突き刺さる記事を書いたのである。と言っても、害意はない。

 いや、今回は、大阪版と全国版の釣り合いということで、晴れ舞台に二件相次いだのだろうが、全体として、よく推敲された堂々たる紹介記事に見えるのである。して見ると、不用意な「リベンジ」は、何とも、何とも、もったいないのである。

 「リベンジ」蔓延を食い止めるため、従来は、当該記事担当記者の記者倫理を問う手厳しい物であったが、それは、「半人前」の記者が、小耳に挟んだ流行り言葉を無造作に書き散らす軽率さを攻撃して、教訓として貰いたい趣旨で、ことさら手厳しくまとめていったものであり、今回の二記事が、その同列でないことは、以上の説明からも、おわかり戴けたものと思う。

 それにしても、天下の公器である毎日新聞には、各記者の筆の暴走を是正する校閲機能はないのだろうか。
 それとも、このような市井の私人の意見など、意に介さないのだろうか。耳を貸そうか貸すまいが、長年の定期購読者には、一言提議する権利はあると思うのである。

 記者の周囲には、この忌まわしい言葉の使用を控えるように苦言を呈してくれる「友人」という名の「厳師」は、いないのだろうか。一度紙面に載って世に広がれば、未来を担う子供達を含め、悪習に倣う人は数多いのである。後世に、悪習を継承しないように、と思うだけである。

以上

 

2020年7月28日 (火)

今日の躓き石 毎日新聞 名人戦観戦記の反社会的タイトル 「マスクはいらない」

                             2020/07/28

 今回の題材は、毎日新聞に掲載されている将棋名人戦の観戦記である。
 第78期名人戦七番勝負 豊島将之名人-挑戦者・渡辺明王将 第3局の8

 今回の苦言の原点を確認すると、観戦記とは、事実の報道でなく観戦記者の著作物なのだろうか、ということである。文学作品、創作であれば、多少の気ままは許されると思うのであるが、事実の報道なら、報道としての節度が求められるはずである。

 後に示すように、前日の観戦記のタイトルもひどかったが、今回は、「マスクはいらない」と反社会的な物になっている。
 現下の情勢は、ウィルスの感染拡大防止のため、例外のないマスク着用が義務化していて、これに対して、毎日新聞が堂々とマスクなどいらないと宣言するのは、どうした物だろうか。しゃれのめすなら、合衆国やブラジルの大統領を気取っているようにも見える。

 さらにひどいのは、文中で「思考の邪魔、つけてらんない!2人とも息苦しさから逃れて盤上に集中した」と両者の内心を勝手に代弁していることである。いや、観戦記者が両者にインタビューしてそうした主旨の意見を聞き取ったとしても、両者が報道機関に対して発言するときには慎重に言葉を選んだはずである。想像するのだが、両対局者が、マスクを外したことについて問われたら、「マスクが必要な主旨は理解しているが、マスクに湿気と熱気が籠もり、呼吸の妨げ、ひいては思考の妨げになるのでは、一時的に外さざるを得なかったことを、よろしくご容赦ください」と言ったはずである。ここに引用されているのは、仮に正確な引用としても、精々が子供じみた我が儘の口移しであり、高度な観戦記を求めて講読している読者の目に触れるべき物ではない。

 この点は、何にしろ主催者の配慮の限界と思う。マスク以外の何らかの手段で、このようなな息苦しさを、極力緩和できないか、最善の努力を図ったはずが、良策が見つからなかったようである。因みに、NHK棋戦では、設営に制約の少ない自局スタジオということもあって、両対局者の間に、上から隔離板を下ろしていると見受けた。名人戦会場では無理と思うが参考に述べておく。

 手段が何にしろ、隔離手段が両者に与える影響は公平であるから、思考を制約されることは、両者ともに受容すると思われる。まして、将棋界が、最高峰の棋戦で最善の配慮を行っていることは、ネット中継で公開されているから、最善の努力は最善の評価で報われているはずである。

 このような背景を考えると、今回の観戦記で示された配慮の無い暴言は、一新聞社の一観戦記者の分を越えて、将棋界全体に暗雲を醸し出すものであり、まことに不穏である。
 毎日新聞社は、将棋界の財産である「名人戦」に対して、社会的な非難が集中するリスクをどう考えているのだろうか。

 因みに、前回の見出しは、「名人が「ソフト化」」であり、意味不明なものの、記事を読むと、名人の指手の筋悪化を糾弾したもののようであり、将棋界最高タイトルの保持者に対して、「神」の如き不敗の高みから堂々と見下して、一切反論を許さない非難を浴びせていて、一読者として大変不快であった。まして、「ソフト化」などと、日本語として意味不明な見出しを善良な一般読者に投げつける手際は拙劣である。

 思い返すと、この観戦記者は、しばしば高級な暴言を書き殴る人である。ただし、影響が将棋界にとどまるなら、その世間で顰蹙を買えば良いのであり、当ブログで指摘したことはあっても、大きな問題でないと見ていたものである。

 それにしても、毎日新聞には、紙面を精査して、不穏当な字句を、穏当な字句に書き替えさせる校閲が存在しないのかと、歎くものである。

以上

2020年7月27日 (月)

私の意見「陳壽の見た後漢書」サイト記事批判 謝承後漢書談義 ・補追 5/5

                 2016/03/22 追記 2018/05/05 2020/02/15 2020/03/31 2020/07/27

 私の見立て ★★★☆☆ 誤解、誤読の反面教材

原記事の追記段落
*「魏牧魏後漢書」と言う妖怪
 因みに、当記事筆者は、別の場所で、『翰苑』は、高麗条において「魏牧魏後漢書」なる六文字書名を引用していると見ていると書き綴っている。

 これは、論議の余地無く、翰苑(写本工)の誤写によるものである。(原著者、編者の責任ではない)

 写本内の別の場所でほぼ正しく書かれている「魏収後魏書」(魏牧)と「笵曄後漢書」(笵曄)のそれぞれ五文字が、翰苑現存写本の写本工の脳内で混線したものである。しかも、誤写の途中で気づいてつじつま合わせしようとしたものが、六文字になっているのか、お手本とした写本に、すでに誤記校正が加筆されていてそれを正解、誤解したものか、とにかく、翰苑は、その誤写の来歴について、いろいろ空想が楽しめるのである。

 それはそれとして、本件は、明瞭な誤記であるが、同様の愚にも付かない誤写が、少なからず校正されず放置されていることが、翰苑現存写本の「史料としての信頼性」を、ほぼ帳消しにしている。

 Wikipediaによれば、「魏収後魏書」(2件+後魏書1件)は、中国北斉の魏収が編纂した北魏の正史(CE554頃の成立という)であり、おなじみの三國志の「魏書」と混同されるのを避けるため、『北魏書』『後魏書』なる通称が施されるものである。

 因みに、三國志の魏書が、通典、太平御覧などに「魏志」と誤記でなく書かれるのも、この混同を避けるものであることは衆知と思われる。

 当ブログ筆者のようなど素人が、一読して、すぐさまこうした勘違いに気づくのに、翰苑写本の誤った字面を信奉するのは、原文重視の姿勢であり、堅実な取り組みに敬意を表するが、翰苑現存写本の問題点を無視したものであり暢気なものと思う。

                                以上

追記:2020/03/31
 コメント回答には収まらないし、一般性があるということで、別記事を立てたので確認いただきたい。
私の意見「陳壽の見た後漢書」サイト記事批判 謝承後漢書談義 補充

                                                                                                                  完

私の意見「陳壽の見た後漢書」サイト記事批判 謝承後漢書談義 ・補追 4/5

               2016/03/22 追記 2018/05/05 2020/02/15 2020/03/31 2020/07/27

 私の見立て ★★★☆☆ 誤解、誤読の反面教材

*「筈」押し一辺倒
 福永氏は、後年、三國志全体を精読した上で、劉宋皇帝の指示に従って、補追と注釈を加えた裴松之を捉まえて、後に散佚した史書の完本を「見ていたはず」と確認しようもない提議を持ち出しているが、衆知の如く、裴松之の注、裴注には、都度引用原典が明記されていて、さらに、参照資料に関して、別途評価を加えているのであるから、そこにも挙げられていない史書は、参照するにすら値しない「ゴミ」と見るべきである。
 まして、当時、史官でない素人の私撰史書であって、公的に取り上げられていない范曄後漢書の東夷傳を「実際は見ていたはず」だと、これもまた確認しようもない提議を持ち出すのは、どういう意義を認めている発言なのだろうか。

