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2020年7月27日 (月)

私の意見「陳壽の見た後漢書」サイト記事批判 謝承後漢書談義 ・補追 3/5

2016/03/22 追記 2018/05/05 2020/02/15 2020/03/31 2020/07/27
 私の見立て ★★★☆☆ 誤解、誤読の反面教材

*本題に還る
*謝承後漢書 観点の変化
 魏志倭人伝は「王沈の魏書」と「魚豢の魏略」とを基に書かれたとする見方に、「謝承の『後漢書』」を初めとする「旧・後漢書」群をも参照したとする見方を加えなければならないという観点に至った。

 福永氏は、高々と「観点」の変化をおっしゃるが、どんな知識、見識の持ち主で、どのようにして、どんな境地に至ったのか不明な状態で、このような発言を投げつけられても、共感も同意もしようがない。ご自身の意見を「理解、検証できるように」読者に伝える努力をしなければ、いくら広く読まれる場所としても、独り合点に終わるのではないのか。

 また、基本的な認識の確認になるが、史書編纂で肝心なのは、編纂者による関連史料の取捨選択と編集方針の遵守であり、それをもって「編纂」したというのである。
 実際問題として、編纂の過程で、どの程度、どの資料に依存したか、どの資料を却下したか、三國志上程版の作成時、すでに、編纂者の胸中に仕舞われていたものであり、公言されることはなかったと思われるから、今となっては確認のしようがない。

 因みに、陳寿が魏志を編纂した際、後漢朝の公文書は、禅譲によって平和裏に継承された魏の洛陽帝室書庫に健在であり、王沈「魏書」は利用したものの、陳寿自身が原資料を利用することも可能だったはずである。『「旧・後漢書」なる風聞資料』の実態は「後漢書稿」と見なす以外は、不確かであり、その実態は想像すらできないが、さらに飛躍して、陳寿が魏志の編纂にあたって、それら後漢書稿を頼りにしたというのは信じがたい。

 魏志には、確かに、後漢朝事績が引用されているが、それは、魏朝の創業者である魏武曹操の事跡、特に、献帝を傘下に収容してからの建安年間の活動を記録するために参照するのに限られているのであり、それらは、ほとんど同時代記事なので、あったかなかったかすら不明の後漢書稿の記事に頼らなくても、晋朝史官の史書編纂業務として、堂々と書庫蔵書を参照して書き連ねることはできたのである。
 それは、史官として当然であるから、ことさら語られてはいないが、語られていないからこそ、順当に進められたと見るのである。

 つまり、著者によってこのように表明される論考は、証左のない、単なる現代読者のぼやきに過ぎないのではないかと愚考する。誰も反論しないからといって、絶対的な真理というわけにはいかない。

 とにかく、史書を書く以上、書き換えも取りこぼしもできない必須の原史料というものがあるのであり、それが取りこまれているからといって、史料として、二次利用とか盗用などとは言えないのである。(必須の資料を改竄利用するなど、もってのほか論外の暴挙である。と言うもののこれは、范曄を非難しているのではない)
                                未完

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