 裴松之が、一読していようがいまいが、裴注に参照されず、論評を加えられていない雑文は存在しないと同義である。

 まして、魏志の本質的な部分と関係の乏しい「後漢書」など、裴松之の書庫に積まれていても無いに等しいのである。

*粗雑な前提、無謀な提言
 このように、幾重にも積み重ねた根拠のない推定の上に立って、魏志倭人傳の現行刊本に現実に明記されている「邪馬壹国」の文字は、当初の魏志倭人傳には存在しなかった、と、根拠も何も求めようのない、一方的な作業仮説を立てているが、「もともと明確な根拠のない推定であるから、そのような根拠を否定する論理は立てられず、いわば、単なる私人の妄想と見られているから、そのために決定的な反論は現れない」ものである。

 もっとも、批判能力のない一般聴衆にホラ話を言い立てているだけだから、反論どころか、質問、意見は、出てこないのであろう。

 丁寧に裴注時の状況を確認すると、参照されていない范曄後漢書の東夷伝記事が、実質的に、魏略の引用、節略にとどまっているのが、後世人に容易に確認できるように、陳寿が取りこぼした東夷記事は見られないのである。

 それは、魏志東夷伝に対する裴注が、大変寡黙であるところから見て取れるのである。恐らく、福永氏の脳裏には、夢想した資料が投影されていて、現実の史料の紙背に映じているのかも知れないが、それは、あくまで、個人的な幻想であり、何がどう見えているのかすら、明示していただかなければ、批判の仕様がないのである。

 つらつら思うに、同時代の事象について、言論自由のご時世とはいえ、学術的な論考で、根拠の提示できない風評を云々することは蔑視されるものである。まして、誰も実証確認できない古代の事項に関する風評想像にかこつけて、他者の論考を罵倒するのは、何と批評すればいいのであろうか。誠にもったいない話である。

 こうした強弁の類いのよく陥る失敗として、論考の基本的なところに大穴が空いているので、折角の提言が、熟読、精査されることなくゴミ箱入りする羽目になるのではないかと危惧する。

 少なくとも、氏ほどの確たる評価のある論客は、率直で忌憚のない批判に値すると思うので、ことさら別記事を立てたものである。史学論考としては、別記事の後漢書論と一括して、氏の意見をゴミ箱入り扱いするものである。

                                     未完

私の意見「陳壽の見た後漢書」サイト記事批判 謝承後漢書談義 ・補追 3/5

2016/03/22 追記 2018/05/05 2020/02/15 2020/03/31 2020/07/27

 私の見立て ★★★☆☆ 誤解、誤読の反面教材

*本題に還る
*謝承後漢書 観点の変化
 「魏志倭人伝は「王沈の魏書」と「魚豢の魏略」とを基に書かれたとする見方に、「謝承の『後漢書』」を初めとする「旧・後漢書」群をも参照したとする見方を加えなければならないという観点に至った。

 福永氏は、高々と「観点」の変化をおっしゃるが、どんな知識、見識の持ち主で、どのようにして、どんな境地に至ったのか不明な状態で、このような発言を投げつけられても、共感も同意もしようがない。ご自身の意見を「理解、検証できるように」読者に伝える努力をしなければ、いくら広く読まれる場所としても、独り合点に終わるのではないのか。

 また、基本的な認識の確認になるが、史書編纂で肝心なのは、編纂者による関連史料の取捨選択と編集方針の遵守であり、それをもって「編纂」したというのである。

 実際問題として、編纂の過程で、どの程度、どの資料に依存したか、どの資料を却下したか、三國志上程版の作成時、すでに、編纂者の胸中に仕舞われていたものであり、公言されることはなかったと思われるから、今となっては確認のしようがない。

 因みに、陳寿が魏志を編纂した際、後漢朝の公文書は、禅譲によって平和裏に継承された魏の洛陽帝室書庫に健在であり、王沈魏書は利用したものの、陳寿自身が原資料を利用することも可能だったはずである。「旧・後漢書」なる、風聞資料の実態は「後漢書稿」と見なす以外は、不確かであり、その実態は想像すらできないが、さらに飛躍して、陳寿が魏志の編纂にあたって、それら後漢書稿を頼りにしたというのは信じがたい。

 魏志には、確かに、後漢朝事績が引用されているが、それは、魏朝の創業者である魏武曹操の事跡、特に、献帝を傘下に収容してからの建安年間の活動を記録するために参照するのに限られているのであり、それらは、ほとんど同時代記事なので、あったかなかったかすら不明の後漢書稿の記事に頼らなくても、晋朝史官の史書編纂業務として、堂々と書庫蔵書を参照して書き連ねることはできたのである。
 それは、史官として当然であるから、ことさら語られてはいないが、語られていないからこそ、順当に進められたと見るのである。

 つまり、著者によってこのように表明される論考は、証左のない、単なる現代読者のぼやきに過ぎないのではないかと愚考する。誰も反論しないからといって、絶対的な真理というわけにはいかない。

 とにかく、史書を書く以上、書き換えも取りこぼしもできない必須の原史料というものがあるのであり、それが取りこまれているからといって、史料として、二次利用とか盗用などとは言えないのである。(必須の資料を改竄利用するなど、もってのほか論外の暴挙である。と言うもののこれは、范曄を非難しているのではない)
                                未完

私の意見「陳壽の見た後漢書」サイト記事批判 謝承後漢書談義 ・補追 2/5

2016/03/22 追記 2018/05/05 2020/02/15 2020/03/31 2020/07/27

 私の見立て ★★★☆☆ 誤解、誤読の反面教材

 再追記 (2020/07/27)     コメント回答
*謝承後漢書「東夷列傳」の当否 承前
 因みに、「謝承後漢書」輯佚巻八は未公開なので、確認不可能である。『七家後漢書』には、下記佚文が見られるが、「東夷列傳」の由来は不明である。「謝承後漢書」自体の記事であれば、単に「又」でよいとも思える。
 察するに「文選」の付注で触れられている程度のようである。
 その点も含めて、同コメントの指摘内容が、上記「追記」の当否について検討すべき資料であるかどうか、史料批判、資料審査を進める。
 因みに、御覧の全文検索では、当該部分は、謝承後漢所記事とは別記事と解釈されて表示されないのである。

*史料解釈批判
 正直なところ、当件は「謝承東夷列傳」と書かれているわけではないので、記事の出典が不明確である。
 御覧は、断片的記事を整列して記載しているが、記事が引き続いて「又」と証していても、同資料を参照していると限らないと見られる。 

 「東夷列傳」は、范曄後漢書以外の何れかの後漢書の列伝の可能性が高いが、謝承「後漢書」の列伝かどうかは、確認しようがない。

 同内容記事が汪文台「七家後漢書」に「東夷列傳」を出典として引用されているが、「謝承東夷列傳」と書かれているわけではない。ただし、そのように解釈するのが有力と見られて、謝承後漢書の東夷列傳佚文と見られた可能性はある。遡って、「謝承後漢書」輯佚巻八に収容され、ポツンと「東夷列傳」が成立しているのかも知れない。

 文選勤進表注東夷列傳~韓俗以臘曰家家祭祀俗云臘鼓鳴春草生也柵罪一禮儀心

 因みに、同書は、類書などに引用されている記事を拾い集めているので、御覧、ないしは、御覧依拠史料の引用である可能性が極めて高い。つまり、御覧所引記事が謝承後漢書の佚文であるという推定の裏付けとはならない可能性が高い。

 遡って、御覧は、編纂時点に健在であった諸史料の善本から引用したわけではなく、かなりの部分が先行類書の引用と見られている。先行類書の編纂時点に、「謝承後漢書」の善本を参照したのか、佚文の子引き、孫引きなのかは、今となっては不明である。

 別記事で確認したように、謝承は、三国東呉領域の人であり、東呉に仕官したことは記録されているが、洛陽で中原政権に属し、後漢東夷文書に触れたと推定できる記録はない。他書に、謝承後漢書東夷列傳由来の引用も見当たらない。

 結論として、指摘記事に基づいて「謝承後漢書」が「東夷列傳」を備えていたとする意見は、根拠不十分と見ざるを得ない。

*魏略西戎伝観の是正
 ちなみに、魚豢「魏略」について当記事では「散佚」と速断したが、魏書末尾に補追された「魏略西戎伝」は、劉宋史官であった裴松之が、帝室書庫に継承されていた魏略善本の「西戎伝」を正確に補追したものであり、以後、三国志の一部として、適確に写本、刻本されたものであるので、部分的とは言え、至上の善本と見るべきである。ここに早計な意見を訂正する。

                                未完

私の意見「陳壽の見た後漢書」サイト記事批判 謝承後漢書談義 ・補追 1/5

  2016/03/22 追記 2018/05/05 2020/02/15 2020/03/31 2020/07/27

 私の見立て ★★★☆☆ 誤解、誤読の反面教材

〇おことわり
 本記事は、通例の商用出版物の書評などではなく、「神功皇后紀を読む会」通信(主宰・福永晋三)サイトの(かなり古い)記事に対する批判である。記事自体に署名は見て取れないが、福永晋三氏のサイトであるので、これらの記事は氏の書いたものであろうと言う程度のものなので、単なるサイト記事批判は避けている。単に、良くある軽率な判断の一例を点検したものである。

 但し、後日(2020/03/31)確認すると、福永氏は、近年、著書を公刊して世に広く訴えるのではなく、支持者を集めて講演会を開き、その内容をYouTubeに公開して、閲覧回数を積み上げることにより、広く(一部の)支持を集めているようだが、そうした不正規の活動では、ちゃんとした評価を受けられないのではないかと思量する。

 YouTube動画はダウンロード禁止なので、表示されている資料を読み取ることを強要される。史料批判しようにも、当ブログ読者に、根拠を示すのが困難である。YouTube動画のURLを表記するにしても、長大な講演のどのあたりと明記するのが大変困難である。

 今回の追記は、コメントいただいた方の意見に従い、講演を拝聴した上で、ポイントだけ取り出して反論したものである。

 今回の追記(2020/02/25)は、本記事およびほぼ同趣旨の批評記事を参照する訪問者が多いことから、点検して、補強したのである。

□前置き
 ネットを散策していると、いろいろな意見に出会うもので、人も知る貴重文献「翰苑」でしばしば引用されている「後漢書」は、笵曄「後漢書」でなく、謝承『後漢書』であったと主張しているのである。

 いや、思いつきの個人的な意見に横合いから口を挟むのは何だが、これを、建設的な仮説と誤解する向きがけっこうあるようなので、一本、釘を刺すのである。

陳寿の見た後漢書

 記事筆者は、魏志倭人傳の記事の正誤を論じる基礎として、范曄後漢書だけでなく、魚豢魏略(散佚)を論ずるのに加えて、謝承後漢書(甚だしく散佚)も重視しなければならないという意見のようである。一応、ご主旨は拝聴した。

追記 (2020/03/31)
 謝承後漢書 の佚文は、太平御覧(御覧)に多数収録されているが、正史夷蕃伝に類する記事は見当たらない。元々、東夷伝などなかったと見る由縁である。

再追記 (2020/07/27)     コメント回答
*謝承後漢書「東夷列傳」の当否
 御覧所収の謝承後漢書佚文に続き『又「東夷列傳」』との記事が存在するから、謝承後漢書に東夷列傳があったと見るべきではないかと指摘があった。
 確かに、維基文庫「八家後漢書」によれば、謝承後漢書輯佚巻八の末尾に「東夷列傳」が記載されているが、原本に「東夷列傳」が収録されていたかどうか不明である。当時、夷蕃の対象である四夷の中でも、北狄、南蛮はともかく、西域都護を置いて大々的に探索を行った西域に関する記事が欠けていて、ことさら東夷列伝が立てられているのが不審である。

                                未完

2020年7月12日 (日)

今日の躓き石 毎日新聞の暴言 米国企業が連邦政府に血の報復「リベンジ」の疑惑

                               2020/07/12

 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版「総合」面のクローズアップ「5G整備米国内対立」なる重大な記事である。

 同様の暴言は、主として(比較的)無教養なスポーツ面で多発しているが、今回は、教養豊かで国際性に富んだ記者の執筆と思われるので、同社内の「リベンジ」誤用は、広く潜伏し多発しているのではないのかと危惧される。大半の良識ある記者は、不穏な言葉遣いを避けていると思うが、今回のように、屑記事が掲載されると、各員の日々の努力はぶち壊しなのである。

 報道に依れば、某米国企業は、10年前の連邦政府、主として、国防総省の決定で事業計画を覆され、会社が経営破綻したのを恨みに思っているようなのだが、だからといって、「血の報復(revenge)を企てている」というのは、大変な告発である。ペンタゴンにテロ攻撃、と言っても、お手の物のIT技術で、サイバーテロでも目論んでいるのだろうか。大変不穏当である。

 全国紙の記事で、米国内の連邦政府と企業の間の抗争を、このように不穏当な決めつけで書き立てるのは、報道の自由をはみ出していると思う。毎日新聞の編集部がそう思わないというなら結構だが、そのような告発は、十分な裏付けが必要ではないか。不審に思うのなら、当記事の当段落の直訳を作成して、駐在員から、関係者の意見を取材したらどうか。

 全国紙の報道については、とかく政治的な偏向が云々されるが、今回の暴言は、特定の私企業に対する告発であり、「フェイクニューズ」とは別次元の低劣さと思うのである。

以上

 

2020年7月 9日 (木)

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける 11/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

◯もったいない蛇足 承前
 私見では、著者の言葉に倣うと、あちこちで「光るモノ」造作に励んでいると見えるのです。関係者全てが、「予算を配分」し続けて貰うために、つまり、生きるために、無理を承知で、自然に筆を「曲げて」いるのですから、口先できれい事を言っても、そのような事態は何一つ変わらないのです。

 これは、「歴史観」の問題ではないのです。関係官庁の官僚をはじめとして、関係者の家族や出入り業者も含めて、多くの人々の生活がかかっているのです。生存権は、奪ってはならないと思うのです。
 趣旨に共鳴して、手弁当のボランティアも多数いるはずで、その志は、安易に誹れないのです。 

*説得の心構え
 当方の意見の蒸し返しになりますが、著者の新説に対して、意見の近い同志は好意的であっても、論敵は、はなから耳を貸さないので、支持者を増やしたかったら、まだ意見を固めていない人(無党派層)に理解、同意される言い方を工夫しなければならないのではないでしょうか。今のように、呪文を連ねたような乱文では、よほど寛容な人以外は、そもそも受け入れてくれないでしょう。

 理解、同意は、その場のウケでなく、心底考え方を併せてくれることを言うものです。

 手短に言うと、商業出版する著書は、観客と想定した読者に訴える場であって、仮想敵をなじったり揶揄したりしては、観客が興ざめしてぞろぞろと引いてしまいます。もったいない話です。
 一部にウケたとしても、本書のような粗雑な論拠提示と意見表明は、適正な批判を受ければ吹き飛んでしまい、後に残るのは著者に対する不信です。

◯最後に
 読み飛ばした中間部は、著者の渾身の労作と思いますが、冒頭と末尾を抜き読みして、著者の筆力が拙いもので不正確な点が多く、虚勢に終始していると見抜かれては、結局、敬遠されて読んでもらえないのです。
 著者の今後のために、是非とも、未熟な論議をむき出しにばらまくのを避けるように、自戒いただきたいものです。

*「鉄」の正体
 蛇足ですが、「鉄」と簡単に言っても、鋳鉄と鋼の「鉄」は別物であり、掲題は、やや無造作なので、早々に解題すべきでしょう。

*素人書評の弁
 蒸し返しになりますが、以上の批判記事は、論拠を明らかにするためにあえて自明の事情まで言い募ったものですが、何の権威にも基づかない私見であり、この私見は、著者を含めた論者の意見を排斥しようとしている排他的なものではないことをご了解頂きたいのです。

                                以上

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける 10/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

◯掉尾の観察 承前
そして、海上輸送を考えても、前作で述べたが大和川を下って亀の瀬で船を乗り換え、古市あたりで外洋船に乗り換えるというのは難があり、とても洛陽に船団を送れるレベルではなかったと考えます。

 これは、広瀬氏の意見の引用の続きなのでしょうか。

 「古市あたり」は古墳群の「古市」として、外洋船が、浅いはずの大和川を遡上できたとは思えないのです。また、ここで外洋船に乗り換えるのが、洛陽まで一貫航行の必須条件とは無理な思い込みです。玄界灘や狗邪で乗り換えれば良いのです。大抵は、あり合わせの航路を乗り繋いでいたはずです。

*もったいない蛇足
日本の古代史研究は科学的でないのです。中国や韓国の歴史認識が正しいものとは到底言えありませんが、日本もおかしいのです。国際的にも歴史の客観性がより求められよう。

 貴重な託宣ですがわかっている人は、とうの昔からわかっているし、わかっていない人は聞き流すだけです。わかっていても採用できない人は、無視するので、ここで言ってもしょうがないので、字数、行数の無駄です。

五•五で前述した三島規裕氏は「今、全国の神社の大部分は過疎化の中で浮沈の瀬戸際にあります。今、何とかしないと神々の世界は大変になる。それには古き日本の神社に存在するコミュニティを救うことが活性化につながる」と語った。
私は、そのためには、文化庁や県がしっかりとした歴史観を持ち、中央史観の「ヤマトの古代史の収奪」という偏った現状を見直すとともに、国指定、県指定の文化財をあり方を再検討し、地方の歴史に光を当て予算を配分することが焦眉の急と考えます。古代の遺産が残る地方の神社、寺社仏閣で光るモノが見つかれば、地域のコミュニティの崩壊を食い止めるだけでなく、良い環境ができ、やがては観光振興にも役立つし、地元の日本型の伝統産業を支えることにもなろう。

 ご立派な大演説ですが、意気込みはともかく、言葉がよくわからないし、だからどうした、というのが典型的な受け止めではないでしょうか。
 国の統一性を重視すれば、「中央史観」が至当であり、偏った史観とは、全然思っていないはずです。国を担う重責を負う官僚に対して、著者の述べ立てる意見に説得力はないのです。相手を見て議論を組み立てるべきです。
 「焦眉の急」は、伝統的に切迫した危機を言うのですが、実際、焚火に近づいて、目に見えない高温の外炎で眉毛を焦がすのは珍しくないのです。

                                未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  9/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

◯掉尾の観察 承前
三つ目は、邪馬臺国近畿説の有力な証拠とされる箸墓古墳がある大和古墳群の公設市場に、当時鉄は届いていません。

 この構文では、第三にでしょう。(児戯です)「邪馬臺国近畿説の有力な証拠」とは誰の視点か不明です。近畿説論者には迷惑かも知れませんが、肝心の古墳の学術調査が不備で憶測なので、有力な証拠は、皮肉でしょうか。

 因みに、大和(本書は、ヤマトのはず)古墳群の「公設市場」とは、用語の意味不明、かつ重層した時代錯誤で、困ったものです。古墳のてっぺんに、生鮮食品の鮮魚や野菜を近隣住民に売りさばく、賑やかなショッピングモールがあったのでしょうか。

 考古学の定見では、三世紀前半当時、先駆とされた箸墓は別儀として、後世のヤマト古墳群は、影も形も無かったはずです。

 「当時届いていない」と断言しても、論証は不可能でしょう。届いたら記録が残るとしても、絶対ではないのです。地上で供用されていたら、すぐさま埋蔵されないのは常識です。

そして、ここ纏向の人々はこの時代、海洋民族の倭人ではなく渡来系の人々で、三世紀の大和と吉備を結ぶ航路も渡来系の人々が運営する航路でした。

 「この時代」の「纏向の人々」の由来を言いますが、根拠不明。いつ、視点がヤマト東端の纏向に移ったのか、急変に眩暈がします。とは言え、山中の『「大和」と「吉備」を結ぶ航路』など、実現不可能な航路は運営しようがないのは、明らかです。

『前方後円墳の世界』で広瀬和雄氏も、「卑弥呼の墓に比定できる条件は考古学的には整っていない」という。

 広瀬氏の発言は、「何を」を欠いていて失礼な引用です。同様に「考古学的に整っていない」は乱文ですが、明らかに不正確な引用なので、文責不明です。「広瀬和雄氏」には失礼でしょうが、著書が参照されていないと見え、学問的に呼び捨て同然の扱いと見えます。

 いずれにしろ、古代史学の常識、鉄則として、年代明確な文献資料と年代明記のない考古学資料の時代合わせは土台無理と思います。「無理」で「道理」を曲げてはならないという事ではないでしょうか。

 きれいに言えば、それは、永遠の課題(不可能な使命)と思います。

 そして、著者はどちらの視点なのか不明です。

                                未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  8/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

◯掉尾の観察 承前
宿や馬を準備した駅制がないとそれだけの距離の旅はできないのです。

 全くお説の通り。滅多に聞けない賢察であり、絶賛です。と褒めましたが、それだけがどれだけなのか。宿舎なしに数日以上移動できないのは自明です。

 馬は、三世紀に輸送手段として普及していなかったようだし、どのみち蹄鉄(Horse shoe)なしの裸足では、駄馬は荷駄を背負って移動できないし、乗り馬も長旅できないから、馬がいてもいなくても大勢に影響ないのです。

しかし、山陰道は、沿岸を船で移動するので「水行一月、陸行十日」です。

 根拠不明の妄想と見えます。なぜ、山陰側は沿岸(すなわち陸上部)の道を行けるのに「山陽道」が山中なのは、なぜか。後世、街道ができたのではないのか。何が楽しくて、わざわざ道なき道を行くのか。不可解です。
 山陰沿岸の山陰道が、滑らかで通行容易だったはずはないのです。

間違いにすれば、すべて、条件が違ってくる。

 そりゃそうです。これまでの「神学論争」の大半は、これです。誰が何を根拠に間違いというのかです。 自分の意見に合わせて、史料を撓めて、望みの形にするのは、神学論争でもままあるようです。

なお、本書で縷々説明したような理由で卑弥呼の特使難升米は当時の瀬戸内海は通れないし、通っていません。

 論拠の部分を飛ばして読んでいるのは申し訳けありませんが、お言葉通り説明されているとしても、「通れなければ通りようがないから通らない」のは自明です。行数稼ぎの冗語は、ご勘弁いただきたいのです。一貫航行できなかったとしてもそれが全てではないはずです。

つまり、邪馬臺国が近畿に存在すること自体が物理的に無理なのです

 「自体」とは、言っている意味がわからないのです。冗語ですか。

 「物理的に無理」と言いますが、物理法則に違反していない限り、無理に見えても、成せば為るのではないでしょうか。しばしば、「無理」を通して「道理」を克服するのが歴史ではないでしょうか。

 ある集団の存在というか生存は、自然の摂理に逆らっても、相当の期間、持続できるのです。つまり、この部分は「負け犬の遠吠え」と見られるだけです。

 と言うことで、この部分も、根拠不明の否定表現づくしです。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  7/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

◯掉尾の観察 承前
陳寿が間違えて卑弥呼を女王と呼称したのです。松本清張もそう語っています。

 陳寿が何を間違えたのか不明です。陳寿は、三国志全体の編者であり、倭人伝を著述したわけではないのです。清張氏はどう語ったのか趣旨不明ですが、ここでの引き合いは、当人に不本意でしょう。気の毒なことです。

前作で「陳寿が、宗教家か対馬海峡横断の航海安全を祈禱する巫女を、倭国の『女王』と書いてしまった」と書いたところ、「卑弥呼を冒瀆している」という厳しい非難を受けた。

 氏の『前著』で、陳寿の誤解を受け売りした著者が非難されたとしたら、非難者は単に考えが足りないのです。厳しい非難は、貧しい品性を露呈しています。

この人は卑弥呼が祭祀を今も守っているというのでしょうか。天照大神などと同一視しているのでしょうか?歴史と神話は分けて考える必要があります。

 反論は的外れです。卑弥呼は故人で「祭祀を今も守」る訳はないのです。

 古代人卑弥呼は、鬼道に事えた実在の普通人で、神ではないから、「冒瀆」は的外れでしょう。非難者が、史書の意味もわからず、冒瀆と判断したら、当人の勝手でありとがめ立てはできないのです。ほぼ否定表現づくしです。

第二の理由も、陳寿の間違いに関連します。前作でも触れたことで、『魏志』「倭人伝」に「陸行一月、水行十日」とあるが、九州から近畿まで、当時は歩いては行ける状態ではないのです。

 ここは、「第二に」ではないのでしょうか。(児戯です)

 陳寿の間違いと言いますが、倭人伝道里/行程記事を誤解しています。

⑴陳寿は、倭人伝を著述したのではなく、現地検証したのでもないのです。
⑵倭人伝の誤記か、著者の誤解か、趣旨不明です。

 「九州から近畿まで」歩いて行けないと断言でも、空は飛べないので、寝泊まりして移動したでしょう。当行程に賛同してはいないのですが。

山陽道は山ばかりの道なき森林地帯。

 三世紀に「山陽道」は時代錯誤ですが、一般論として、山地にも尾根道か沢道は常にできます。「街道」は未確立としてもです。
 それにしても、ここで体言止めとは、乱文です。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  6/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

◯掉尾の観察 承前
卑弥呼の時代の倭国の祈禱の広がりは、卜骨遺構、港湾遺跡を繫げることで説明できます。

 一人芝居の自己陶酔でなく、素人にも明快な説明をいただきたいのです。このあたりの主張を裏付け、時代を特定でき、明確な文字資料は皆無です。

朝鮮半島の伽耶、釜山から壱岐の原の辻遺跡、妻木晩田あたりまで卜骨があります。

 文型から、壱岐の原の妻木晩田と読めますが、意味不明、初耳です。妻木晩田「遺跡」でないのはなぜか。妻木晩田遺跡は米子であり壱岐でないのです。「卜骨がある」とは、出土の意味か。意図不明です。

丹後あたりまでの日本海沿岸の小さな都市国家の船が集まり、彼女の采配で対馬海峡を団体で安全航海をおこない、鉄を得たと考えます。

 なぜ、団体航海したのか不思議です。どうやって広範囲に采配を揮えたのか、物理的にも精神的にも不審です。結局、安全保証などないのです。

まず、卑弥呼の倭国は九州から日本海です。決して大和ではないのです。

 九州全島と日本海全体とは、法外な大国です。

私がそう考える理由をさらに三つ述べます。第一に当時のアジアの世界情勢や『倭人伝』の内容を考えても、いわゆる「国家」はありませんでした。

 「アジア」と言って「東アジア」と言わない趣旨が不明ですですが、「東アジア」すら時代錯誤です。「いわゆる「国家」」も意味不明で誤読と思うだけです。集落の集合は国家といえないのです。ムラと国家の違いは何か、都市国家、集落は国家か。「大きな国」の要件は何か。趣旨不明です。

点である弥生集落が全国に拡がっていますが、朝貢している卑弥呼の国は一握りに過ぎないのです。
国家を代表しているともいえないのです。

 「卑弥呼の国」は倭人伝の三十国でしょうか。「一握り」は五国程度ではないのでしょうか、国は国連のように数で数えて、大小は考慮しないのでしょうか。点である集落とは、何を指して言うのでしょうか。
 自説の論拠展開で、否定表現連発は、焦点が定まらず、論考として大変拙劣です。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  5/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

◯掉尾の観察 承前
この文章は明らかにトリックです。ここでわざわざ卑弥呼と書かないで「倭の女王」とし、「卑弥呼は神功皇后である」と宣言しています。

 いや、ここで壹與遣使も「倭の女王」なので、単純に女王「宣言」できず、仕方なく改竄演出したのでしょう。書紀編纂者の苦肉策を察すべきです。
 「この文章」=「トリック」とは、時代・概念錯誤のダブルトリックです。カタカナ言葉では「フェイク」ですが、時代錯誤で意味の定着していないカタカナ語は、真剣な議論には避けたいものです。総じて乱文です。

舎人親王の邪馬臺国をヤマトにしたいという意図が見え透いています。
 書いた当人には、目前に赤々と輝くイメージが見え透いているとしても、読者には何のことか理解できないのです。この語順では、舎人親王が邪馬臺国の男王と取れます。明解に書く努力は怠るべきではないのです。

卑弥呼は日本海ならば航海安全のシャーマン、ヤマトならば鏡の祈禱師でしょう。ですが、ヤマトの鏡の時代は一〇〇年ほどでブームは終わっています。

 古代に「ブーム」とは、時代錯誤で場違いで滑稽です。ヤマト(ここまでは、維持されている)の鏡の時代が、いつまでなのか、なぜ年代固定できるのか不明です。卑弥呼が化体すべき聖職も、根拠不明の妄想図と見えます。

そうしたことから見ても卑弥呼は、西日本の海洋都市国家の共通の利益である「鉄の安全輸送」に貢献した巫女(シャーマン)であると考えています。

 「そうしたこと」とは、対象不明であり、安易な括りです。

 巫女(シャーマン)と、ここで言い換えたのは不適切でしょう。卑弥呼は、「シャーマン「など知らなかったから、勝手な枠はめで迷惑だし、輸送安全に「貢献」とは、供物を差し出した意味か、とにかく用語が混乱しています。

天気と航海安全の祈禱、働いている場所は渡海すべき対馬海峡付近の日本海だったでしょう。その時代、航海安全の祈禱は国家事業です。

 卑弥呼は、現在形で、日本海海中で働く巫女なのでしょうか。(玄界灘や対馬海峡は、日本海と言い切れないのですが、付近はどのあたりまでか)

 毎度のダメ出しですが、当時、「国家」はなかったのです。「渡海すべき」と言い切っていますが、なぜ、卑弥呼が渡海しなければならないのか不審です。総じて、結論部にしては、大いに乱文です。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  4/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

*読み飛ばしの弁
 途中の膨大な論述は、大勢として信頼できないものと見られるし、一々批判しては読書の楽しみを盗むので、路なき地帯は端折って末尾に飛びます。

◯掉尾の観察
 ここからは、原文と当方の意見を並記するので、どこがどうだめと見られたか見て取って頂ければ幸いです。

 言うまでもないでしょうが、以下のダメ出しの視点に権威がある訳でないし、商用出版物を排斥する論議でもないので、軽いものと考えていただければ幸いです。要は、当方のひけらかしのダシにしているのです。

八•九「邪馬臺国論争」――もう神学論争はやめよう
 小見出しが、意味不明です。「神学論争」の比喩の典拠が何であって、どうして、真剣な「論争」が揶揄されるのか、解き明かされないのです。これは、文章作法のイロハを知らない、ド素人の書き方です。乱文は、文章を書いて金を獲るものの業ではないのです。

「邪馬臺国はどこか?」。『日本書紀』には、卑弥呼を神功皇后に比定する記述が存在します。『日本書紀』の神功皇后摂政三九年の条に「是年、魏志にいわく、明帝の景初二年の六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わして、郡に詣りて、天子に詣らむ……」とあります。

 衆知の書紀記事を「誤引用」するのはどういう意味か、理解困難です。信じられないという言葉通りです。

 倭国遣使が景初二年では近畿説が根底から崩壊するので、不確かな資料を根拠に倭人伝原記事は景初三年であった証拠と言い立てているのです。

 いわば命がけの必争論点で誤引用とは、著者の権威も何もかも喪失です。

*盗まれた批判
 引き続く書紀記事で、景初三年元旦に皇帝曹叡が夭逝して明帝と諡され、少帝曹芳が即位し、改元は、その翌年年頭、景初四年となるはずだった年が、新帝の正始元年となるのですが、景初三年は、皇帝の冠の付けられないただの景初三年です。

 よって、「明帝景初三年」とは、史官は絶対書かないし、三国志魏書にも、絶対に書かないのです。従って、魏志引用で「明帝景初三年」とは、空耳ならぬ、錯視です。

 書紀が「魏志云」と書いても、疑問の余地なく魏志の正当な引用でなくて今日風フェイク記事であり、史料としての書紀不信の否定しがたい根拠です。

 と言うようなダメ出しができず、不満たらたらなのです。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  3/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

*夢幻の余言
 事のついでに、「この戦争以降、中国は周辺諸国にとって常に侵略を行う恐ろしい国となり、それは現在のウイグルや南沙諸島でも続いています。」と書き飛ばしていますが、本書の論考と関係ないゴミで乱文です。

 以来二千年間の「中国」は、時に統一王朝に支配され、時に、諸国分立し、時には、異民族が異なった世界観を持ち込み、一息に語れるものでなく、その時々の支配者がどう考えたか、著者の知ったことではないのです。

 また、著者が、中国のより重要な辺境、西域に触れないのも不審です。

 おそらく、巨大な超時代知性体と化した著者の脳内には、「中国」という一つの人格を持った「鬼」が棲息し、「恐ろしい」怪物と見えているのでしょうが、それは、読者の知ったことではないのです。

 この手のゴミ見解は、著者だけでなく、多くの「古代史」論者に共通の宿痾ですが、くれぐれも、世間に蔓延させないで欲しいものです。

*無法な紹介
 最後に、とどめを刺すように、「東アジアの古代鉄研究の第一人者である愛媛大学」の研究者が、肩書きも、学位も、参照先も示さないまま引き合いに出されていますが、これは、愛媛大学に対して非礼、非常識で、この部分の論考の締めとして無効です。乱文です。(注記はないし、巻末参照文献にも見当たらないように見えます)

 国立大学である愛媛大学に対して、「東アジアの古代鉄研究の第一人者」などと勝手に権威付けして、勝手に同意を求めていますが、そのような第一人者は、著者の幻想の産物です。

*陥穽連鎖
 以上のように、冒頭に近いこの部分に、著者の論考の問題点が軒並み露呈しています。これらは、躓き石などとしゃれのめせる程度ではなく、底なしの陥穽となっているようです。人によっては、取り返しの付かない、地雷並みの破壊力となるかも知れないのです。怖れるべきは、乱文です。

*一旦の結論
 本書は、新書であるからには、読者に罠を仕掛けるのではなく、地ならしした王道を用意して欲しいものです。
 特に、出版社で内容を吟味されて、信用のおけるはずの商用出版物に、史料に根拠のない憶測・所見が横行しているのは、独学の参考資料として、まことに剣呑です。

 このような多数の問題点を持つ書籍であることを知った上で、以下読み進むかどうかは、読者の自由です。ここに書いているから、正統な論考とは言い切れない、との理解と言うか覚悟が必要です。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  2/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

*時間要素
 時間要素は、当方の推定ですが複雑高度な新技術の定着には、人の育成が必須なので大変な人数、年数がかかると見ます。造船業確立は、多様な材料をどこに求めるかに始まり安全航行までの技術を全て確立し、初めて、帆船艦隊で兵士、馬匹、物資を運搬できるのです。

 端的に言って画餅と思います。そのような画期的事項が、何の記録も遺さずに消え失せるものではないのです。

*武帝の心奥
 この部分で驚くのは、『「武帝は鉄を得るため侵攻した」と司馬遷は書いていない』なる発言です。司馬遷は知っていたが書かなかったとは、言いがかりです。書いたことを論評されるのならともかく、武帝に削除された「武帝紀」をサカナにされてはたまったものではないのです。

*異例の人物描写
 事のついでに、著者の武帝像が描かれます。武帝は、前に机を置いて、はかりごとを巡らしたと言いますが、戦略参謀はいなかったのでしょうか。架空人格「武帝」の意見や欲望が描かれますが、根拠史料はあるのでしょうか。

 武帝が、勝っても領土も資源も得られない匈奴との対決で、北方から西北方に広がる長大な戦線に大兵力を投じたことや匈奴に勝つために西方に駿馬を求めたことは、正史で確認できますが、ここで著者の説くような趣旨で朝鮮侵攻を画策・実行したことは示唆すらないように思います。乱文です。

*鉄資源の幻想
 著者は、半島鉄資源を絶大と武帝が判断したと見ているようですが、朝鮮産鉄は武帝の関心外だったのです。

 後世の魏志韓伝は、当時、弁辰で「鉄が取れたので、周辺の民族集団がやって来て、鉄を持ち帰っていた。楽浪、帯方郡にも、鉄は届けられていた」と簡単に書くだけで、そのような物々しい状態は一切窺うことができないのです。帯方郡は、当然の貢納としていただけであり、管理はしていても、小事として放置していたのです。

*脳内世界の成り行き
 以上、著者の脳内には、物々しい歴史ドラマが創作され、独自の世界が、堅固に構築され、脳内では脳内なりに、主観的に辻褄が合っているのでしょうが、史料にその根拠を求めても無駄でしょう。

 かくて、読者は、著者の口説に翻弄されて、話の筋道を捉えられないまま、物語終章に倒れ込むのです。

                               未完

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「鉄」で解ける  1/11

 『前方後円墳や「倭国大乱」の実像』 PHP新書 2015/10/30

私の見立て ★★☆☆☆ 傷だらけの野心作   2017/12/15 追記公開 2020/07/09

*はじめに
 前書で、先頭からのダメ出しで力尽きたので、今回は冒頭と末尾で、集中的にダメ出しすることにしました。先ずは、冒頭部分で、著者の書きぶりと言葉遣いになじもうとしましたが、期待を裏切られて困りました。

*飛躍した進行
 通常、まずは、不吉にもタイトルで提示された『前方後円墳や「倭国大乱」』の解釈に触れて、読者自身の言葉遣いや歴史観になじませるものですが、それは端折られ、もやの中を引き回されている感じです。

 ついでながら、「実像」は誰かが見た外面であり、珍重すべきものでないと思います。「実像」を検証しようにも、墳墓の外観は見ることができても抽象概念である「倭国大乱」の外観は実像も虚像も、どのようにしたら見ることができるのか不明です。空疎な大言壮語は控えたいものです。

*考古学の悪用
 また、これも珍しくありませんが、考古学上の編年を、自己流で西暦年代に結びつけ、以後、暦年で書くということのようです。それは、著者の都合であって学界の本意ではないのですが、考古学成果は、一部を援用するだけで、背景の考察不足にお構いなしです。かくして、不確定な根拠を読者に知らせずして、延々と独演会が展開されます。

 全書の方針を明示しているという点ではいさぎよいかも知れありませんが、自分の所見を押しつけると宣言されては、読者も困惑するのです。

*行方不明
 漢武帝の朝鮮侵攻談義で、自身の言葉で事態を語りつつ、史記を援用しますが、語られている根拠が不明です。前提として、「西方の匈奴」と言いきっていますが、普通は北方です。九十度方位感覚がずれている乱文です。

*帆船綺譚
 西域から匈奴排除の結果、西方交易が通じ、帆船技術が入ったと言うために方位を曲げたようです。実際は、どこからの新技術なのか。通常、帆船は南海起源と見えますが、なぜ、頭から否定するのか不明です。

 これほど異質な技術が、漢都長安に届いて、それが、瞬く間に伝達し、山東に帆船造船が起こったと言うようですが、せいぜい数名と思われる異国の技術者が多少の資料を持参したとは言え、言葉も働きぶりも異なる異境の地に、斬新な造船業を確立するのに、どれほどの期間がかかるのか、考慮していないようです。漢都長安は、海を遠く離れた陸封の池で、海船など想像もしたことのない人々の世界なのです。

 正直、最初の一隻が進水するのに十五年、船台を並べて複数の帆船を並行して造船できるようになるのに、更に十五年と見て、最初の一隻で操船を修行したとしても、大挙水軍を進められるのには、大概三十年はかかると見られるのです。途中で、技術者も、治世者も代替わりしていることでしょう。

 大規模な技術の移管/習得には、大変な時間/年数がかかるのです。

                               未完

2020年7月 7日 (火)

新・私の本棚 岡田 英弘 「倭国~東アジア世界の中で」 「倭国の時代」

中公新書 482 1977年10月 ちくま文庫 2009年2月
私の見立て ★★★★☆ 知見に根ざした大局観 2020/01/15 追記 2020/07/07

〇総評
 全体として、一貫した史観に貫かれていて、良い意味でも悪い意味でも、巨匠の芸です。但し、追従者は、岡田氏の識見を受け継がずに、単に、その提言の字面で追従するから、単なる独善史観に陥る傾向が見られます。

□大局と明細~堂々たる見識
 岡田氏は、魏志の記述が、客観的な史実記述を逸れていると見ますが、その由来として、陳寿が編纂時の晋朝皇帝に阿ったなどと安易な決めつけをしません。説かれているのは、晋朝高官張華への義理立てです。
 私見では、史官が「正史」編纂にあたって、後世の指弾を回避するため、皇帝への阿りは、命がけで排除します。また、自分が魏志編纂の大任を与えられたのは、政権の泰斗張華の推薦によるものであり、この恩義は排除できません。
 ただし、張華は、明らかに自分に阿る曲筆は望まないから、陳寿は、あからさまな追従はしていません。この大要は、ご指摘の通りです。

*行程/道里の誤認~俗説加担
 岡田氏の見識が、具体的な考察に届いていない例が、倭人伝の郡から倭に至る行程/道里解釈、特に、半島内行程の誤断に現れています。

 岡田氏は、半島内地理の知識が深いのでしょう。半島詳図を掲載し、半島中部帯方郡から東南部狗邪韓国への街道順路として、賢明にも、南漢江街道~洛東江街道を提示し、途中に「鳥嶺」(竹嶺か)越えの難路を上げています。街道は、官制に基づき、所定の道里毎に宿駅を備えた整然たるものであり、駅送りの公用文書往来は当然として、兵事の兵馬移動以外にも、市糴財物の運搬に供され、弁辰産鉄の両郡への納入にも供用されたものと見えます。当然だからことさら倭人伝行程/道里に書いていないだけであり、「あって当然」のもののように思うます。

 従って、「官制に基づく街道が存在しなかった」という証拠がない限り、帯方郡から狗邪韓国までは、この街道順路を往来したと見なければなりませんが、岡田氏は、倭人伝行程/道里論議に至ると、なぜか、官制街道を放念して、俗説に染まった沿岸航行を採用しています。

 氏が、ご自身の見識を無造作に放棄して、無法な俗説に加担するのは、とてつもなく不出来だと思うのです。

*大月氏虚構/虚報に加担
 俗説では、魏代、西域大月氏からの使節入朝の大功が曹真に帰せられ、司馬懿に倭人入朝が擬せられ、倭使記事に粉飾が施されたと言いますが、魏朝にさしたる西域功績はないと見えます。
 当時の三国形勢図には、時に、魏の領域が遥か西域に伸びているように書かれていますが、これは、魏が後漢の西域経営をそっくり継承したという名分が「見える」化されているのですが、この手の図示に良くあるように実態のない虚構なのです。

 当時、西域への入り口にあたる涼州には、魏に激しく反抗し、蜀漢に提携していた勢力が強力な軍事力を持っていて、魏は、後漢の旧都長安を含む関中地域すら、把握できていなかったのです。いわば、西域への入り口が固く閉じられていて、まして、その西域の西の果てにある大月氏に百人が定番の使節団を送り込むことなどできなかったのです。

 大月氏は、交易商人に偽装して、涼州勢力の監視をすり抜けて、はるか東方の洛陽に辿り着いたのでしょう。魏朝にしてみれば、長年絶えていた万里の「遠絶」の地からの来貢は、漢代以来の定則で金印下賜に値しますが、前世武帝以来の「古狸」が、小ずるく馳せ参じたのは、別に曹真の功績ではなかったのです。

 現に、魏書三十巻末尾に裴松之が魏志西域伝稿に擬して補注した魚豢「魏略西戎伝」全文に、大月氏来朝で曹真を称揚する記事はありません。俗説は、根拠のない言いがかりと見えます。

 そして、岡田氏は、この俗説に安易に加担して感心しません。

*「創作」と「虚偽」の混同
 道里説について、氏は「ウソ」と決め付けましたが、「創作」と「虚偽」の区別がつかないのは勿体ないと思います。不合理な俗説に加担した上で、一転「ウソ」呼ばわりは泥沼論議であり、善良な読者は付いていけません。

 「偽」という漢字は、歴史的には、人の意思を為すという、肯定的な意味もあるので、あえて、「ウソ」と仮名書きしたものです。

*史官の筆の軽視
 史官は、「述べて作らず」と言うように、史実を適確に伝えるために記事に演出なり創作を加えますが、それは史実を偽るのとは全く異なります。この点を弁えた方は、古代史学界にまことに少なく、敢えて苦言を呈します。原史料の混乱をむき出しにせず、「史実」を伝える創作の「盛り付け」は史官の極上の手際と思います。

 勿体ぶって言わなくても、ウロコのある海魚をはらわたごと食膳に供する料理人があり得ないのと同様、混沌たる史実を、無編集で取り上げて「編纂」などと言う史家はないのです。

〇結論
 岡田氏は、広範な知識と深い考察をもとに、倭人伝解釈に大なたを振るいましたが、追従者が、事態を掘り下げず表面的に追従したため、倭人伝論に無用の波風を立てたことをいたましいと見ます。

                                以上

 

2020年7月 1日 (水)

新・私の本棚 季刊「邪馬台国」 第138号 巻頭言 紹介

「記紀の行間を読む」 梓書院 2030年7月刊

私の見立て ★★★★☆ 良心的で開明的      2020/07/01記

◯はじめに
 本号巻頭言から、編集子の国内史料視点偏重が読み取れます。いや、別に非難しているわけではなく、業界大勢に無批判に同じているように感じ取れるという指摘です。

*国書の成り行き
 隋書に記述のあると称する「厩戸皇子」の国書なる先入観は、別に個人的な意見でないので別に置くとして、隋帝が問題にしたのは、「天子」が「天子」に「国書」を呈したことで、日の出や日没の関係ではないと思われます。

 中国の世界観で、西界は「西王母」の住み賜う西域ですから、日没に近いというのは侮辱になりません。むしろ、当時の帝都長安は、東都洛陽に比べて、西域の玄関に大変近いのです。

*暴言の大罪 「天に二日無し」
 大罪は、「天に二日無し」(礼記)なる至言に照らしてです。

 隋帝天子に対して夷蕃が天子を名乗るのは、滅ぼして取って代わろうとの不遜な挑戦であり大逆の極みです。鴻廬寺卿は、身命を賭し、家族に決別して、至上の君に取り次いだのでしょうか。死して後已むという硬骨の志です。

*暴虎に挑む無謀さ
 それにしても、中国古典に多少の教養があれば、このように、目前の暴虎に挑み討伐を誘う、無謀で挑戦的な檄は、遠からず亡国を招くから、絶対飛ばさないのです。西域夷蛮の国の例で言うと、使者の首を刎ねるのなら、まだしも、生存の可能性があるのです。

*夜郎自大の伝統
 編集子は、国内史料視点であり、中国教養に欠けるようです。個人的な批判ではなく、上古以来の「夜郎自大」症候群なる宿痾の露呈と見てとっているのです。

 夜郎国は、中国南蛮王国であり、自身の天下を「世界」と思っていたから、外界の漢の巨大さを知らず実感を吐露したのです。とは言え、漢都遣使後は、蟻が泰山に挑む無謀さを悟って、口を慎んだということです。

 つまり、問わず語りで、かの国は、魏晋以来の遣使伝統の圏外であったと示しているのです。後年、此の国は、大隋、大唐の偉大さを悟って、不遜な言辞を詫びたとして、それで取り返しはついたのでしょうか。

*史書編纂への至言~高度な見解
 先だって、編集子は、史書編纂は、必然的に編集の筆が要求され、その筆で編集の度量が試されるとの至言を述べています。無加工、無造作の佚文羅列では、読むに堪えない紙屑ができても、典拠となる史書はできないのです。

 その筆を「潤色、加筆」などと矮小化する乱臣賊子の批判は、差し障りがあるので、ママ引用して愚劣さを示唆し、非難は抑制、割愛していると見えます。

 当時、「公文書」など無いから「改竄」も無いのが自明と言う事で、時代錯誤の現代野次馬放言はものともせず、古代人の至上の史書編集事業を称揚していますから、現代の非難、つまり、数は多いし、騒々しい、的外れな雑音は、全て空を切っていると見るのです。

 以上、当方は、別に業界の世間づきあいを気にせず勝手に代弁します。

*正史解釈に不可欠な基礎教養
 とかく無視されますが、中国正史は中国人の古典的な世界観で書かれていると悟って、座り直して文献の丁寧な解読に勤しむべきであり、早々に「夜郎自大」解釈の悪癖は払拭すべきでしょう。郷に入りては郷に従うものです。

 編集子の筆ではありませんが、後出の古代史論で「日中」「外交」などと、時代錯誤、場違いの暴言を書き立てているのを見ると、付ける薬はないのかと歎くものです。

*まとめ
 最後に確認すると、以上、編集子の筆には、概ね賛同しています。

 そういえば、タイトルは、「記紀の行間を読む」ですから、国内史料偏重を「夜郎自大」と誹るのは、ちょっと的外れに思われるかも知れませんが、「行間」の向こうは、太平洋ならぬ中国正史の青海原ですから、長々と書き綴った問題点指摘には、言った甲斐があるのではないかと感じます。
                                以上

今日の躓き石 毎日新聞の「壁」起用に賞賛の雨 くたばれ「ハードル」!!

                               2020/07/01

 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊第14版の総合2面の見出しである。

 記事の内容自体は、大変重いものなので、ここでは触れない。感動したのは、壁」なる言葉の寸鉄の重みである。人の進路を阻んで、頑として閉ざしている姿が、読者の大半に確実に伝わってくる。見出しは、かく有りたいものである。

 ことさらに感動するのは、近年「ハードル」という、インチキなカタカナ言葉が出回っていて、読者の理解を妨げているからである。

 インチキなカタカナ言葉というのは、このカタカナ語は説明無しに起用される「比喩」であって、「壁」と漢字一字で済む所に、わざわざ意味の通りにくい4字カタカナ語を起用する趣旨が、読者に、大変伝わりにくいのである。
 要するに、読者の大半は、「ハードル」を、まずは、小中学の体育の時間に習った陸上競技のハードルと見るはずである。刷り込みということである。しかし、大人の世界で多用される「ハードル」は、実物のハードルと無縁の化け物である。次第に、大人の世界の大勢に馴染むにしても、毎回不審感を覚えるのではないか。無神経な大人には、なりたくないものである。

 少し考えればわかるように、陸上競技のハードルは、例えば、110メートルハードル競争の場合、100メートル競走のトラックを10メートル延長した競技トラックの各コースの決まった場所に決まった高さのものが置かれるのである。決して、一般社会の活動の場に、バリケードのように置かれるべきものではない。
 少し考えるだけで、以下の原則が浮かぶはずである。

  1. ハードルは、走者に、簡単な邪魔物を、トントンと飛び越える技を求めるものであって、走者をその場で阻止しようとするものではない。
  2. ハードルは、走者を阻止できるものではなく、軽く突き当たれば簡単に倒れる。何の罰則もない。
    走者は、ハードルを倒して走り続けると速度が落ちて競争に遅れるから、全て飛び越えようと練習するのである。
  3. ハードルの高さは、決まり切っていて、高さを変えることはない。世に言う忍者の高飛び鍛錬の道具ではないのである。子供用より大人用が高いのは、身の丈に合わせているだけである。大体が、背が高い方が速く走れるというわけではない。

 多分、この言葉の言い出しっぺは、ものしらずの知ったかぶりだったのだろう。小中学校で習ったことを忘れて、自分の好き勝手に言い換えるとは、何とも情けない大人である。いや、別に犯人の名前も顔も見たくはない。

 過去、現在の一流のメディアが、このような馬鹿馬鹿しい、間違った比喩を、むしろ持てはやして、無批判で追従するのは、言葉の護り人として、あまりにお粗末ではないかと思うのである。

 この「誤用」は、とかく政治家や評論家に多いのだが、これらの職業では、大半の方は、社会的に流行っていると思ったカタカナ語を、無批判に取り込むので、意見しても無駄と見ている。そうでない方には、ご不快であろうが、世の中、そういう見方で括られるのである。

 別の比喩で、「ガラスの天井」と言うのは、むしろ、誤解の発生しにくい、適切な比喩と言える。さすがに、米国製の辛辣な比喩である。

 ここでは、毎日新聞の良識の発露に、スタンディングオーベーションを送るのである。

以上

今日の躓き石 根深いNHK BSの「リベンジ」汚染 ワースポ+MLBの禁句連発

                          2020/07/01

 今回の題材は、昨日深夜のNHK BS 1のスポーツ番組である。恥ずかしい言葉が二度出たが、男性の声は、当日の解説者の男性であることはわかったが、女性の声は、コメンテーターなのか、ナレーターなのかわからなかった。詳しい台本はないとしても、丁寧な申し合わせをしているはずである。口が滑ったのではないはずである。

 この手の恐ろしく厄介な言葉は、野球選手が高校時代以来口癖になっていると言うだけではないようである。

 それどころか、アナウンサーらしい担当者、つまり、言葉の最高峰のプロが、とんでもない禁句を平気で聞き流しているという恐ろしい事態に直面するのである。

 失言は失言でも、「有効的」とか「同級生」とは、馬鹿馬鹿しさの次元が違うのである。

 何が恐ろしいかというと、この調子で、MLBオールスターゲームホームラン競争の出場者インタビューするときに、「おまえ、今回は、リベンジか」と言いそうなのである。別に、当視聴者自身は、NHKに何があっても痛くも痒くもないが、選手の怒りを買って放送事故にならないことを祈るだけである。

 これまでも、結構場慣れした記者が、シーズン終盤でタイトル争いしているMLB系選手に、タイトル一つぐらい、友達に譲ったらいいじゃないかと、敗退行為を持ちかけて、選手の激怒を買ったのを知っているからである。記者が男性だったら、カメラの前でもぶっ飛ばされていたかも知れない。これは、スポーツマンシップに対する侮辱発言であるから、罰されて当然と見なされているからである。
 ところが、「リベンジ」は、キリスト教などの基盤となっている旧約聖書の教えへの侮辱なのである。そして、世界を揺るがす、テロリストの心情なのである。バカにしてはいけない。

 かって、NHKの番組では、言葉遣いの規制が多くて叶わないというぼやきを聞いたことがあるが、もう、小言を言わなくなったのだろうか。そうであれば、報道機関として、着々と衰退の道をたどっていると見えるのである。一介の視聴者が、ここまでしつこく言わないといけないのは、どういうことなのかと歎くのである。

以上

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